昭和40年代:時代と音楽-16

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WWWWWWWW、ボブ・ディラン!WWWWWWW!!!
絶対、このブログ、読んでる!!!!!!
大笑い!!!!!!!

も、おなか痛い!!!!!!!

あ~、なんて分かりやすいヒトなんだろ、彼は。
「前から用事があったんだ・・・・。」だって!WWWWWWW!!!!!!!



・・・彼はね、シャイなんです・・・。
・・・基本的に、引きこもりなんです!
彼はね、どこぞの次期大統領とは違いましてね、
賞賛なんぞを求めていないのです。

賞賛ではなく、共感をこそ求めるタイプなのです!
分かる?王立アカデミーの方々!

あ~、ともかく、今日は朝からお腹がよじれっぱなしだった!!!!!!!

さて、ジェームス・ブラウンも終わったし、いよいよ本流の「ウッドストックへ向かう怒濤のロック!」編をやろうかと思ったけど、流れもあることだし、時間的にはウッドストックの後になる「ブラックパワー」時代の「ソウルミュージック」についてお話したいと思います。

先に、60年代初期の黒人公民権運動の頃はジョーン・バエズなどの白人フォーク歌手が大きな役割を果たしたことを指摘しましたが、その後徐々に黒人自らが大きな抵抗の声を上げるようになりました。70年前後からのブラックパワーの時代になると黒人住民らによる都市暴動なども頻発し、米国の政治や社会に大きな影響を及ぼすようになります。
一つには、キング牧師らの生命を賭した尽力により黒人達が公民権を獲得し、社会に対して「声」を上げる準備が整ったこと、もう一つはウッドストックの盛り上がりに見られるような、白人黒人を問わない若者全体のアンチ・エスタブリッシュメントの大きなうねりが先行したこと、さらにさらに忘れてならないのは、せっかく公民権を勝ち取ったにもかかわらず「俺たちの生活状況はたいして変わっていないじゃないか!」という現実に対する黒人たちの怒り、これらがない交ぜとなってブラックパワーが全開したのだと思います。

この時代の黒人音楽を特徴づける言葉が「ファンキー」です。前回、個人的に定義しましたが、破調を駆使したトゲトゲした音とリズムがファンキーミュージックの最大の特徴です。また、歌の内容も、既存社会への反抗~反戦~スラム街の日常を描くもの~出自に対する自尊心を喚起するもの~社会や人間に対するアイロニーに満ちあふれたものなどなど、広い意味での「プロテスト・ソング」が目立つようになります。これらのテーマは、以前のポップ系黒人音楽にはほとんど見られなかったものでした。

社会運動的には、穏健派であったキング牧師の非暴力運動に飽き足らない一派による、イスラム教に拠り所を求めた、いわゆるブラック・ムスリム運動が台頭します。1960年のローマオリンピックのボクシングで金メダルを取ったカシアス・クレイがムスリムに改宗し、モハメド・アリと名前を変えたのが1964年。あのマルコムXが暗殺されるのが、1965年。オリンピックで表彰台に登った黒人選手達が拳を突き上げてプロテストの意を表したのが、1968年のメキシコオリンピックの時。そしてキング牧師が暗殺されたのが、1968年の4月でした。先鋭的な「ブラック・パンサー」と呼ばれる過激派が生まれ出てきた時代です。

このような流れのなか、黒人音楽も徐々に変化を見せていきます。

未だR&Bと呼ばれていたヒット曲の中でプロテスト的な意味合いの強いものには、1967年のアレサ・フランクリン(あるいはオーティス・レディング)の「RESPECT」や、1968年のJBの「Say It Loud-I'm Black and Proud」などがあります。そして1969年、スライ・アンド・ファミリーストーンの「Everyday People」がヒットチャートNo.1となり、(日本での)名称も、R&Bから「ソウル・ミュージック」へと変化していきます。いよいよ「ファンク」時代の到来です!

