喜源テクノさかき研究室: 2021年11月アーカイブ

今月の書評-135

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あの驚異的な第五派が急激に下火になってしまいましたが、よゐこのみなさまは元気にお過ごしのことかと思います。

でも、なんでいきなり下火になったのでしょうかね?

いろいろ考えられますが、個人的には、「ウイルスにも事情があるから」だと思います。事情があってデルタ株に変異してみたり、姿をくらましてみたり・・。


連中、別に考えてやってるわけじゃないんですけどね!


さて、前回以降、何人かの有名人もこの世を去ってしまいました。
センセの記憶に強く残る御仁としては、ローリングストーンズのドラマー、チャーリー・ワッツ氏と、「カムイ伝」の作者、白土三平氏の御両名。
両名共に、あの狂瀾怒濤の1960 年代を雄弁に物語るお方でした。

ストーンズ関連の死者といえば、センセの世代ではブライアン・ジョーンズの謎の死が真っ先に思い浮かばれますが、チャーリーは80 歳まで生きたので、ま、ロックンローラーとしては大往生、と言えるでしょう。

チャーリーへの哀悼の意を表し、「Jumpin'Jack Flash」をあげときます!
野心満々の若オスたちの面構えをとくとご覧あれ!!
ギャスギャスギャ~~~ス!!!

白土三平の忍者マンガは60 年代の小学生のココロをワシ掴みするものでした。
今でも変異抜刀霞切り(へんいばっとうかすみぎり)くらい難なくできます。
良かったら、いつでも切ってさしあげます。
さすがに飯綱落とし(いづなおとし)は無理ですが・・・。


さて、話は変わって、少し前、金沢大学から「現代人の先祖は縄文人と弥生人だけではない!古墳人が重要だっ!」とかいう趣旨の論文がサイエンスに発表されました。報道各社もそれなりに大きく扱っていたので、ご記憶の方も多いかと思います。ネットで無料で誰でも原著論文を読めますので、興味がおありの方は是非読んでみてください。以下のサイトです。専門英語で書かれてるけど・・・。


で、早速読んでみましたが、「あれあれあれ~~~???」というカンジ。

簡単に紹介すると、以下のようです。

方法
● 縄文人9 例と古墳人 3 例のDNA を分析した。
● これに3 例の縄文人と2 例の弥生人と多くの現代人の既報のデータを加え、
  比較した。

結論
縄文人は時代~地域を通じて相当程度に遺伝子的には均一。
弥生人は縄文人と50:50 のハイブリッド。
弥生人に特有の遺伝子パターンは西遼河~バイカル~北東シベリアに近い。
古墳人の遺伝子パターンは現代の日本人とほとんど一緒。
古墳人には黄河下流域由来のDNA が認められる。
 これは、現代の漢族に近い。
現代人に残る縄文人の遺伝子は、およそ10%くらい。

考察
縄文人は列島に渡ったのち、隔離状態となり、「びん首効果」が生じた結果、
  多様性に乏しくなったと考えられる。
古墳時代=国家形成=多数の渡来人=遺伝子構成への影響、という図式が
 描けるのでは?

といったカンジ。

縄文人が多様性に乏しいことと、古墳人と現代人とはほとんど一緒、というのはOK です。違和感はありませぬ。

問題は、弥生人です!

まず、本文で指摘されてるように、この弥生人骨の外観は縄文人に大きく似ていたとのことです。で、遺伝子分析結果も縄文の特徴50、弥生の特徴50 だったので、結局、分析に用いた弥生人縄文人との50:50 レベルのハイブリッドである、ということです。

本来、弥生人骨と縄文人骨との外観は一見して区別できるほどに異なっているわけで、弥生時代と言うも数百年から一千年以上にわたる長い期間であるわけですから、それを50:50 ハイブリッド(言わば F1、ということです)で代表させて議論してもほとんど無意味だと思います。
加えてサンプル数がわずか2 例ですから、何をかいわんやかと・・・。

縄文人骨が比較的数多く残っているのに対し、相対的に人口も多く、時代も新しいはずの弥生人の骨があまり残っていないのは有名な話ですし、さらにはDNA を抽出できるような状態の良いサンプルは誠に希少なわけで、そういう意味では弥生人のDNA 分析自体が大変貴重なわけですが、だからと言って貴重な結果=真実を伝えている、というわけではありませぬ。

