喜源テクノさかき研究室: 2020年2月アーカイブ

今月の書評-74

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そもそも論として、二つの異なる文化を有する民族がある一定の場所で遭遇し、両者ともその場所の領有権を主張した場合、ケンカするか、仲良くするか、あるいは住み分けるか、の三種類の対処法しかありませぬ。歴史的にも、この三種が綯い交ぜ(ないまぜ)となった状況が色々な局面で見て取れます。

ケンカして相手を一方的に打ち負かした場合、その場所を支配する言語は勝った民族の言語となるのが普通です。北米~中南米の状況が典型ですね!

ケンカが長引いて一方的な勝者が居ない場合は「住み分けが固定する」状況となります。住み分けの場合には、仲間内では自分たちの言葉を使い、相手と交渉する場合などには何らかの方法で意思の疎通を図ろうとするでしょう。
EU なんかそういうカンジ。
共通言語として、EU を離脱することを決めた第三者的言語である英語を借りております。

仲良くなった場合、どうなりますかね?人間の歴史は大概一方的に打ち負かすのが多いわけですから典型例ってすぐには思い浮かびませんが、融合する形になるのでしょうか。
その場合、人口、文化的~政治的~経済的~軍事的優越性などによって上下関係が生じ、その程度によって言語の融合の程度に差が生じる、などと仮定するのはいかがでしょうか?
こうなると、これは「仲良く」という言葉は不適切ですね!せいぜい「ケンカして傷を被るのは嫌だから妥協する」ということでしょうか。この場合は「一方的吸収」から「合意に基づいた吸収~大規模な融合~部分的融合」まで、様々な程度が想定されます。戦前の日韓併合などは典型例かもしれません。

さて、YDNA で見た場合、また、この先述べていく予定の「水田稲作」や、それに伴う文化の伝播経路で見た場合、どうあっても現在の朝鮮半島の言語、あるいはそれと密接に関連する日本語が、大きな括りで言うところの「アルタイ諸語」に属する謎を説明する必要が出てきます。



日本の歴史を振り返る時、それまでの伝統を大きく揺るがすような文化的流入が少なくとも四回生じました。

1 回目は縄文から弥生になったとき。
2 回目は天平~奈良時代の中国文化の流入。
3 回目は明治維新時の西欧文化の流入。
4 回目は第二次世界大戦の敗北によるアメリカ文化の流入。

1 回目の文化流入が最大で、この時には言語が入れ替わったと考えられます。
縄文人と弥生人との間には北米や中南米で見られたような民族殲滅戦のような状況はなかったと考えられていますので、圧倒的な文化的~経済的優位性からの圧力による言語の転換が生じた、と思われます。この問題に関してはおいおい話していきたいと思います。

特徴的なのが24 で、2 の時点では非常に多くの漢語が流入し、3 では英語~ドイツ語などが、そして4 以降は現在進行形でアメリカ語並びにアメリカ文化の流入が見られます。

注目すべきは、2 以降の文化流入において、日本語という文法体系の中に数多くの漢語とカタカナ語が取り入れられたにも関わらず、日本語は日本語としてビクともしていない、という事実です。
文化の流入はあっても、1 を除き、多くのヒトの流入が無かったのが、主要因でしょうね。

そうは言っても、明治維新時と敗戦時には、「日本語を廃止して外国語にすべきだ!」とかの議論を提唱したヒトも居たようです。
たぶん、奈良時代辺りにも、「やまと言葉を廃止して唐の言葉にすべきだ!」とか言った輩~勢力が居たかもしれません。いや、実質、その後の長きにわたって公文書の類は全て漢文で書かれた時代が続いたわけですから、そのようなメンタリティー、すなわち「superior な文化に対しては積極的にこれを取り入れる、極端には言語を含めてすっかり入れ替える」というメンタリティーは、結構、人類に普遍的に見られるものかもしれません。
当然、それに反発するメンタリティーもあるわけですから、両者の綱引き合戦の結果、今の世界がある、と言えるでしょう。



今月の書評-73

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さて、「今月の書評-70」のYDNA の%を今一度見ていただきたいのですが、現代韓国人のYDNA ハプロタイプの割合は、多い順にO2O1b2C2 です。
で、O2 =漢族、O1b2 =オーストロアジア系ですから、韓国では中国語か、あるいはベトナム語に近い言葉、あるいはO2 + O1b2 のハイブリッド語が話されているのがしかるべきかと思います。

しかしながら現実は、両者とは大きく異なる言語が話されているニダ。

ここからはしばらく言語に絡んだお話となります。言語学、センセを含めた素人さんには相当にとっつきの悪い分野なので、クドクドした説明は省き、的(まと)をググっと絞りこんでお話していきたいと思います。

