日々のお話: 2021年3月アーカイブ

今月の書評-112

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まずはこれをご覧ください。

伊能忠敬.jpg
ウイキ https://proceed.ocnk.net/product/14907

ご存知、江戸時代の地理学者、伊能忠敬の大日本沿海輿地全図です。
まるでGPS で測ったかのように正確な地図です。


次は1617 年、ポルトガルのイグナシオ・モレイラが描いた日本図。

ブランクス/モレイラ日本図(1617年・イタリア).jpg
MAP FREAK 
https://map-freak.com/japan-in-foreign-oldmaps1  以下、同じサイトより


伊能忠敬よりも歪んでますが、一応方位はほぼ正確です。

どんどん行きます。ベルギーのテイセラの日本図(1595 年

テイセラ日本図(1595年・ベルギー).jpg
いびつ度がさらに高まってまいりました。図の左にあるのは朝鮮半島です。


お次はポルトガルのバルトロメウ・ヴェリュの西太平洋図(1561 年)

バルトロメウ・ヴェリュ西太平洋図(1561年・ポルトガル).jpg
ひゃ~、日本列島が南北に縦長になってるう~~~!

次はもっとスゴイヤツ!1528 年のイタリア人、ボルドーネが描いた日本です。

ボルドーネ日本図(1528年・イタリア).jpg
画面左上の矢印が指す方向が、北です。Ciampagu って書いてあるのでしょうか?もちろんジパングです。一応、「湾」とか描かれてますが・・・。


マルティン・ベハイムの地球儀(1492年・ドイツ).jpg
1492 年のドイツ人、マルティン・ベハイムの地球儀。Cipangu はセンセが赤く塗っときました。台湾みたいですね!
でも、まだ良い方です。次がスゴイ!


マフムード・カーシュガリーの世界地図(1072年・イラク).jpg
1072 年のイラク人、マフムード・カーシュガリーの世界地図です。丸のてっぺんの黒い尻尾のようなところが日本とのことです。
因みにこの図は、日本を描いた世界最古の地図、ということです。

お次は有名な行基図です。

行基図 ウイキ.jpg
7 世紀の天智天皇時代の僧侶、行基が描いたもの、と伝わってますが、もちろん時代はもっと新しいものです。でも、少なくとも鎌倉時代には使われていたと考えられています。左上の文章から分かるとおり、本来、西が上向きです。

お次は15 世紀の李氏朝鮮時代の世界図。龍谷大学所蔵版。

混一疆理歴代国都之図.jpg
日本の方位は比較的正確に描かれています。

一方で、同じ図の本光寺所蔵版では・・・。

本光寺所蔵のもの.jpg
日本が逆立ちしているう~~~!
先の行基図が西を上に描いているので、それを基にして描いたもの、という説もあるようです。本当のところは分かりませぬ・・・。


あの有名なフランドルの地理学者、メルカトルがメルカトル図法で描いた図を最後に載せます。1569 年です(ウイキペディア)。

メルカトル 1569.jpghttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B2%E3%83%A9%E3%83%AB%E3%83%89%E3%82%A5%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%A1%E3%83%AB%E3%82%AB%E3%83%88%E3%83%AB


センセが言いたいことは、もうお分かりだと思います。
15 世紀の李氏朝鮮時代の地図、北が上に描かれているのなんか、上出来だと思います。メルカトル以前の西洋の地図なんか、東西南北と上下左右なんか適当なものが多いです。行基図も西が上ですし。

「北が上」って、たぶん、どこかのいつかの時点で「合意」みたいのが出来たのでしょうかね?たぶん、大航海時代の西洋諸国間で合意ができたように思いますが・・・。中国ではどうだったのでしょうか?
先の李氏朝鮮の地図が15世紀初頭とのことですので、ことによると、西洋の影響なしで中国~朝鮮ではすでに北=上の合意ができていたのでしょうか?
分かりませぬ・・・。

我々は、学校で、いろいろなことをご幼少の頃より教えてもらいますが、おかげ様で、常識として色んな事が「刷り込まれ」ます。
日本を含む世界をイメージするとき、日本は当然「タツノオトシゴ」状をした、北を上にした形でイメージしますよね?
でも、これって、単なる、刷り込みです。
北=上っていう必然性は、皆無です。

北=上のイメージって、合理性があると言えばあると思います。
すなわち、北極星の存在です。
少なくとも北半球では、頭上に北極星があります。そして、北極星こそは方位を知る上での唯一不動の定点となるわけですから、いつしか北=上の認識ができた、と考えてもいいかも・・・。

