喜源テクノさかき研究室: 2013年8月アーカイブ

疲労・休養・栄養・運動-20

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散水し始めたら稲光が!速攻で止め!今現在、バケツをひっくり返した様な勢いで、大雨に見舞われています。でも、真夏の炎天下のいきなりの夕立の時のこの臭い、、、。地面のホコリが雨によって舞い立つ結果生じる臭いかと思いますが、如何にも夏を感じさせる臭いで、センセは好きです。

さて、まとめますね。生涯成果の最大値をあげる為には、

 

好きな道を見つける

その結果、情熱が維持される

情熱が維持される事によって、知識、技術の獲得、向上、維持に向けた努力が出来る

生涯成果の最大値と言う概念を持つことによって、短期の結果にはこだわらなくなる

長期的に安定した成績をあげる為にはどうしたらよいのか、工夫する

そのためには健康の維持管理が非常に重要である事に気がつく

自らのプロフェッシヨンに対して最適な体重がありそうだ

自分の持ち味、長所に対して、これを最大限に生かす方法を考える

自分の持ち味、長所にとって最適な体重がありそうだ

以上に気づいたら、周囲に影響されることなく、自分が出した結論を追求する

その後は天に任せる

結果として大した成績を残せなくとも、悔やむこともない

 

と言う結論と成りました。先の例を持ち出すと、天海さんの場合、これまでの路線を歩む限り、心筋梗塞が再発する可能性が生じますので、何らかの質的変化を遂げる必要があるかも知れません。歴史に残る大女優とか、皆そうですけど、節目節目で質的変化を遂げる結果、ワンランク上がっていく様です。

センセの場合、横道~回り道が多すぎる様です。研究者としての最適解とは何か、と考えれば、(太陽がいっぱいの頃の)アランドロンの体型を求めたり、逆にプロレスラーの様な体型を追求したりしている暇は無いかと思います。飽くまで、長きに亘って仕事が続けられる様に健康の維持に努め、研究活動に求められるエネルギーの最大値を引き出す事が出来るような体格を維持すれば良い訳で、それに見合った食事と運動の至適域を見いだし、これを継続して行けば良いだけかと思います。疲労しても、焦ったり気後れする事無く、十分に休養をとって回復に努めれば良いだけです。また、今回の思考の試みから長期的な視点からの確信が得られましたので、酸素ボンベを吸ってみたり、カフェインの錠剤を囓ってみたりする事も無くなる事でしょう。

それにしても、言うはやすし西川きよしで、今後も食べ過ぎと減量を繰り返し、腹回りを気にしつつ過ごす毎日ではある様ですね。と言うよりも、その様な日々のcheck こそが大事、と言う事を意味しているのかも知れません。

およそ1年に亘って続いてきた疲労シリーズですが、漸く結論が出ました。目出度し目出度しです。この一年の間にまたまたいくつかの特許が取れましたので、次回はそれのお話を致します。米国の特許も取りました!乞うご期待であります!

 

 

 

疲労・休養・栄養・運動-19

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黙祷で思い出しましたが、今日は終戦記念日ですね。先の大戦の出来事の中には、「短期的効率の追求によって長期的成果の最大値が損なわれる」事のお手本がたくさんありそうです。航空機の防御面をおろそかにした結果、大戦前に猛訓練で育て上げた高い空戦技術を持った飛行士が消耗し、大戦後期には枯渇してしまった、等と言うのもこれが為です。ここら辺は言い出したらきりがないのですが、そもそもが朝鮮半島、台湾、千島列島、南樺太、マリアナ群島などの広大な地域に行政権を保持していた日本ですが、いったい何故にさらなる欲をかいて、あげくは全てを失う状況と成ったのでしょうか?「近視眼的」と言う言葉に全ては凝縮されそうです。

余談となりますが、大戦中のゼロ戦の撃墜王、坂井三郎の空戦誌の中で、面白い記述があります。

戦闘機のパイロットは高い空戦技術を維持する為に食事の内容も陸戦の兵士よりも栄養価の高いものであったそうですが、下から見上げている糧秣担当の将校の目からは、単に空でくるくるまわって楽しげに見えるそうで、これはけしからん、空戦担当も陸兵と同じ食事だ!とか言い出したそうです。頭に来た三郎は、この将校を飛行機の隣に乗せ、空中戦さながらの曲技を行ったそうです。その結果、将校は地上に降り立ったときはグロッキーで、もちろん食事内容の変更は無かったと言う事です。

