今月のウクライナ-62

さて、ケルト人です。
ギリシャ人はサカ族のことをスキタイ、
サルマト族のことをサルマタイと呼んでいたように、
ガラ族のことをガラタイ、これがなまってケルトイ、と呼んでました。
これがローマに入ってからはガリアとなり、
さらにはゴール~ゲールとなっていったようです。
現在では一般的に「ケルト人」としてくくられますが、
ゲルマン人やスラブ人と同じように、
一定の共通文化を有する数多くの部族より構成されていました。
また、ゲルマン人とは多くの点で共通点があったようです。
ギリシャ人やローマ人にとっては、
北方から侵入してくる「背が高くて色白で金髪碧眼の、
勇猛というか獰猛といおうか、とにかく恐ろしい連中」として
認識されておりました。

紀元の変わり目ころのギリシャの歴史家、ディオドロスによれば、
「頭髪をアルカリで洗って脱色し、もさもさの口ひげを生やし、
ブローチでとめたチェック模様の肩掛けをまとい、
戦闘の時は角(つの)が付いた青銅製の兜(かぶと)をかぶり、
二人乗りの戦車に乗って槍(やり)を持ち云々・・・」
とのことです。
後のスコットランドの兵士なんぞにさも似た連中が想像されます。

ケルトの族長.jpgケルトの族長、と銘打ったフィギュア?です。
GeoLog Project から引っ張ってきました。
個人的にも、大体こんなカンジだったんだろうな、と思います。
そのうちサルマタイなんかも載せたいと思ってます。


で、ケルトと言えばドルイド神官とか楢(なら)の木の下での審判とか
人身御供とか木とわらで作った巨大な人形の中に罪人や生贄を押し込んで
これに火をつけていっしょくたに燃やしてしまうとか
敵の首を狩って来ないと一人前とは見なされないとか
狩った首を家の前に吊るしておく風習とか、
ま、文明化以前にはどの民族にも多かれ少なかれ一般的に見られた、
言うところの「野蛮な」習俗~風習に彩られた連中であった、
ということかと思います。

スコットランドサッカーチームの
「セルティック」は「ケルティック」と同義ですが、
上記ケルト人の特徴を見る限り、
選手よりもむしろフーリガンの連中そのもののように思われますが・・・。