2016年11月アーカイブ

昭和40年代:時代と音楽-21

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延々と1960年代~70年代の「若者文化」のお話をしていますが、もちろん文化は若者だけのものじゃない。また、若者つったって、ひとっからげにできるものでもない。必ずしもみんながみんなロックやソウルやフォークに夢中だったわけでもない。ことによると、むしろ、そうでない連中の方が、主流だったのかもしれない。いわゆる、サイレントマジョリティーってやつだ。

本日は、そんな60年代~70年代のアメリカ文化の「もう一つの側面」についてお話します。

「古き良きアメリカ」って言葉があります。ヒトによってその年代は異なると思いますけど、概ね(おおむね≠Big Bust)1950年代から60年代初期を指す、と定義しても大きな間違いはないと思います。要するに、第二次世界大戦に勝利した連合国の中でも、戦場となったソ連、フランス、イギリス(空襲やUボートによる封鎖を受けた)とは異なり、直接的な戦禍を免れたアメリカは、それまでの大英帝国にとって代わり、政治的にも経済的にも、そして(軽)文化的にも、実質的に世界で唯一無比の超大国となりました。
これを打倒せん!と、当時のソ連を盟主とする東側が猛追し、朝鮮戦争に引き続く幾多の核実験~宇宙開発競争など、一触即発の冷戦状況が生じますが、米国民は「我こそは西側民主主義の盟主であり、共産主義に対抗するのは絶対的な正義である!This is Manifest Destiny ! This is a Pen-Pineapple-Apple-Pen !」との信念に燃えておりますので、ある意味、彼らのアイデンティティーに揺るぎがなかった時代である、といえると思います。

国内的には圧倒的に「白人の時代」であり、リンカーン大統領が奴隷解放宣言を出してから1世紀近くが経過していたにも関わらず、アパルトヘイト的な、KKKに代表されるようなあからさまな黒人差別が、少なくとも南部においては、日常的に見られた時代でした。黒人達もそのような境遇をある種の諦観をもって受け入れ、アンクル・トム的に、従順に生きていた時代です。映画「ビリー・ホリデイ物語」の副題が「奇妙な果実」、そしてグレゴリー・ペック主演の映画「アラバマ物語」など、文字通り当時の南部の状況を物語るものです。また、マッカーシー旋風に象徴される「反共産主義」の猛威が吹き荒れた時代でもありました。

相変わらずの大がかりなハリウッド映画が幅をきかせ、西部劇では「悪いインディアン」がころころと撃たれ、ジョン・ウエインがアラモの砦で咆吼する一方で、ジーン・ケリーは雨の中で歌っているし、マリリン・モンローはゆっさゆっさ揺すりながら歩いているし、オードリー・ヘップバーンは可愛いし、の時代です。

ローズマリー・クルーニーが「Come On a My House」のヒットをとばしたのが1951年、ジョー・スタッフォードが「You Belong To Me」を歌ったのが1952年、ドリス・デイが「Que Sera, Sera」でアカデミー賞をとったのが1956年。フランク・シナトラやらトニー・ベネットやらペリー・コモやらナット・キング・コールやらの時代です。

このような「(アメリカ白人にとっての)古き良きアメリカ」の流れの最後の輝きの一つとして、1961年の映画、オードリー・ヘップバーン主演の「ティファニーで朝食を」をあげることができるかもしれません。当時のオードリーの衣装や振る舞いなどは今から見ても全く古くささを感じさせないどころか、その後のヒッピー文化の「破壊性」を完璧に浮き彫りにするカンジすら抱かせます。共演のジョージ・ペパードのガッチガチのIVYファッションにしびれたヒトも多かったと思います。どうしたってあの服装で、銀座のみゆき通りを歩きたくなりますよね!で、主題歌「Moon River」を歌うは、みなさまご存じアンディ・ウイリアムス。アンディが指でほっぺたを「ポン!」と鳴らして「What?」というカンジでポーズをとるのが白人4人娘のコーラスグループ、ザ・コーデッツの「Lolly Pop」ですが、1958年当時の雰囲気を如実に表してます。因みにザ・コーデッツの「Mr. Sandman」、センセの好きな曲です。

というわけで、都会的かつ大卒の学歴を有する中上流の白人階層をターゲットとした(あるいは、それらへのあこがれを喚起する)雰囲気が濃厚な当時のアメリカのショービズ文化でしたが、これが1962年頃から大きく変わっていくこととなります。

本日はこれまで!


昭和40年代:時代と音楽-20

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キューバのカストロ議長が死にました。
90歳。
また一つの「昭和40年代」が、消え去りました。
で、カストロと言えばJFK。JFKの後はジョンソン、ニクソン、フォード、カーター、レーガン、ブッシュ(父親)、クリントン、ブッシュ(倅)、オバマ、そして次がトランプですので、確かにキューバは、好むと好まざるとに関わらず、時が止まった国ではありました。でも、オバマ政権下で国交が回復しましたので、これも好むと好まざるとに関わらず、今後は相応に変化していくことでしょう。でも、あのアメ車のクラシックカー群が消えていくのを見るのは寂しいですよね!