このお話の面白いところは、猛訓練で高い技術を身につけたヒト達がその技術を維持して行くにはそれ相応の待遇なり休暇なりが必要で、それなしではせっかくの技術が生かされない、と言う事です。

さて、先に述べたベルトコンベアーのモデルは極めて単純で、実社会ではもっと複雑な状況に皆が身もだえている訳ですが、本質論は変わりません。先のお話の中でずば抜けた成果をあげたヒトは、生産システムの技術革新をもたらしたヒトでした。この様な「質の変化を生み出すヒト」に就いて考えてみます。

どのような社会に於いても「涼しい顔して成果をあげるヒト」が居ります。この場合、「涼しい顔」しているのか、或いは他の人たちにとって「涼しい顔に見える」のか、それは問いません。イチローとか白鳳とか、分かりやすい例かと思います。両者とも、残業して成績を上げるけれども、その後に体を壊して引退する、と言うカンジではありませんし、飯をたらふく食った勢いで仕事をやっつけるタイプにも見えません。けれども間違いなく、自己鍛錬には厳しいモノがあると思いますし、何と言っても自分のプロフェッシヨンに対して無駄な肉が無く、最適解を体現している体つきです。自分の技を磨くと同時に、自分の持ち味に対して最適な体つきを維持する為に努力を怠らない、と言うカンジですね!運動選手の選手生命は一般の人たちと比べて短い訳ですが、その中でも両者は長期にわたってトップの座を維持しておりますから、ケガの少ない体作り、と言う事にも気を配っている事かと思います。つまり、選手生命という時間軸で見る限りに於いて、両者は短期的成果がずば抜けているに加え、その様なずば抜けた期間が長く維持される訳ですから、両者を乗じた値としての「生涯成果の最大値」はずば抜けて高い値と成らざるを得ません。この両者をもう少し分析する事によって、疲労シリーズの結論が出てくるかと思います。

まず、欠場が少ない、ケガが少ないと言う事から、日々の健康管理には最大限注意を払っているのが明らかです。結果、長期に亘って安定的な結果を残すことが出来ると同時に、引退後に残された時間を有意義に満喫する事も可能と成ります。次に、自らの長所、利点、持ち味と言うものを理解し、これを最大限に生かそうと言う頭の良さを感じます。結果、イチローの場合でしたら「長打力」にこだわって無駄な筋肉をつけて自滅する、と言うパターンには陥りませんし、白鳳でしたら体の柔軟性を生かしたスピード感のある取り口に磨きを掛ける、と言う事になる訳です。これには頭の良さに加えて、自己確信を維持するだけの心の強さも必要と成ります。これだけ結果を残せて初めて他人から評価される訳ですが、結果が残る前に迷わずに自分のスタイルを追求すると言う事は、これは心の弱いヒトにはナカナカ出来ない事です。特に日本人は自分の持ち味を殺してでも他人に合わせる傾向が強いので、その点からもイチローの個性の強さが際だちます。両者共に自分の技術の維持、向上に時間を掛ける事にはどん欲でしょうし、何と言ってもこの道を究める、と言う強い意志があります。その意志を貫くのに必要なものは「情熱」でしょうし、この情熱を維持するのに必要なものは、何と言っても、それが、その人にとって、「凄く面白いから!」と言う事に尽きるかと思います。

段々結論に近づいて参りました。次回で最終と致します。その前に、庭に水まきをして参ります。ナンか、TVでは、「長野に竜巻注意報!」とか甲子園の画面に出てますし、雷もゴロゴロ鳴っているのですが、雨が降ってくる気配は有りませぬ、、、。ゴロゴロ鳴ってて怖いですけど、ちょいと散水して来ます。

疲労・休養・栄養・運動-18

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話を分かりやすくするために、簡単な思考モデルを考えてみます。求める答えは、「生涯に於いて、最大の成果をあげるのには何が必要か?」です。難しそ~~。

単純な肉体労働のモデルを考えます。ベルトコンベアーの前で荷物を箱に詰める作業を想像してください。「生涯成果の最大値」は、生涯の間に箱に詰めた荷物の総重量と致します。問題を簡略化するために、以下の様ないくつかの前提条件を設けます。3~4番の前提条件は、話が進むにつれて変化して行きます。