C2 の人たちが話す言葉は、大きな括り(くくり)で言うところの「アルタイ諸語」に含まれます。各種ツングース系の言語、満州語、モンゴル語、トルコ語などが含まれます。

センセが子供の頃は、「日本語はウラル~アルタイ語族に含まれる!」と教わりました。その後にウラル~アルタイ語族という概念に疑問が呈せられて用いられなくなったりしましたが、やはり一理あるのでは?ということで、現在はアルタイ諸語などという括りで用いられているようです。


クドクドした説明はしないと言った口が乾かぬうちにクドクドとした説明をしてしまいました・・・。


さて、アルタイ系言語の最大の特徴は、主語~目的語~述語(動詞)の順で単語が並ぶ点にあります。

日本語の場合、私は、ご飯を、食べます。」となります。

アルタイ語でない英語の場合、「I eat a meal.」ですから、主語~述語(動詞)
~目的語となり、全く別系統の言語です。だから覚えるのに苦労するわけですね!

朝鮮語の場合は、「나는 밥을 먹고 있습니다.」となります。
나는が「私は」、밥을が「ご飯を」、먹고が「食べて」、있습니다「います」です。日本語と同じですね!

中国語の場合は、「我吃米飯」となりますから、英語と同じ。明治時代の書生あたりには、「我、米飯を吃っす」などと気取って言うような連中が居たかもしれません。

因みにベトナム語では「Tôi ăn cơm」。
Tôi が「私は」、ăn が「食べます」、cơm が「ご飯」ですから、中国語や英語と同じです。

アルタイ諸語にはまだまだ色々な特徴がありますが、この単語の順番だけでも相当に突っ込んだ話が可能なので、これ一本鎗でやっつけていきます。



センセは過去に日本語、英語、スペイン語、ドイツ語の四つの言語を学んできましたが、かろうじてモノになったのは日本語だけ・・・。それも最近ではしばしば単語が出てくるまでに時間がかかるなど、そろそろ覚束なくなってまいりました・・・。

で、特にドイツ語やスペイン語を学んでいた頃に感じたことですが、「欧州の連中の中には「自分は数か国語を話せる」なんて自慢する連中も多いが、これだけ似ているのなら当たり前ジャン!」としばしば思ってました。特に英語とドイツ語なんか、単に方言の違いじゃないの?という気もしたもんです。もちろん男性語~女性語~中性語などの違いがあるわけですが、「フォルクスワーゲン」が「大衆車」の意味であることが分かれば、そこから連想される英単語は容易に想像できますよね。

で、日本語とも朝鮮語とも相当に異なるO2 O1b2 の言葉ですが、それらのハイブリッドが朝鮮半島に渡って以来、何があったのか?!
何がどうしたら、そこから現代の朝鮮語と日本語になっていくのか?!
その過程をつぶさに「妄想」することで、弥生人の起源が明らかになっていくのではなかろうか?!
さらには、「」と「」、この両者を分け隔てるものが、朧(おぼろ)にも、掴めてくるのではあるまいか?!

と考えまして、今後はさらに妄想力を高めてまいりたいと考えております。


今月の書評-72

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「そろそろ終息してもいいコロナ!」などと調子のよいことをほざいていたセンセですが、終息どころかglobal 化に拍車がかかっております!
物流やヒトの流れが世界的な規模で巨大化~高速化しつつあることから、いつの日か世界規模のパンデミック(微妙な表現)が生じるであろうとは以前から言われてきたことですが、今まさに我々はそれを目の当たりにしているわけです。

第一次大戦末期、米国カンザスの陸軍部隊の中で発生したインフルエンザですが、これが米国の参戦と共に戦場に送られた部隊によって瞬く間に欧州に拡散し、その後の復員に伴ってさらに世界的なパンデミックとなってしまいました。有名な「スペイン風邪」です。この時の死者は、全世界で1 億人とも言われてます。ウイキに詳しく載ってますので、是非、参照してみてください。

コロナの有効な予防法、「他人と距離を置く」ことが基本となるのでしょうが、大豆麹乳酸菌発酵液を飲んで自然免疫を高める!というのも良いかもよ?!
実際センセなんぞはここ30 年以上も風邪をひいたことがない!