さて、センセは昨日もまたバイクのお稽古。
白バイなんかが見せる、停止からのフルロック右Uターン発進を延々とやってた。アクセルワークと倒し込みのバランスが難しい・・・。これをビデオで撮影し、後でチェック。勉強になります。

で、本日は「フィラデルフィア・サウンド」についてお話します。

ブラック・イズ・ビューティフルをスローガンに掲げたブラックパワーの全盛期が70年代初期ですが、ファンクな音作りを中心とした「ソウル」全盛の時期でもあります。一方で、黒人音楽の成熟を背景に、従来の南部系黒人音楽とは全く異なる新たなトレンドが、アメリカ東部のNYとワシントンDCに挟まれた都市、フィラデルフィアから生まれました。の名を冠して、「フィラデルフィア・サウンド」と呼ばれた一群の楽曲の誕生です。
代表的ミュージシャンとしては、オージェイズ、スピナーズ、スリー・ディグリーズ、ハロルド・メルビンとブルーノーツ、そしてスタイリスティックス。いずれもコーラスグループです。ソロでは、人妻との不倫を歌った曲「Me and Mrs. Jones」で有名なビリー・ポール。バンドとしては、スリー・ディグリーズや「ソウル・トレイン」のバックを勤めたMFSBなど。
以上は文字通りフィラデルフィアを本拠とした連中ですが、シカゴ発の代表がシャイライツ。シャイライツと呼ぶのかチャイライツと発音するのが正しいのか、本当のところは分かりませんが、スペルはThe Chi-Lites。「シカゴの灯り」という意味です。

フィラデルフィアサウンドの特徴は、ゆったりとしたテンポを背景に、甘く優しく美しいメロディーと裏声(ファルセットボイス)を駆使した歌を乗せた音作りにあります。スタイリスティックスの「You Are Everything」、「Betcha by Golly, Wow」、「People Make the World Go Round」、「You Make Me Feel Brand Newなどが代表です。センセも大好きです。
もちろん、オージェイズやスリー・ディグリーズなど、「ソウル・トレイン」に登場するような、もっとノリの良い連中もいます。
シカゴのThe Chi-Litesは、「Oh, Girl」、「Have You Seen Her?」などが代表作です。これもゆったりとしたテンポを背景とした独特の雰囲気を持った楽曲で、センセは大好きです。

フィラデルフィア・サウンドのような、甘くて優しい一連の曲が出てきた背景には、ウッドストックやブラックパンサーなど、やかましく、荒々しく、暴力的で野放図な世相に対して、そろそろアメリカ人が嫌気を差し始めたのでは?と推測されます。
そのような風潮は、ロックの世界にも生じ始めます。
で、いよいよロック本番?とのお気持ちはよう分かりますが、もちっと待ってネ!

次回は、ボサノバ~映画音楽~ポップ~バート・バカラックのお話をします。

昭和40年代:時代と音楽-19

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洗練化とポップ化が進む70年代のソウル・ミュージックシーンですが、どっこいそうは問屋が卸さない、とくるのが南部系。メンフィスのスタックス・レコードの連中を中心に、ソウルの「保守本流」をしっかりと引き継いでいきます。

当時の南部系ソウルの「魂」を如実に示すものが、1971年の映画「Soul to Soul」。これは、西アフリカのガーナで開かれた音楽祭の実録ですが、ここにはまさに当時の南部系ソウルの神髄が寸分余すところ無く描かれています。
登場するのは、有名どころとしてアイク・アンド・ティナターナ、ステイプル・シンガーズ、ウイルソン・ピケット、ロバータ・フラック、そしてサンタナまでもが出演しています。
アイク・アンド・ティナターナは、題名となったSoul to Soul」の他にも「River Deep Mountain High」など数曲歌ってますが、旦那のアイクとの「掛け合い」が面白いです。
ステイプル・シンガーズは、ギター担当の父親、ローバック・ポップス・ステイプルズと彼の三人娘で構成する四人編成のバンドで、もともとゴスペルだったこともあり、秀逸な歌唱力のみならず、歌の内容もしばしば宗教色が強く現れ、黒人達の自尊心を喚起するもの、あるいは黒人達がたどってきた苦難の歴史を歌ったプロテスト色の強いものなど、実力もさることながら、非常に重厚な雰囲気を持ったコーラスバンドです。ヒット曲には「Respect Yourself」や「I'll Take You There」などがあります。次女のメイヴィス・ステイプルズがリードヴォーカルを務めますが、彼女のエネルギッシュな歌いっぷりが大好きです!!!因みに、メイヴィスを見てると岡本綾子を思い出すのは、センセだけ?
個人的に大好きで、音楽的にも秀逸かつその後には世界的な名声を博することとなるメキシコ系のバンド、サンタナですが、せっかくの「Jungle Strut」を演奏しても観客のノリの悪いこと悪いこと・・・。サンタナといえども「黒さ」がゼンゼン足りなかったようで・・・。
これと対照的だったのが、ウイルソン・ピケット!彼の「ダンス天国」では観客が舞台に登ってみんな踊り出し、これで映画の最後が締めくくられます。傑作なのは、黒人の素人のオッサンの踊り!ナンか、「ごんべが種まきゃ」みたいなカンジですが、もうまわりを一切気にしないで自分の世界に入り込んでひたすら自分のリズムで踊り続けるあの根性が立派!!!