1. 工場は一日24時間一年365日稼働し、8時間で3交代の勤務体制

2. 作業期間は、30歳から65歳まで

3. 作業者の一日あたりの最低勤務時間は8時間。残業は+8時間ずつ。

4. 作業者間には能力の差は無い

以上のような最も簡単な条件の下では、成果の最大値は、8時間×シフト数×365日×35年×W で求められます。Wは1時間あたりに箱詰め出来る製品重量とします。作業者間の能力差によって変化する変数です。

以下に、色々条件を変えていきます。まず、一日8時間365日労働を変化させます。

休日は休みたい、と言うヒトは、そうでないヒトに比べ、他の諸条件に変化が無ければ、成果の最大値は減少します。残業するヒトは、そうでないヒトに比べ、他の諸条件に変化が無ければ、成果の最大値は増加します。病気その他で仕事を休んだ人は、そうでないヒトに比べ、他の諸条件に変化が無ければ、成果の最大値は減少します。

当たり前の結果ですね。どんどんやってみます。作業時間を変えてみます。

残業して2シフト仕事するヒトは、必然的に食事時間や睡眠時間などの休養時間を削る事となるので、健康にはマイナスの影響を与える、と考えられます。その結果、65歳まで働けなくなる確率が高まりますので、成果の最大値は、残業によるプラスを加えてトントンか、或いはマイナスと成る可能性があります。反対に、休日を休むヒトはしっかり休養が取れますので、病気になる確率も少なく、65歳までしっかり働ける可能性が高くなります。このときの成果の最大値は、数式の365日から52日を引いた値と成ります。

この様に考えると、残業などで短期的に成果が上がったとしても、必ずしも「生涯成果の最大値」が増加する訳ではない事が分かります。残業によるプラスを加えてトントンであったとしても、その病気が致命的であればそれ以降の人生は無くなりますので、これは大損となります。

次に、作業者間の能力には差がある、とします。

時間あたりに箱詰め出来る能力に差があるとします。他の諸条件が変わらなければ、箱詰め能力が優秀なヒトは、成果の最大値が増加します。マネージメントに能力のあるヒトが居て、人員配置を工夫した結果、効率が上がりました。成果の最大値は大きく増加します。工学に能力のあるヒトが居て、ベルトコンベアーの機械を工夫した結果、効率が上がりました。成果の最大値は、これも大きく増加します。以下同様。

能力の高いヒトは、同程度の成果をあげるのに必要な時間が少なくて済みますので、その分休暇をとる事も出来ます。能力の高いヒトの中でも、マネージメントや機械の効率など、より根本的で質的な変化を生み出せるヒトは、ラインから外れて、より給与の高い地位に移動する事と成ります。

最後に、訓練その他によって作業者の能力が高まる状況を想定します。

質的変化を生み出せる程に能力の高いヒトは稀ですし、シフト残業を増やすことで体を壊す確率が高まりますので、最後の手段として単位時間内の箱詰め作業を最大化する訓練を行う事とします。結果、集中力も高まり、能率が向上しました。これまでのダラダラノロノロ作業に比べて、成果の最大値も増加しました。これに味を占めて、この能力を維持したまま残業する、と言う事を企てました。結果、体を壊して早期引退を余儀なくされました。他の人は、食事量を増やしてエネルギー持続時間を高め、結果として箱詰め速度を上げようと考えました。成果は向上しましたが、いつの間にかメタボとなりまして、長期療養を余儀なくされ、最大効果は平均値よりも低くなってしまいました。

訓練によって、ヒトの能力は向上し、能率も上がります。しかしながら、それに対応する休憩時間~休暇期間が無ければこの能力は維持出来ず、これを無理に維持しようとすると体を壊す原因となり、成果の最大値が得られなくなります。ここからは、「欲をかくと結局損する」と言う教訓が得られます。食事量を増やす場合も成果は上がるでしょうが、適正量を見極めるのが困難ですので、メタボに陥る可能性が高まります。メタボは病気になる確率が高いと想定しておりますので、やはり成果の最大化には不利に働きます。