「センセは風邪をひかない!」

「✖✖も風邪をひかない!」



さて、今から4000 年くらい前の人々も、広域を移動することにかけては現代人に劣らないものがありました。

現在の沿海州~黒竜江~満州~モンゴルにかけて、YDNAC2 を持つ人々が住んでおります。いわゆる典型的な「北方モンゴロイド」です。「今月の書評-49」でもご紹介しましたね!
これらの人々、基本、沿岸地域に住んでいる連中は漁業を、森林地帯の連中はトナカイの遊牧を、地味豊かな満州の草原では畑作を、そして、より内陸ではヒツジなどの遊牧を専業としていますが、過去においては、離合集散を繰り返しながらも一朝事あるとたちまち集合し、武力化して南方を伺う傾向が見て取れます。歴史時代における展開からも明らかですね!ある意味、中国史って、C2O2 の不断の戦いを記したもの、みたいなカンジすら抱かせます。

さて、そんなC2 ですが、縄文人が朝鮮南部につつましく暮らしていた4000 年くらい前までは、彼らと似たり寄ったりの生活を送っていたんだと思います。
で、遼河地方のN の文明人との接触によって少しは縄文人よりは進んでいたでしょうから、彼らに新式土器の作り方を教えてあげたり、あるいはたぶん、大豆なんかもこの時、お土産にあげたりしたのかも知れません。

大豆の起源地に関しては諸説ありますが、少なくとも日本に伝わったものは満州由来の可能性が高く、また、縄文人がこれをすでに栽培していた証拠がありますので、上の話はナカナカ信憑性があるかも・・・。
本格的な畑作は教わって来なかったのでセンセから怒られた縄文人ですが、大豆を持ち帰ってきたのでヨシとしませう・・・。

いずれにしましても、朝鮮半島の住人の基礎にはC2 が存在する、いや、存在してもらわないと色々と困るのです!


nanai-2.jpg
ツングース系ナナイ族のオトコ カラパイアより http://karapaia.com/archives/52241629.html




今月の書評-71

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さて、朝鮮半島と日本列島との関係ですが、およそ4 万年くらい前、半島を経由して縄文人のご先祖さまが大陸から渡ってきたのはよいとして、その後に喜界カルデラの大爆発を契機として九州の縄文人が半島に渡航した可能性については「今月の書評-20」で述べました。

で、これらは考古学的~人類学的にも実証されておりまして、例えば現在の韓国、慶尚南道統営郡の煙台島貝塚から出土した今からおよそ4000 年前の人骨は明らかに縄文系であり、外耳道骨種と呼ばれる人骨の特徴から、おそらく「海士漁(あまりょう)」に従事していた人々であった、と考えられています。
また、釜山の遺跡からは、日本でしか取れない黒曜石でできた矢じりや、あるいは各種の縄文式土器などが出土しています。

で、そもそも当時、半島ではどのような状況であったかというと、いわゆる遼河文明の時代です。時代的には紅山(こうざん)文化華やかなりし頃(今からおよそ6000 年くらい前)、と考えてよいかと思います。
で、この遼河文明を作り上げた人々は現代のフィンランド人と同じ血を有するYDNAN のヒト、というのはすでに何度も言及してきました。
彼らが使用していた土器が櫛目文(くしめもん)土器と呼ばれるもので、これは遼河周辺からフィンランドに至るまで、当時幅広く分布していた土器でした。

櫛目文土器.jpg


で、「今月の書評-26」でもお話したとおり、この形式の土器に影響を受けて、縄文人は、曽畑(そばた)式土器と呼ばれる土器を作り出します。

そばたしきどき.jpg
牛原前田(うしわらまえだ)遺跡から出土した曽畑(そばた)式土器  2003年度 文化財維持・修復事業助成 助成対象より http://www.sumitomo.or.jp/html/culja/culjalis2003.htm


で、ここで問題です。

縄文人は、直接に遼河まで出向き、N 人から櫛目文土器の作り方を教わったのか?それともN 人が朝鮮半島南部まで進出していたのか?

縄文人、はるばる漢江を渡り、さらには鴨緑江をも渡河して遼河地方まで行くことができたのか???
ま、昔来た道を反対に行くだけだから、行けたと言えば行けただろうが、そこまでして土器の作り方だけを教わって来たなら、センセとしては、「お前ら何やってんの?」と言いたくなるわけです。
だって、当時の紅山文化はすでにスキなどを用いた畑作農業を幅広く行っていたわけですから、同時に畑作も教わってこんとイカン!やり直し!!!

というわけで、このセンは無いと思います。

じゃ、N 人が朝鮮南部まで来たのか?

N が朝鮮南部まで来ていたのだとすると、列島はもはや目の前だ!
N 人は対馬海峡を渡って北九州に流入し、北九州は縄文系とフィンランド系でえらく濃い連中となったはず(冗談ですよ)!