「Soul to Soul」の翌年、1972年には、ロサンゼルスで開かれたコンサートを主題とする映画「ワッツタックス」が封切られます。
「ワッツタックス」はスタックス・レコードが企画したコンサートで、当時のスタックス・レコードに所属していた連中が多数出演。映画では黒人コメディアンのリチャード・プライヤーが出演して何のかんのと言ってますが、コンサートとは無関係です。
出演者の中の有名どころでは、ドラマティクス、ステイプル・シンガーズ、バーケイズ、アルバート・キング、カーラ・トーマスとルーファス・トーマス親子、ルーサー・イングラム、そしてアイザック・ヘイズなどがいます。
映画全体を流れる主題は、「ブラック・イズ・ビューティフル」!演奏の合間合間に、例えば黒人のサンタクロースとかイエスキリストとか、テーマに沿った「絵」がちりばめられます。演奏では、個人的にはステイプル・シンガーズがやはり秀逸だと思います。ルーファス・トーマスとかはもはやコメディアンみたいですし、ルーサー・イングラムなんぞは「君を愛するのが罪ならば、僕は罪深くありたい・・・」なんてにやけきった歌を歌ってます・・・。
で、最後に登場するのがアイザック・ヘイズ!アイザック・ヘイズ登場時の司会が、政治にも足を突っ込んでいた人権運動家にして黒人牧師の、あのジェシー・ジャクソン!
「さて、ご兄弟の皆さん、いよいよあの「ワル」が登場しますよ!ワルです、ワル!牧師の私が言うのもナンですが、「ワル」の登場です!」
とかナンとか紹介するうちに「ワル」が登場!チャカポコチャカポコの「Shaft」の前奏の中でジャクソン牧師が「ワル」の帽子を取ると、あのつんつるてんの頭が出現!さらにガウンを脱ぐと、裸体に鎖・・・。
で、いよいよ歌い始めて、
「可愛子ちゃんみんなを満足させることが出来るヤツは一体誰だい?」
「それはシャフトよ!」
「そうともさ!」
みたいなカンジ・・・。イや~、実に意味シンで微妙に良いですね~。

最後に、黒人系バラードの伝統を受け継ぎつつも独自のスタイルを確立して大人気を博したヒトを紹介して、本日はお開きといたします。
そのヒトの名は、アル・グリーン。
代表曲が、「Let's Stay Together」。
四の五の言わずにただ一言。
名曲です。
では・・・。

と、言いたいところですが、1971年のビル・ウイザース、「Ain't No Sunshine」とビリー・プレストンの「Outa Space」を忘れそうだった!!!
因みにビリー・プレストン、あのビートルズのアップル屋上の演奏でオルガンを弾いているヒトです。
「Ain't No Sunshine」、名曲中の名曲です。
「Outa Space」、センセは未だにディスコの振り付けを覚えてます。

では、こんどこそ本当に、お休みなさい・・・。

と、言いたいところですが、
1972年のジョー・テックスの「I Gatcha」まで言わせてキャシアス・クレイ!
ガチガチの南部系のソウルシンガーであるジョー・テックス。
ジャクソン5あたりはまだしも、カーペンターズなんぞが流行っていたこの当時にガッチガチの泥くさ~いソウルの「I Gatcha」をヒットさせた!

・・・因みにセンセ、ルーペ・フィアスコのI Gatcha」も大好きでございます・・・。


ということで、こんどこそはホントのホントに、お休みなさ~い!!!

昭和40年代:時代と音楽-18

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ブラックパワー全盛期のモータウンと南部系黒人音楽について、お話します。
ファンキーミュージック全盛の時代ですが、両者ともに、特有の音作りは脈々と受け継いでおりました。
モータウンでは、この頃には従来の典型的なモータウンサウンドは影を潜め、新たなタイプのサウンドが登場し始めました。その代表が、ジャクソン5です。

声変わり前のマイケルを中心とした5人組は、あの時代特有のアフロヘアーとベルボトムに身を包み、「I Want You Back」、「ABC」、「I'll be There」、「Never Can Say Goodbye」、「Ben」、「Lookin' through the Windows」と立て続けにヒットを飛ばし、当時のアメリカのミドルティーンのアイドルとなりました。

この頃のマイケルは本当に可愛かったんですけどね・・・。

同時代に活躍したモータウン系ミュージシャンが、ダイアナ・ロス。言わずと知れた、シュープリームスのリードボーカルです。「Touch Me in the Morning」や「Theme from Mahogany」などのヒットを飛ばしただけでなく、1971年の映画、「ビリー・ホリデイ物語」の主演を演じました。因みに「Touch Me in the Morning」。くれぐれも「****Me in the Morning」などと口が裂けても言い間違えないように!!!!!!! 