以上、ごく簡単な思考実験を行ってみました。当たり前の事ばかりですが、実は大きな意義を含んでいるようです。それは、「生涯という時間軸でものを考えた場合、短期的な効率性は余り意味をなさず、寧ろ逆効果と成る可能性も存在する」と言う事です。特に短期的な効率性を追求する余りに体を壊す結果となった場合、これは「生涯獲得成果の最大化」どころか人生そのものを台無しにする結果となる可能性が高いわけですから、「無理をしてはイカン!」と言う人生訓が正当化される事となります。例えば、先頃亡くなった東映フライヤーズの尾崎投手などは現役時代は才能豊かな大投手でしたが、あれほどの大記録を打ち立てながらも、結局肩を消耗して早期引退を余儀なくされました。これが現代であったなら、投手の肩の寿命問題も科学的に扱いますので、無理な登板をさせる事も無く、選手生命も長くなり、「生涯成果」と言う観点から見れば、これを最大化出来たかと思われます。そこのところの自覚があれば、マー君などは平成の大投手として末永く名を残す人物と成るのでは?とも考えます。個人的にはマー君のあの面構え、最高ですね!!!ナントカ寺の四天王像の様です。

「訓練によって能率を上げる事は重要ではあるが、これに頼り過ぎて欲をかくと、最後にケッチンを食らう」と言うのも本質的に同じ問題です。能力を高めることは大変重要な事ですが、これも限度を知る必要があります。迷ったときには「生涯的最大効果の観点から見た場合、この努力はペイするのか?」と言う視点を持つことは重要です。

あ、今丁度黙祷の時間ですので、一旦止めますね!

疲労・休養・栄養・運動-17

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さて、バレリーナ軍団とお相撲さん軍団とは色んな点で真逆な人たちですけど、自分達のプロフェッションに対して最適な体重を維持するのに力を注いでいる点は全く同じです。

ここでちょっと見方を変えます。これまで、太っているのは悪いと言うお話を主にして来ましたが、痩せる事~痩せすぎの弊害に就いてもお話するのが公平かと思います。

つい先頃、あの宝塚出身の人気女優の天海祐希さんが、心筋梗塞で入院されました。一般に、心筋梗塞を含む脳~血管~心臓疾患、循環器系とひっくるめても良いですけど、の増加の原因としてメタボがあげられるのが多いのですが、メタボによる循環器系疾患は最近の傾向に過ぎず、メタボなんぞ話題になる前は、実は、タンパク質や脂肪の摂取不足によるものが日本人には非常に多かったのです。

最近では長野県は男女共に長寿県となってますが、二昔~三昔前ぐらいは、この様な循環器系疾患による死亡率が非常に高かった県でした。原因の一つには塩分の過剰摂取が挙げられますが、その他に、動物性タンパクと脂肪の摂取量が少なかった事が指摘されます。これらのタンパクと脂肪の摂取量が足りないと、血管壁が脆くなり、塩分過剰による高血圧とも相まって、ヨイヨイとか呼ばれていた循環器系疾患に罹る率が高くなります。また、栄養状態の悪さに加えて長野は寒冷な気候ですし、仕事は農業が主体で、昔の農業ですから大変に過酷だったでしょうし、必然的に交感神経系が優位な状況が継続する日常であったかと思われますので、これは血管も早い段階で脆くなってしまうのも当然かと思います。何しろ昔の「村の渡しの船頭さんは今年60のお爺さん」だった訳ですから、これはセンセとしても「ちょとまあったあ~~~!!!」と異議を挟みたくなるわけです、、、。

で、この様な状況が、その後、お医者さんや地元の保健士さんなどの努力に加え、高度経済成長による栄養の改善、プラス、陸運や冷凍設備の発達により、長野のような内陸県にも塩蔵では無い新鮮な魚介類が安定的に届けられるように成り、大いに改善する訳です。その結果、栄養バランスが良くなり、水や空気の良さも加わって、日本一の長寿県と成りました。因みに、当研究室で働いている前沢さんが以前にOLだった頃、即ち**年前の頃は、お刺身なんぞは見たことも無かった、と言う事です。

もう一つ因みのお話をしますが、動物性脂肪は悪玉で、植物性や青魚由来のものは善玉である、と言うのも一方的かと思います。植物性脂肪や青魚由来の脂肪には不飽和脂肪酸が多く、その結果血液のサラサラ度が維持されるのは本当ですが、摂取過剰となりますと、サラサラの程度も過剰になりまして、脳出血が起こりやすくなります。魚油100%のグリーンランドのエスキモーにはドロドロ血液によって引き起こされがちな梗塞の類は少ないのですが、反対に脳内出血の類は多い、と言う事実を指摘しておきます。何事もバランス、と言う事ですけど、これはこのシリーズの結論の先取りとも言えます。