で、現代日本人のN の割合からいって、このセンも全く考えられません。

では、この当時、遼河地方と朝鮮南部の間を埋めていた連中は誰だ?

答え:たぶん、C2 の連中だったと思います。



今月の書評-70

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ナカナカ終息の兆しを見せないコロナウイルスですが、コビット19 なんていう可愛い名前がついてしまいました・・・。
もっとおどろおどろしい名前の方が注意喚起のためには良かったような気もします。例えば蝙蝠肉由来急速拡大飛沫感染劇症型肺炎武漢タイプ、とか・・・。
こうすれば、もはや蝙蝠肉を食べようとするヒトは激減するかと思います。

さて、弥生につながる大陸でのお話ですが、舞台はいよいよ朝鮮半島へと向かいます。

まず初めに、現代の韓国人と日本人のYDNA のハプロタイプを比べてみます。

韓国
D1b (縄文系)2%
C2 (ツングース~モンゴル系)15%
O2 (漢族系)40~50%
O1b2 (オーストロアジア系)30%
N (遼河系)4%

日本
D1b 35%
C2 3%
O2 20%
O1b2 30%

というカンジ。
これらのYDNA ハプロの数字って典拠によって結構異なるので、上の数字はあくまでも大雑把なものです。でも、これだけでも色々なことが分かります。

まず、両者共にオーストロアジア系の割合が相当高い点が目につきます。
また、韓国の場合、漢族系であるO2 が最大であるのも注目点です。
さらに、日本と韓国を基本的に大きく分け隔てる点が、ツングース~モンゴル系と縄文系の割合の違いです。

はじめに、日本人の歴史をつらつら遡っても、そんなに中国系の人々と交わった形跡って見当たらないのですけど、漢族系のO2 が2 割もいるってどういうこと?
これはたぶん、列島に渡ってきた弥生人のご先祖さまたちが、すでに大陸でO1b2O2 が交わってできたハイブリッド人だったためだと思います。
で、韓国人のO2 の割合は日本人よりもよっぽど高い理由ですが、これには二つの理由が考えられると思います。

1) 箕子朝鮮(きしちょうせん)の時代から楽浪郡(らくろうぐん)の時代を経て今に至るまで、かの国は中国の影響をもろに受けてきたから。
2) O1b2O2 のハイブリッドは、北方=O2 >O1b2、南方=O2<O1b2、という勾配を持っていたから。

たぶん、両者の影響が現れているのだと思います。

で、現代の(ヒュンダイの、じゃないよ)韓国人ですが、意外とC2 の割合が少ない・・・。歴史的にもモンゴルの支配を受けていた時代があったわけですから、もっとC2 が多かろうと考えていましたが、意外と少ない。
予想外に少なくとも、朝鮮半島について考えるとき、C2 が果たした役割は外せない、と思います。その理由はおいおい語っていく予定です。



今月の書評-69

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O1b2 は、日本人~朝鮮人~満州人ともにざっと30% 程度に検出されるハプロです。で、日本人と朝鮮人は分かりますが、なんで満州族に比較的高い頻度でO1b2 が見いだせるの???
だって、O1b2 って稲作と強く関連したハプロタイプでしょ?
満州って、とてもじゃないけど水田稲作って無理だよね?

と頭を悩ませたセンセですが、いくつかの可能性を考えた。以下・・・。

1) 戦前の入植により、朝鮮人の血が混じった。
2) 清の時代(満州族国家だ)に混じった。
3) これは、夏王朝の生き残りだ!

1) の可能性であるが、これは今の吉林省に数多く住んでいるいわゆる「朝鮮族」を表しているのかと思ったが、図で濃く染まっているところは北朝鮮と国境を接する吉林省からは程遠いし、何と言っても「満州族」から検出されたわけだし、さらにはそもそもO1b2 100% ではない朝鮮族の血が満州族と混ざったならば満州族のO1b2 の%はもっと低くてしかるべきだし・・・。

2) YDNA はオトコからオトコに伝わっていくものだ。清朝時代の朝鮮は、いわゆる李氏朝鮮の時代だ。李氏朝鮮時代の朝鮮のオトコが清朝の満州族のムスメを手籠めにしたなら話は分かるが、当時の両者の関係をみれば明らかであるが、そんなことしたらたちまち李朝は怒った清の袁世凱により滅ぼされたことであろう!逆に多くのムスメを清朝に献上していた話はよく聞くが・・・。

3) 「史記」の「匈奴列伝」には匈奴の先祖は夏后氏であり、この夏后氏は夏王朝の一族である、と書かれているそうだ。すなわち、夏王朝が商に滅ぼされたとき、一部の者たちは北方に逃れたのだ!今の満州族の血には多くの漢族系のO2 が混じっているが、基本的にはツングースやモンゴルのC2 が主体であり、これに遼河文明をもたらしたN の血なども混ざっている。匈奴~フンヌ~フン族~フンガリア~ハンガリーという連想もあり、当時の「あそこら辺」は民族的に相当に混沌とした状況だったのだろう。うむ、これに間違いあるまい!!!