と言うカンジで、相変わらずのポップな音を主体とするモータウンでしたが、ブラックパワーの時代を背景とした、新たな試みも見られます。
エドウィン・スターの「War」マービン・ゲイの「What's Going On」、そしてNYの黒人ゲットーの日々について歌ったテンプテーションズの「Papa Was a Rolling Stone」など、当時のモータウンの代表的プロテストサウンドです。

そして程なく、70~80年代を席巻することとなるモータウンの代表選手、あの、スティービー・ワンダーの登場となります。

スティービー・ワンダーは、ティーンの頃はリトル・スティービーなどと呼ばれ、既に「Fingertips Part 1」、「A Place in the Sun」、「Uptight」などのヒットを出していましたが、爆発的に有名になったのはこの当時から。1972年の「Superstition(邦題:迷信)」、翌年の「You Are the Sunshine of My Life」を皮切りに次々とヒットを飛ばし、「世界のスティービー・ワンダー」となったのは、皆さんもご承知のところだと思います。
個人的には、「Superstition」直前のアルバム、1971年の「Where I'm Coming From(邦題:青春の軌跡)」が最高傑作で、その後はポップ、だと思ってます。このアルバムは彼の音楽にかける想いと才能を余すところ無く昇華した美しい楽曲で満ちあふれ、フィーチャーされた曲には一つとして駄作が無い!と言っても過言ではないほどの出来の良いアルバムです。このアルバムを最初聴いたとき、なんでこのヒトが(昔は有名だったけど)ヒットチャートに出てこないんだろ?と思ってましたが、次の次のアルバムからリリースされた「Superstition」がNo.1となり、その後は快進撃となりました。けれども、先に述べたように、あくまでも個人的には、以降の曲は「ポップ」にしか聞こえません・・・。

ただし、彼の音には、当時すでに、もはや黒人らしさのかけらもありません・・・。
ま、だから、「世界のスティービー」になったのでしょうけど・・・。


昭和40年代:時代と音楽-17

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本日は雨。
せっかくバイクの練習をしようと思っていたんですけどね、残念です。
先週は近くの河原で8の字の練習をしてました。アクセルを少し開け気味にしてのターンの練習。砂利道なんで、やはりバイクを傾けてアクセルを開けるのがちょいと怖いです。でも思い切って寝かせないとアクセルターンもできないので、今日こそはアクセルターンに挑戦!と思っていた矢先の雨です・・・。
でもなんか、一抹のホッとした感覚があるのも正直なところ・・・。
基本的にビビラーなんでしょうね、ナチャケナイ・・・。

ということで、朝からブログを書いてます。「R&Bからソウルへと向かう時代の黒人音楽」の続きです。

1970年頃から半ばにかけて、スライ・アンド・ザ・ファミリーストーンの成功に触発された一連の黒人ファンクバンドが一世を風靡します。代表的なバンドとしては、アース・ウインド・アンド・ファイアー、クール・アンド・ザ・ギャング、オハイオ・プレイヤーズなどがあげられます。どれも技術的にも優れたバンドで、ブラスやシンセサイザーを駆使し、ファンキーな音作りはもちろんですが、しばしばそれをも超越し、芸術的、あるいは実験的な音作りにも挑戦して、ここにおいてファンキーミュージックは一気に洗練度を高めることとなっていきます。
また、従来の南部系黒人音楽から決別し、むしろ、より本源的な、アフリカ回帰的な現象が見られるのも、この頃のソウルミュージックを特色づけるものです。

この三者の中では、個人的にはクール・アンド・ザ・ギャングが最も好きです。クール・アンド・ザ・ギャングは元々はジャズバンドとして活躍していたぐらいなので、技術的にもより高く、特に初期のインストルメンタルの楽曲には秀逸なものがあります。
彼らの名声を高めたのが、あの1973年のアルバム「Wild and Peaceful」。このアルバムからは、「Funky Stuff」、「Jungle Boogie」、「Hollywood Swinging」の三ヒットが連続し、一躍彼らをスターダムへ押し上げると同時に、世に「これがファンキーミュージックだ!」と知らしめる役割を果たしたと思います。
ただ、個人的には、彼らの本質は、アルバムの最後のインストルメンタル、タイトルにもなっている「Wild and Peaceful」だと思います。本当は、彼らはこの手の曲作りを続けたかったのだと思います。でもお金にならないので、よりファンクポップな音作りをせざるを得なかったのだと思います。どの世界でも皆さん同じ・・・。

Wild and Peaceful」、個人的には思い入れの強い曲です。当時、19~20歳だったセンセの、心の奥底に染みいる音でした。特に後半のサビの部分は、今でも胸が締め付けられる想いがします・・・。

これらの洗練されたファンキーバンドに加え、あの航空会社のCMでも有名な「Love's Theme(邦題:愛のテーマ)」のバリー・ホワイトの音なども参入し、ブラックポップ系ではさらにフィラデルフィアサウンドと呼ばれる、ファルセットボイス(裏声)を駆使した、甘く、優しい一連の曲が一世を風靡して、黒人音楽も大きく様変わりしていくこととなります。

続きは午後に!