で、天海さんのお話に戻りますが、あのようなスマートな体型を維持しつつ、過酷な女優稼業をこなしていく事の難しさが此処に出た、と思います。将にこれまでこのシリーズでセンセが述べてきたジレンマが形となって現れた、と言う事です。体型を維持する為に、余りエネルギーは摂らない。でも仕事は過酷。仕事の質も量も落としたくない。どうする?

1) 薬物に手を出す。

2) センセのように、カフェインの錠剤を囓りながら仕事する。

3) 何とか頑張る。その結果、病気になる。

4) 体型を崩す。結果、仕事の依頼が減る、、、。

5) 積極的に、仕事量を減らす。結果、ライバルに取って代わられる、、、。

天海さん、幸いに病気の程度は軽く、すぐに仕事に復帰出来ましたが、今後は何らかの「調整」が必要かと思われます。

疲労・休養・栄養・運動-16

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昨日は地球温暖化のお話で終わってしまいました。奇しくも夜のニュースでは、高知四万十市で連続40℃以上の気温観測日の最長記録を報道しておりました。「これをネタに町おこし!」とか言ってましたし、熊谷市では「日本一の座を取られた!」とか騒いでましたが、「オイオイキミタチ・・・。」と言うカンジです、、、。

さて、疲労シリーズの結論ですが、色々話しすぎて、いったい何処に論点があったのか、まずここから整理してみます。

仕事の成果を上げたい

一生懸命がんばる

疲れる

飯を食う

太る

かっちょわるい

健康にも悪い

ズボンもスカートも新調しなくてはならない

ダイエットする

痩せる

けど疲れる

おまけにダイエット法によっては、体に害を及ぼすものもある

食事と運動を中心とした体重コントロールを心がける

一方で、そんなことせずにひたすら食事でエネルギーを摂るライバルが居る

エネルギー不足で望むような成果が得られない

運動する時間がない

運動時間の為に、ライバルに差を付けられる

仕事でライバルに負ける

目標とする成果が得られない

出世出来ない

首になる

どうする?

 

と言うところでしょうか。ハナシを単純化しておりますので色々問題がある事は十分承知の上ですが、とりあえずはおおむね正しいかと思います。けれども実際には、仕事の成果を十分にあげている方々でもスマートなヒトは大勢居りますので、上記の流れ図のどこかに単純化しすぎなところがある様です。

先日のNHKで、元横綱の貴乃花と同期のお相撲さん達が同窓会を行う、と言うお話を放送しておりました。既に皆様お気づきのように、貴乃花関を含め、力士稼業を引退された方々の多くが体重減少に努め、そして成功しております。貴乃花などは余りにも急激なので、体重減少がより一層目立ちまして、「この人病気じゃないの?」といらぬ疑いを掛けられてしまうほどです。「体重減少に成功」と言いましたが、寧ろ現役力士時代は無理をして体重増加を行っていた訳ですので、引退後の減量にはさほどの困難は無い、と見るのが自然かと思います。即ち、基本的に、相撲は「重ければ重いほど有利になる」と言う物理的原則がありますので、「食事も稽古のうち」となりまして、強制的に「食っちゃ寝」が推奨される訳です。しかしながら、小錦は横綱には成れなかった一方で朝青龍や日馬富士は立派な横綱と成りましたし、現役でも臥牙丸などの巨漢力士が必ずしも圧倒的に強いと言う訳では無いので、相撲に於いても、ある地点を過ぎると体重増加は不利に働く、と言う原則が働いて居ると思われます。力士は引退したけれど現役の「格闘家」である曙は相変わらずの体格ですし、引退したばかりの魁皇は未だ太め。けれどもたぶん、そのうち魁皇も段々とスマートに成ってくるかと思ってます。

と言う事は、仕事をこなしている壮年の間はこれに対処する為に多めに食事をするのが良いが、引退後は健康の為に減量する、と言う対策は、十分考慮に値するものの一つである、と思われます。