ホントのところは知りませぬ・・・。

で、そんなことは問題じゃなくって、メルカトル以降の地図ですら上図のようであったわけですから、それが紀元3 世紀ころの認識はどうだったのか、推して知るべし、というところではないのでしょうか?
加えてそれが陸上であったのならまだしも、いわんや海上においてをや、ということなのではないのでしょうか?
当然ながら羅針盤も磁石も巻き尺もなく、波風に揺られながら移動していくわけですから、それに対してあーだーこーだ一生懸命にコンパスと分度器で「現代の日本地図」上に鉛筆なめなめ線を引っ張っても、「どーもごくろーさん」としか言うほかはない!と、センセは思いました。

次回、も少し続きを書きます。


今月の書評-111

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コロナの第四波、来るのでしょうかね?
ピーク前にワクチン接種、終わるでしょうか?
無理な気がします・・・。
志村さんが亡くなったあの日からもう一年が経った、なんて、本当に、信じられません・・・。


さて、ここでいきなり卑弥呼が登場します!みなさんご承知の、あのお方です。

なぜここで卑弥呼なのか?

その理由は、今後の展開をいろいろ考えているうちに、一つでも良いから定点的なものが欲しいなあ~、絶対的な年代基準が必要だなあ~、と思い至ったからです。
要するに、今後は古事記やら日本書紀やら中国の史書やら、これらの文献資料を参考とすることができる時代のお話になるわけですが、今更に言わずと知れたことでありますが、肝心の日本書紀の年代が全くあてにならない!
そのまま信じるわけにはいかない!
どうする?

ということで考えているうちに、あ、魏志倭人伝の卑弥呼ね、あれを基準点とすればよいワ、と思い至りました。
どゆことかと言うと、中国歴代王朝の正史の最大の特徴の一つが、年代を正確に追っていける点にあります。これはまさに、漢字を発明した古(いにしえ)の中国の方々が誠にもって筆まめな人々であったおかげであります。
加えて、隋や宋や清などの征服王朝の方々もこのような筆まめ文化を継承し、伝統にのっとって正史を残してくれたおかげであります。

で、みなさまご存知の魏志倭人伝の中には卑弥呼が登場し、その西暦年代も分かるわけですから、これを日本書紀中の記載と照らし合わせ、場所なり人物なりを特定しておけば、とある事件は卑弥呼前か卑弥呼後なのか、あるいはあわよくば事件の絶対年代も特定でき、お話もすんなりと流れていくことであろう、と考えました。僕って天才!

と思ったのですが、そんなことはとっくにみんなが考えていたことでして、それこそ日本書紀を編集した方々ですら考えていたことでして、江戸時代の新井白石や本居宣長も考えていたことでして、明治以降から現代に至るまで、それこそ無数の邪馬台国~卑弥呼説があるわけでして、あっちゃ~、あ、そういうことか!だからみい~~んな卑弥呼に夢中なんだな~、と思っていた矢先、昨日、先週に大量に買い込んだ関連書物に目を通し疲れてもう休もう、おやすみなさいとアルコール度数20°の「良いチコちゃん」を一杯ひっかけてベッドに入ってTVをつけたところ、いつもは相当に左巻きな番組を放送するETV 特集が和服を着た池田伸子を前面に押し出していきなり卑弥呼!をやっていた!なんちゅうこっちゃ!!!

で、箸墓(はしはか)古墳やら纏向(まきむく)遺跡やらセンセもおなじみのお話ではありましたが、歴博の人たちが箸墓周辺の土器のかけらをたくさん集めて炭素同位体分析を行ったところ、おおよそ紀元250 年前後と出た!という話は、まことにもってうかつにも、センセは知らなかった!
この発表が2009 年ということですので、その頃のセンセはリーマンショックの余韻冷めやらぬ中でひたすら豪ドル円を買いあさっていた頃でして、卑弥呼の卑の字にも興味がなかった。

で、だからといって研究者の全員がヤマト説に賛成しているわけでもなさそうですし、ともかくも卑弥呼をやっつけなくては話が進まないわけですので、センセとしては、まず初めに、なんでこの問題がややこしくなっているのか、首の上に乗ってる空冷110 ㏄ の単気筒エンジンのスロットルをフルに開いて考えてみたところ、「あ、なんだ、そういうこと?なるほどね!僕って天才!!!」 
という結論に達しましたので、次回にお話いたします。