昭和40年代:時代と音楽-16

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WWWWWWWW、ボブ・ディラン!WWWWWWW!!!
絶対、このブログ、読んでる!!!!!!
大笑い!!!!!!!

も、おなか痛い!!!!!!!

あ~、なんて分かりやすいヒトなんだろ、彼は。
「前から用事があったんだ・・・・。」だって!WWWWWWW!!!!!!!



・・・彼はね、シャイなんです・・・。
・・・基本的に、引きこもりなんです!
彼はね、どこぞの次期大統領とは違いましてね、
賞賛なんぞを求めていないのです。

賞賛ではなく、共感をこそ求めるタイプなのです!
分かる?王立アカデミーの方々!

あ~、ともかく、今日は朝からお腹がよじれっぱなしだった!!!!!!!

さて、ジェームス・ブラウンも終わったし、いよいよ本流の「ウッドストックへ向かう怒濤のロック!」編をやろうかと思ったけど、流れもあることだし、時間的にはウッドストックの後になる「ブラックパワー」時代の「ソウルミュージック」についてお話したいと思います。

先に、60年代初期の黒人公民権運動の頃はジョーン・バエズなどの白人フォーク歌手が大きな役割を果たしたことを指摘しましたが、その後徐々に黒人自らが大きな抵抗の声を上げるようになりました。70年前後からのブラックパワーの時代になると黒人住民らによる都市暴動なども頻発し、米国の政治や社会に大きな影響を及ぼすようになります。
一つには、キング牧師らの生命を賭した尽力により黒人達が公民権を獲得し、社会に対して「声」を上げる準備が整ったこと、もう一つはウッドストックの盛り上がりに見られるような、白人黒人を問わない若者全体のアンチ・エスタブリッシュメントの大きなうねりが先行したこと、さらにさらに忘れてならないのは、せっかく公民権を勝ち取ったにもかかわらず「俺たちの生活状況はたいして変わっていないじゃないか!」という現実に対する黒人たちの怒り、これらがない交ぜとなってブラックパワーが全開したのだと思います。

この時代の黒人音楽を特徴づける言葉が「ファンキー」です。前回、個人的に定義しましたが、破調を駆使したトゲトゲした音とリズムがファンキーミュージックの最大の特徴です。また、歌の内容も、既存社会への反抗~反戦~スラム街の日常を描くもの~出自に対する自尊心を喚起するもの~社会や人間に対するアイロニーに満ちあふれたものなどなど、広い意味での「プロテスト・ソング」が目立つようになります。これらのテーマは、以前のポップ系黒人音楽にはほとんど見られなかったものでした。

社会運動的には、穏健派であったキング牧師の非暴力運動に飽き足らない一派による、イスラム教に拠り所を求めた、いわゆるブラック・ムスリム運動が台頭します。1960年のローマオリンピックのボクシングで金メダルを取ったカシアス・クレイがムスリムに改宗し、モハメド・アリと名前を変えたのが1964年。あのマルコムXが暗殺されるのが、1965年。オリンピックで表彰台に登った黒人選手達が拳を突き上げてプロテストの意を表したのが、1968年のメキシコオリンピックの時。そしてキング牧師が暗殺されたのが、1968年の4月でした。先鋭的な「ブラック・パンサー」と呼ばれる過激派が生まれ出てきた時代です。

このような流れのなか、黒人音楽も徐々に変化を見せていきます。

未だR&Bと呼ばれていたヒット曲の中でプロテスト的な意味合いの強いものには、1967年のアレサ・フランクリン(あるいはオーティス・レディング)の「RESPECT」や、1968年のJBの「Say It Loud-I'm Black and Proud」などがあります。そして1969年、スライ・アンド・ファミリーストーンの「Everyday People」がヒットチャートNo.1となり、(日本での)名称も、R&Bから「ソウル・ミュージック」へと変化していきます。いよいよ「ファンク」時代の到来です!

この時代を特徴づけるものにはいくつかあります。
例えば、あの有名なアフロヘアー。最近はアフロのヒトってマンガの他にはほとんど見かけなくなりましたが、当時のアメリカ黒人の間では大流行!ジャクソン5なんかに典型的なアフロが見られます。
この当時は例の「長髪」が世界的に流行っていたので、これを取り込んだ結果がアフロヘアーだと思いますが・・・手入れが大変そう・・・。
そして、TVの音楽番組「ソウル・トレイン」!司会は、あの野太い声のドン・コーネリアス!主題歌はもちろん、スリー・ディグリーズ!!!
音楽にあわせて次々にダンサー達が思い思いのスタイルで踊る「ソウル・トレイン・ライン」と呼ばれるコーナーがあり、内緒ですが、センセは今でもYouTubeでソウル・トレイン・ラインを見ながらこっそり踊ったりしてます(センセの面目丸つぶれですので、くれぐれも内密にお願いします・・・)