また、3 例の古墳人に見られた漢族系のDNA を古墳時代の渡来人に由来する、というのも言い過ぎだと思います。

以下、センセのご意見です。

1. 弥生初期から後期に至るまで、日本列島には半島からの移住が継続した。
  あるいは、稲作、養蚕、鵜飼などの伝播を農学的観点から考えると、
  大陸からの直接の移住があったことも考えられる。
  加えて、当時、半島には由来を異にする多くの民族がいた。
  従って、移住の時期や由来によって移住者の遺伝構成が異なるのは当然。
2. 現代の半島住人の遺伝子構成を見ると、漢族由来、ツングース由来、
  オーストロアジア系由来など、さまざまな由来で構成されている。
3. 半島にも長い歴史があり、扶余、高句麗、百済、新羅その他その他。
  これらに加えて楽浪郡や帯方郡の存在がある。
  そもそも朝鮮の名前の由来からしても、漢族による影響が
  非常に大きかったわけであり・・・。
4. 「今月の書評・・・」でも指摘した通り、当時の半島は民族のごった煮状態で
  あった。世界的に見ても、どんづまりの半島って、そういうのが多い。
5. であるとするならば、古墳時代の漢族由来のDNA をいきなり渡来人に帰する
  必要は全くない。弥生時代を通して、半島由来の移住者中のDNA に
  漢族系 のDNA が増えていったと考えるのが自然。
6. 古墳時代に渡来した連中の多くは百済人。
  金沢大学の考察が正しければ百済人は漢族由来ということになるが、
  そうではなく、多くの戦乱や大陸からの人口流入の結果、すでにこの地域には
  大陸由来のDNA が多く混じていたことを表しているに過ぎない。

       
要するに、金沢大学の結果は至極当たり前の結果を示しているだけであり、今回の結果から弥生時代と古墳時代の間に遺伝子的な断絶を読み取るのは大間違いである、ということです。
日本書紀を読んでいても、古墳時代の渡来人の多くは百済の没落貴族に加えて学者や技術者がほとんどであると考えられるので、仮にこれらの渡来人によってそれまでの弥生人の遺伝子構成が大きく書き変えられたとするならば、これら没落貴族、学者、技術者の渡来人口は農民や漁民を主体とする弥生人の人口を凌駕する必要がありますが、まったくもってあり得ないことであります!

仮に、渡来人が多く住み着いた近畿地方の人々が文化的~人口的に優勢になり、時間をかけてこれらの人々の遺伝子が日本全国津々浦々に広まった結果なのだとするならば、すでに歴史時代となっておりますので、それなりの裏付けが文献的にも認められるはずですが、あまり知られておりません。一応、日本全国には渡来人に由来する地名が点在しますが、「点在」に過ぎません。

また、3 例の古墳人の遺伝子パターンと現代人のそれとがほとんど同じであり、弥生人のそれとは大きく異なる、そしてそのパターンが古墳時代の渡来人に由来するものであるとするならば、石川~福井周辺で得られたその3 例の方々は、極めて短期間に渡来人由来の遺伝子を得たこととなります。その方々の遺伝子には縄文由来のものが認められますので、彼ら自身が渡来人だった可能性は低いです。従いまして、渡来人に由来する遺伝子パターンは瞬く間に、少なくとも畿内の全域に広まったことを意味します。また、現代人とほとんど同じパターンということから、短期間に日本全国津々浦々のお百姓や漁民にまでも拡散し、その後の変化はほとんど無かった、ということが示唆されます。交通機関も未熟なその当時、かくまでの短期間に渡来人由来のDNA が日本全国に広まるはずもないわけで、これを検証するためには以降の時代時代の人骨からDNA を採取し、時系列的に漢族系のDNA の拡散を調べれば判明するはずですが、果たしてどうでしょうか?
また、常識的には、古墳時代の列島辺縁の人々には未だ渡来人由来のDNA は届いていなかったはずですので、その後の歴史時代において拡散していったとするならば、渡来人由来の漢族系DNA の分布は近畿を中心とした同心円状の分布を示すはずですが、そうなんですか?弥生人由来のDNA の分布と、果たして区別できるでしょうか?
縄文人由来のDNA が逆方向の同心円を描くのは有名な話ですが、上記が正しければ、弥生人のDNA を上書きする形で渡来人由来DNA が同心円状に描けるはずです。そして、金沢大学によれば、弥生人の遺伝子の由来は西遼河~ツングース系であるわけですから、縄文人を上書きする形でこのパターンが日本人の遺伝子上に乗っているはずですが、この北東アジア由来のDNA パターンって、日本人には少ないはずです。

要するに、弥生時代に半島その他から流入してきた人々と古墳時代の渡来人とを、極めて数少ないサンプル数からの結果に基づいて「本質的に異なるもの」と仮定することから生じた誤りだと思います。
古墳時代に渡来人が流入しようがしまいが、それ以前の長い弥生時代において、半島やら大陸やら各地から継続してさまざまな遺伝子構成を持った人々が流入し、古墳時代においてはすでに現代日本人の礎が構築されていた、と考えるのが最も自然かつ合理的だと思います。以上!




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