この時代を特徴づけるものにはいくつかあります。
例えば、あの有名なアフロヘアー。最近はアフロのヒトってマンガの他にはほとんど見かけなくなりましたが、当時のアメリカ黒人の間では大流行!ジャクソン5なんかに典型的なアフロが見られます。
この当時は例の「長髪」が世界的に流行っていたので、これを取り込んだ結果がアフロヘアーだと思いますが・・・手入れが大変そう・・・。
そして、TVの音楽番組「ソウル・トレイン」!司会は、あの野太い声のドン・コーネリアス!主題歌はもちろん、スリー・ディグリーズ!!!
音楽にあわせて次々にダンサー達が思い思いのスタイルで踊る「ソウル・トレイン・ライン」と呼ばれるコーナーがあり、内緒ですが、センセは今でもYouTubeでソウル・トレイン・ラインを見ながらこっそり踊ったりしてます(センセの面目丸つぶれですので、くれぐれも内密にお願いします・・・)

さて、スライ・アンド・ザ・ファミリーストーンです。
スライ・アンド・ファミリーストーンこそは、70年代初期のブラックパワー全盛期を代表する黒人バンドです。スライの音は、これまでのモータウンサウンドやアトランティック系の南部黒人音楽ともまったく異なり、JBと同じく、非常に独自性の強いものです。バンド構成も黒人白人織り交ぜたもので、その音の特徴はと言えば、なんといったらいいんだろ、ワコワコワンワン~という独特のギターによるリズム音にラッパの音を絡ませた、やっぱり「独特」とか、あるいはせいぜい「すごくファンキー!」とか言いようのないものなんですけど、間違いなく、彼らの音は、この後のファンクの源流を形作るものとなるのです。
1968年の「Dance to the Music」、1969年の「Stand!」、「I Want to Take You Higher」、1970年の「Thank You」と立て続けにヒットを飛ばした後、あのアルバム、「There's a Riot Goin' On(邦題暴動)」がリリースされます。

このアルバムからは、シングルヒットが立て続けに3曲生まれます。「Family Affair」、「Smilin'」、そして「Runnin' Away」。
なかでもFamily Affair」はヒットチャートNo.1を獲得し、個人的には「70年代初期の音楽を代表する最高傑作」だと思います。よく、「無人島に流されるとしたら、どのアルバムを持ってく?」とかいう質問がありますが、センセはThere's a Riot Goin' On」を持っていく可能性があります。可能性がある、とおぼろに述べるのは、当然ながら「たった1枚」を断定するのは不可能だからです・・・。
「Family Affair」は、特徴的なワコワコワンワン~の上に意味深な歌詞を乗せた曲で、どうにもやりきれない人間および人間社会の性(さが)や業(ごう)を、スライ独特のアイロニーの中に歌い込んだものです。
センセはバイオの研究者ですが、センセがこの道を目指した根本的な理由がまさに、理性では捉えきれないヒトの性(さが)や業(ごう)というものを、「ヒトもまた動物である」との視点から捉えることは出来まいか、との想いからでした。どういうわけか、足を踏み外して「乳酸菌」を調べてますけど・・・。

さて、スライのワコワコワンワン~はファンキーミュージックを席巻し、その後のアイザック・ヘイズやカーティス・メイフィールドの音作りに大きな影響を及ぼします。アイザック・ヘイズが曲を担当した1972年の映画「Shaft(邦題:黒いジャガー)」や、カーティス・メイフィールドが曲を担当した同じく1972年の映画「Super Fly」などが、当時を代表する音です。スライのワコワコワンワン音をさらに洗練させた音、ってカンジですね!
また、先だって世を去ったプリンスにも、スライは非常に大きな影響を与えました。

本日はここまで!ファンキーミュージックシリーズはまだ続きます。





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このページは、喜源テクノさかき研究室が2016年11月18日 19:08に書いた記事です。

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