さて、スライ・アンド・ザ・ファミリーストーンです。
スライ・アンド・ファミリーストーンこそは、70年代初期のブラックパワー全盛期を代表する黒人バンドです。スライの音は、これまでのモータウンサウンドやアトランティック系の南部黒人音楽ともまったく異なり、JBと同じく、非常に独自性の強いものです。バンド構成も黒人白人織り交ぜたもので、その音の特徴はと言えば、なんといったらいいんだろ、ワコワコワンワン~という独特のギターによるリズム音にラッパの音を絡ませた、やっぱり「独特」とか、あるいはせいぜい「すごくファンキー!」とか言いようのないものなんですけど、間違いなく、彼らの音は、この後のファンクの源流を形作るものとなるのです。
1968年の「Dance to the Music」、1969年の「Stand!」、「I Want to Take You Higher」、1970年の「Thank You」と立て続けにヒットを飛ばした後、あのアルバム、「There's a Riot Goin' On(邦題暴動)」がリリースされます。

このアルバムからは、シングルヒットが立て続けに3曲生まれます。「Family Affair」、「Smilin'」、そして「Runnin' Away」。
なかでもFamily Affair」はヒットチャートNo.1を獲得し、個人的には「70年代初期の音楽を代表する最高傑作」だと思います。よく、「無人島に流されるとしたら、どのアルバムを持ってく?」とかいう質問がありますが、センセはThere's a Riot Goin' On」を持っていく可能性があります。可能性がある、とおぼろに述べるのは、当然ながら「たった1枚」を断定するのは不可能だからです・・・。
「Family Affair」は、特徴的なワコワコワンワン~の上に意味深な歌詞を乗せた曲で、どうにもやりきれない人間および人間社会の性(さが)や業(ごう)を、スライ独特のアイロニーの中に歌い込んだものです。
センセはバイオの研究者ですが、センセがこの道を目指した根本的な理由がまさに、理性では捉えきれないヒトの性(さが)や業(ごう)というものを、「ヒトもまた動物である」との視点から捉えることは出来まいか、との想いからでした。どういうわけか、足を踏み外して「乳酸菌」を調べてますけど・・・。

さて、スライのワコワコワンワン~はファンキーミュージックを席巻し、その後のアイザック・ヘイズやカーティス・メイフィールドの音作りに大きな影響を及ぼします。アイザック・ヘイズが曲を担当した1972年の映画「Shaft(邦題:黒いジャガー)」や、カーティス・メイフィールドが曲を担当した同じく1972年の映画「Super Fly」などが、当時を代表する音です。スライのワコワコワンワン音をさらに洗練させた音、ってカンジですね!
また、先だって世を去ったプリンスにも、スライは非常に大きな影響を与えました。

本日はここまで!ファンキーミュージックシリーズはまだ続きます。





昭和40年代:時代と音楽-15

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中山センセは言いました。
「ジェームス・ブラウンの前にジェームス・ブラウン無く、ジェームス・ブラウンの後にジェームス・ブラウン無し!」と・・・・・。

センセはまた言いました。
「はじめにジェームス・ブラウンありき!」と・・・・・。

さらに続けて言いました。
「天上天下、ジェームス・ブラウン独尊!」と・・・・・。

調子に乗って、さらに言いました。
ジェームス・ブラウンを聴いた者、もはや浮き世のわざには適すまじ」と・・・・・。


ジェームス・ブラウン(以下、JB)は、言わずと知れた「ケロンパ!~ゲロゲロ~!」のオジサンです。60年代70年代80年代を疾風怒濤のごとくに駆け抜け、2006年に永遠の眠りにつくまで、他の者の追随を全く許さない、気も狂わんばかりの独自の音の世界を築き上げたオジサンです。

「気も狂わんばかり」と表現しましたが、初期の作、あの有名な「マント・ショー」を伴ったPlease, Please, Please」を初めて見たとき聴いたとき、センセの髪の毛は、あのちびっ子ギャングのアルファルファのごとく逆立ち、

「なんじゃ、これは!?!?」・・・。

だってそうでしょ?クレヨンしんちゃんのような5歳児が駄菓子屋の前で猛烈に駄々をこねて地団駄踏んで「買ってくれ~~~買ってくれ~~~、買ってくれなきゃ死んじゃう~~~~~!」なんて喚いている状況を歌にして、それがヒットし、加えてそれに対して「シビレるう~~~~~!」なんて女性達がきゃーきゃー言ってるわけですからね!

いずれにしましても、実は「Please, Please, Please」はJBの最初のヒットで、50年代の作です。センセを含む当時の日本人がJBの存在を知り始めたのは60年代初期~中期にかけてのことで、「I feel Good」や「Papa's Got A Brand New Bag」がヒットした頃です。
丁度この頃は、ビートルズを筆頭としたリバプールサウンドの全盛期。ポップな当時のビートルズの音と比べ、全く異質な世界がそこにはありました。また、同時代のモータウンサウンドやアトランティック系サウンドとも大きく異なり、やはりそれはJB独自の世界としか言いようがありません。

その後立て続けにIt's a Man's, Man's, Man's World、「Cold Sweat」、「I Got the Feeling」、「Licking Stick」、「Say It Loud-I'm Black and Proud」とヒットを飛ばします。

そして1970年、あの「ケロンパ!~ゲロゲロ~!」ラインで有名な、「Sex Machine」の大ヒットとなります!