けれども、壮年期の肥満が命取りとなる、と言う事もありますので、上記対策が万能である、とは言えないかと思います。飽くまで「良い対処法の一つ」と言う位置づけです。

お相撲さんのお話のついでに、真逆のプロフェッショナルの人たちのお話を致します。

数年前、センセは上野駅から長野新幹線に乗りました。列車待ちをしている人々の中の一群に、どうにも怪しい雰囲気を醸し出している人々数人が居りました。皆女性で、身長は高からず低からず。年齢は20~40代ぐらい。皆、背筋がピンとしており、贅肉の類が一切なし!余計な皮下脂肪が無いので、首筋から顔にかけて額の血管や首筋の筋が浮き出てる。周りを普通のオバハンなどが通るので、その違いが一層鮮明。日本語で話しているので、日本人であるのは間違いない。結構おしゃれで、話しぶりも品がよい。皆カート式のバッグを引いてるので、単なる旅行者の一団の様にも見えるけど、カートはどれも皆一様に同じ大きさ。普通の旅行だと、もっと旅行鞄の種類も個人個人でバラバラであっても良いはず、、、。運動選手系だったらジャージを着てるし、モノで一発で分かるし、こんなに品が良くないし(スイマセン)、、、。

そのうち列車が到着して、彼女たちの後に続いて乗り込んだところ、列車の中には同じような雰囲気の団体さんが居て、彼女らが入ると同時に皆が彼女らにご挨拶。一方で団体の中には男性も居り、さらには外人まで居り、これら全てが皆同じ雰囲気で贅肉なし!あ、そうそう、今、良い言葉が思いついた。「禁欲的」と言う言葉がこの団体さんを表現するのに最適です!でも禁欲的な割には皆さん華やかで、話し方も晴れやか。話の内容からこの怪しい団体の正体が明らかになるような手がかりは全く無く、三人掛けの窓際に座っていたセンセは色々頭を悩まし、「外人も居る事だし、恐らく何らかの新興宗教団体で、あの女性が教祖で、カートの中には曼荼羅とか洗脳機とか、或いは下手するとサリンとか入っていて、長野の山奥のサティアンか何かに断食の修行に行くのでは無いのか?長野の坂城にも相当怪しい研究所があるが、怪しさの程度が比較にならんな」等とあらぬ妄想に耽っておりました。

そのうち列車は本庄早稲田駅に到着し、怪しい新興宗教の全員が降りていきました。結局、センセはその場では彼女たちの正体は分からずじまいでした。

その後程なくして、TVCMを見ていて思わず「こ、これだ!この人達だ!」と叫んでしまいました。そこには確かに上野駅で見た、あの女性が映っていました。皆様は、もう、正体は分かりました?

そうです、彼女は、プロのバレリーナだったのです!プリマハムかプリマドンナかは知りませんけど、その道に詳しいヒトでしたら誰でも知っている有名な人だそうで、しかもバレリーナとしては結構なご年齢だとの事!なるほど、贅肉が一切無いのも背筋がピントしているのも品がよいのも、ナニもかも謎が解けました。カートの中には洗脳機じゃ無くてバレーの衣装が入っていたのですね!新興宗教の教祖様では無かったのです!!!

なるほど、男性や外人が居たのも道理です。たぶん、本庄早稲田で公演の予定だったのでしょうね。

疲労・休養・栄養・運動-15

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うう~~~、あづい!!!

灼熱地獄の毎日ですが、皆様いかがお過ごしですか?高知や山梨では40℃を超えてますが、来年以降は盛夏ともなれば40℃越えは当たり前!の時代が到来するのは確実です。40℃越え当たり前の時代が来る前には何度か冷夏の年を経験する事もあるでしょうが、基調としては、熱夏はさらに頻度と程度を増していく事かと思われます。

長野の坂城町では、さすがに東京や西日本の暑さと湿度には無縁ですが、仕事などで東京に降り立ち、さらにビル街を歩きますと、アスファルトからの反射熱に加えてビルの空調からの熱がまともに吹き付けますので、「よくまあこんなところで生活出来るモノだなあ」と思わずには居られません。およそ10年前にはその東京に住んでいて、しかも空調無しの部屋でバケツの水に足を漬けつつ水で濡らした鉢巻きをして上半身裸で夏場を過ごしていたのをすっかり忘れているようです。でも、気化熱の効果って、あなどれません。上記の様な状況で扇風機を回すと生半可に空調を効かすよりもよっぽど寒くなり、下手すると体を壊す程です。このような暑さに比例して、豪雨の頻度も増加の一途。ニュースで毎年、呪文の様に「観測史上最高の雨量を計測しました」と言う言葉が唱えられますが、毎年同じ事が言われますので、毎年記録が更新されている、と言う事です。株価もそうあって欲しいのですけど、、、。