という結論に達しました。

西太后.jpg
西太后の写真 ウイキペディアより https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E5%A4%AA%E5%90%8E

袁世凱.jpg
袁世凱 ウイキペディアより https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A2%81%E4%B8%96%E5%87%B1



で、夏人とO1b2 ですが、両者の関係に関してはこれを支持するものもナカナカ多く、以下、列挙します。ウイキからだけど・・・。

1) 夏王朝の祖、「禹(う)」ですが、この文字は鰐(わに)などの「水中に住む生き物」を表す文字である。中国で鰐といえばヨウスコウワニであろう。
2) そもそも禹は治水で名を成したオトコである。南船北馬であろう。
3) 春秋時代の長江下流域に勢力を誇った越は、夏人の末裔を自称していた。
加えて、呉越が戦を交えた有名な会稽(かいけい)には禹の墓があると伝えられている。

んんんん、O1b2 とO2 のハイブリッドである夏人、ナカナカ怪しい連中だっ!




今月の書評-68

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このところ新型コロナ肺炎で大きく揺れ動く世間ですが、坂城のスーパーでもマスクが売り切れ状態です。
ここ数日、長野には久方ぶりに寒波が襲来して厳寒状態が続いておりますが、天気予報によれば、来週半ばくらいから春の陽気になるとのこと・・・。

ウイルス感染が終息するのもそろそろ良いコロナ、と思いますが・・・。


さて、長江下流域で水田稲作文化を発展させたオーストロアジア系の連中ですが、大別して2 系統に分かれます。
YDNA でいうところの、O1b1 系の人々とO1b2 系の人々です。
ザザッと言って、長江以南の連中がO1b1 、以北の連中がO1b2 だと思ってOK だと思います。

で、「今月の書評-64」で述べたように、およそ45004000 年くらいまえ、寒冷化に伴う混乱により、O1b1 は南方に拡散し、現在のベトナムから東インドにまたがる地方に水田稲作技法を伝えることとなります。

一方のO1b2 ですが、北方の黄河文明を築いたYDNA でいうところのO2 系の連中、いわゆる「漢族」ですが、と文化的~肉体的に混交し、中原に「夏(か)王朝」を打ち立てるまでになります。

この夏王朝ですが、面白い話が残っています。それは、長江中流域で水田稲作農法に基づく大渓(だいけい)文化をもたらしたミャオ族(苗族・モン族)と夏王朝との間で中原の覇を争う大戦を行ったというお話で、戦に敗れたミャオは、その後に南方に逃れていったということです。これは中国の「墨子」に記載されているだけでなく、ミャオ族自身の由来神話にもそれをうかがわせる内容があるので、ナカナカ信憑性のある話かと思います。

現在でこそミャオ族は中国の少数民族の代表みたいなカンジで扱われ、しばしば日本との文化的類似から「ミャオ族こそが日本人のルーツだ!」みたいなカンジで扱うヒトもおりますが、古代のミャオ族はもともとは北方にルーツを持つ強大な部族の一つであり(一説にはチベット系の羌(きょう)に由来するとも)、夏との戦争に敗れたのちは長江流域に強大な国を作り上げ、いわゆる戦国の七雄の一つである「楚(そ)」の国は彼らが打ち立てた国である可能性も指摘されるほどです。

ちなみにミャオ族のYDNAO2 に含まれますが、「漢族」とは少し異なるO-M7 に属します。

YDNA O1b1.jpg
現在のオーストロアジア系(O1b1)の分布 ウイキペディアより

YDNA O1b2.jpg
現在のO1b2 の分布 ウイキペディアより


上の図は、古代、長江流域で稲作文明を発展させた人々の子孫の、現在の居住域を示したものです。いろいろと考えさせられる分布だと思います。以下・・・。

1) 稲作の拡散と見事に一致している。
2) 本来の居住域からはほとんど駆逐された。
3) 満州にO1b2 が多いって、どういうこと?
4) O1b1O1b2 って、文化的~言語的にどれぐらい共通点がある?

などなど・・・。

いよいよ話が面白くなってまいりました!
この続きは昼食後に・・・。




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