それにしてもケロンパ!~ゲロゲロ~!」・・・。正しい発音は、「Get Up !」とJBが叫ぶのに対してボビーが「Get On Up !」と合いの手を入れますが、それが日本人にはケロンパ!~ゲロゲロ~!」と聞こえるわけです。センセにはケロンパ!~ゲロゲロ~!」と聞こえますが、他のヒトでは「ゲロッパ!ゲオーレ!」と聞こえたり、「ゲラッパ!ゲノーネ!」と聞くヒトもいます。心理学においては、これがどのように聞こえるかで人間の性格を判断するそうですが、もちろんうそです。ロールシャッハテストにおいては鼻をかんだチリ紙を広げ、そこにある模様で心理判断をするとのことですが、これももちろんうそです。

JBを語っていると、やはりいささか常軌を逸した世界に入りがちとなります・・・。気をつけねば・・・。

さて、その後も「Super Bad」、「Hot Pants」、「I'm a Greedy Man」、「Get on the Good Foot」、「King Heroin」・・・息切れ・・・と続きます。

JBの音楽は、一言で言えばダンス音楽です。踊りのための音楽。キャメルウオーク、ブーガルー、マッシュポテト、アリゲーター、ゴーゴー、モンキー、ロボットなどなど・・・。マイケル・ジャクソンで有名になったムーンウオークや、片足移動、又割りなども、JBが最初です。あの「Sex Machine」だって、「動かずに、その場に留まって、手のひらを使う、こんなふうに、どうだい、これがダンスというものさ!」というカンジの曲なんです!ゴッキゲンですね!
このようなダンスビートを作り出すために、彼は自分の専属バンドを持ってました。それがJBs。JBsの役目は、ただひたすらダンスビートを作り出すこと。その動きを続けることで酩酊に至るような、大脳皮質を使うのでは無く、脳幹からのパルスにひたすら従う、そんな音作りを終生変わらず目指したのが、JBとJBsでした。
JBの音楽、鬱病の治療に有効であると、センセはまじめに思います(King Heroin を除いて。番外ですが、King Heroin って、MFSBのLay in Low を彷彿とさせます・・・。)。

「Please, Please, Please」や「It's a Man's, Man's, Man's World」などのようなバラード?的な曲もありますし、「King Heroin」のような、なんというんだろ、能楽の謡いのような、ある種の幽玄~恐怖~無常感を伴う名曲もありますが、基本、ほとんどの曲はダンス音楽。で、その音なんですけど、いわゆる「ファンキー」と呼ばれる音の元祖なわけです。じゃ、ファンキーな音って、何?

ファンキーという言葉をネットで調べても無意味です。いろいろ書かれてますが、説明のための説明で、要を得ません。要するに、JBの音の本質を捉えていません。仕方がないので、自分で考えました。その結果、以下の結論に達しました。

ファンキーって、「破調」のことです。「調和」の反対です!

メロディーはもちろんのこと、拍子の破調にまで至ります。小学校の音楽室には、「尊敬しなくてはならない」西洋古典音楽の偉人たちの肖像が壁にズラズラっと貼り付けてありますが、これらの西洋音階を徹底的に無視したリズムと音階を有する音楽は、全て「ファンキー」です!!!
Say It Loud-I'm Black and Proud」などは、リズム破調の典型です。徳島の阿波踊りでは踊り手のリズムの背後で三味線で拍子の異なる歌を歌いますが、あれも立派な拍子破調型ファンキーミュージックです。
岩手のさんさ踊りも、トルコの軍楽隊も、インド音楽も、みんなファンキーです!どうです、すごいでしょう・・・・・。

・・・・・いや、センセ、いたってまじめです・・・・・。

JBのダンス音楽は、その後のブラックパワー時代のファンキーミュージックを生みだし、さらにラップやヒップホップのインスピレーションとなり、マイケル・ジャクソンやプリンスに大きな影響を与えることとなりました。JB、マイケル、プリンスのお話は以前にしましたが、みんないなくなりました・・・。

本日は、レオン・ラッセルの死亡記事も新聞に載ってました・・・。レオン・ラッセル、この場には全く場違いな方ではありますが・・・。

昭和40年代:時代と音楽-14

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アメリカでトランプ氏が大統領に当選しました。
誰か予想していたヒト、いる?
センセは「んん~ん、イギリスのこともあるし、接戦だし、あるかも知れないが、ギリギリでヒラリーだろうな・・・。」ぐらいの感覚でしたが、多くのヒトもそうだったと思います。
ところが蓋を開けてみると、なナンとトランプ!!!
イギリスのEU離脱~ボブ・ディランのノーベル賞に続くサプライズではあります。