で、二酸化炭素と温暖化の原因に就いては否定派肯定派入り乱れて論戦が繰り広げられておりますが、個人的には「産業革命以降の人類の活動による二酸化炭素増加によるもの」と言う論拠に軍配を上げたいと考えます。二酸化炭素否定派の論拠の殆ど致命的な欠点の一つは、「地質学的なタイムスパンでものを言っている」と言う事です。1000年ぐらいの単位を1年ぐらいの感覚でものを言っておりますので、話が可笑しくなってます。地質学的な基調で言えば、現代は本来的には寧ろ氷河期に向かっている、と言って良いかと思います。しかしながら、江戸時代後期までは地質学的基調に沿ってゆっくりと氷河期に向かっていた訳ですが、ある時期を境にしていきなり基調から逸脱した角度で上昇し初め、その後はその角度~速度が急上昇しております。急上昇の基調が始まった時期は将に産業革命の時期に相当し、加えてその後の工業化の拡大と人口の急増とがこれに強く相関しております。この様な急変を自然界の変化で説明するにはそれ相応の証拠が必要かと思われますが、先にも述べましたように、どれも数千年規模での変化を説明するものばかりで短期的な急変を説明できるモノはありませんので、前回も申し上げたように、「勝負あり!」として良いかと思います。これまでは「地球温暖化なぞ人ごと」と考えてきた人たちも、これだけ毎年の夏が異常に暑くなり、しかも来年、再来年、さらにその後はもっと暑くなる可能性があり、さらに豪雨やら台風やらの猛威も年を追うごとに猛烈になりつつある状況を目の当たりにしますと、お尻に火が付く心境になっても可笑しくないかと思います。

根本的解決法に関しては、センセの様な門外漢がどのような考えを述べたところで専門家から見ればトンチンカンなものと成らざるを得ないので述べませぬが、究極的には、無限のものと見なせる太陽光エネルギーを最大限に効率よく利用する技術の開発、人類の未来は、恐らく、ひとえに此処に掛かっているかと考えています。現時点では未だ太陽光パネルを用いた発電の段階ですが、向こう100年ぐらいの間に、何らかのブレイクスルーが生じる可能性は大いにあるかと思います。この様な技術革新の可能性を考慮に入れますと、先進国での人口の減少傾向と相まって、将来をそんなに悲観する必要は無いのかも知れません。「将来」と言う言葉のスパンをどの程度に見積もるのかで異なってくる問題かも知れませんけど。

一方、ブレイクダウンはいきなりやってくる可能性もあります。難しい言葉で閾値(いきち、英語でthreshold)と言うのですけど、ある限界点を超えたら最早後戻りできなくなる様な地点の事を言います。その先はvicious cycle、悪循環に陥りますので、行き着くところまで行くしか無くなります。例えば温暖化によって極地の氷が溶けたら、これまで氷によって反射されていた太陽熱が直接地球に吸収されますので、さらに一層の温暖化が生じる訳です。閾値がいったい何処にあるのか、誰にも分かりません。事によると、もう閾値を過ぎている可能性すらあるのです。温暖化問題と言うモノは、単に「100年の間に0.5℃程度ずつ気温が上昇する問題」と言う単純な問題では無く、これに付随して生じる様々な問題の一つ一つが人類にとって大変に重要な結果をもたらす複合的な問題です。近視眼的な立場に立たずに物事を見る力を養う事が、とりあえずは我々が出来る事なのかも知れません。

今回のブログ、前書きだけで終わりとなってしまいました。おまけに多くの英語を交えたまじめなお話ばかりで落ちたハナシがまるでナシ!珍しいですね!次回からは本論に戻るはずです。そんで、前回述べましたように、今年の夏休みを利用して、疲労シリーズも結論まで持って行きたいと考えています。では、ここで、センセはお昼ご飯と致します。狐どん兵衛と缶ビールです。最悪ですね!!!