で、このブログは政治的には中立の立場を堅持しますので、トランプ氏に関してとやかく言うつもりはありません。それよりも、マスコミその他、各種専門家と呼ばれる人たちのバイアスというか色眼鏡というか偏見というか、自分たちが見たいもの聞きたいものそうであって欲しいもの=真実、という相変わらずの図式が今回ほど如実に現れた状況は近来なかったのでは?ということを指摘したいのです。
アメリカABCなどは開封直後にヒラリー70%で当選確実!なんて速報を出したところが程なく逆転のコメントを発表せざるを得なくなってうろたえることうろたえること・・・。日本国内でも事前にトランプ大統領誕生の可能性を指摘していた報道専門家は、センセが知る限りでは、木村太郎氏ただ一人というカンジでした。木村太郎がトランプ当選の可能性を指摘した時、同席していたアメリカ生まれの大学教授が気色ばって反論していたのが印象的でした。パックンも7:3でヒラリーと言ってたし、その他は推して知るべし・・・。
木村氏の場合、別にトランプ氏が大統領になるべきだと言っていたわけではなく、彼独自の現場での取材に基づいてそのような結論に至った、と述べたに過ぎません。既存のマスコミの取材の甘さを指摘した、とも取れる彼の予想でありました。

これは金融市場関連においても同様です。ごく一部を除き、株や為替などの専門家の大部分は、トランプ大統領当選による大幅なドル円~株価の下落を予想していました。
当初のヒラリー優勢の報によってドル円は¥105まで上昇しましたが、その後にトランプ優勢の報が入ると急落!一時的に¥101水準にまで到達しました。そこだけを見ると、彼らの予想は当たったかのように見えました。ところがその後持ち直し、¥103台で膠着。その後、トランプ勝利がほぼ確実視されるに従い、ドル円は下落するどころか急上昇!専門家の予想とは正反対の値動きを示しました。
その時センセが思い至ったのは、「ハハア、トランプといえどもとりあえず共和党。上下両院を共和党が占めたのだから、もはやねじれは無いわけだ!」という考えでした。当選前は、「TPP廃棄に象徴される保護貿易主義に陥ることにより、アメリカ発の世界不況がやってくる!」などと騒いでいた経済関連の連中でしたが、見事なまでに外しましたね!
今になってようやくトランプ氏の掲げる経済政策について本格的に考察しはじめているようで、法人税の大幅な減税策~インフラ整備のための巨大な財政出動~各種規制の大幅緩和策などを念頭に、「トランプ大統領下で米国経済は強くなる!ドル円は来年は¥120を回復する!」なんて言い出している始末です。

結局のところ、当初のドル円の急落は、多くの人々がトランプ氏の当選を予想していなかったので、不安感や不透明感からとりあえず市場から逃げ出した、ということに過ぎません。専門家の多くも、結局はトランプ氏の当選を予測していなかった=彼の経済政策についてまじめに考察していなかった=本当に当選したらビビるだろうから、とりあえずはドル円は下落だ!ぐらいのことだったのかも知れません。

でもそれって、専門家の態度とは呼べないです。

結局、マスコミ関係者と同じく、地道な事実の積み重ねではなく、自らの期待に基づいた「予断の世界」で生きていた、ということが露わになった出来事ではありました・・・。

ただし、現在の段階で彼らを非難するのはまだ早いのかも知れません。この先どうなるか、本当のところは誰にも分からないわけですから・・・。
また、彼らの判断のもととなった世論調査が抱える根本的な欠点こそに、原因を求めるべきなのかも知れません。結局のところ、ヒトの心が抱える闇などは、世論調査などの通り一遍のデータから読み解くことは不可能なわけですから・・・。


本日はここまで!
次回は、あの、「ケロンパ!~ゲロゲロ~!」のオジサンが登場します!

昭和40年代:時代と音楽-13

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またコケました・・・。
今回は、座位でステップに両足を乗せたまま、アイドリング速度でのフルロック8の字練習中に起きました。
車体をあまり傾けず、ほぼ垂直を維持しながら上記条件でのフルロックターンって、ナカナカのバランス感覚を必要とします。体の重心がうまく一致するとくるくるきれいに回れるようになり、それを維持したままくるくるくるくる回っていると、なんか、脳内でエンドルフィンが分泌されるのでしょうか、酩酊したように気持ちよくなってきます。
この状態を延々と続けていても練習にはならないので、一旦止めて最初からやり直す、という事を繰り返すわけですが、停止して次の動作に移行しようとしたその瞬間、いきなり左に「コテン」とコケました・・・。

今回はステップに両足を乗せた状態だったので、左足が車体の下敷きとなり、丁度くるぶしのところが挟まれてしまいました。でも、オフロードバイク用の頑丈なブーツを履いていたので大事には至らず、ま、ある意味、転倒バイク引き起こしの実地訓練とはなりましたが、ブーツがなければくるぶしの骨が粉砕されていた状況でした・・・。

前回の転倒から、低速~停止時の転倒は良くあること、そして低速~停止時であっても相応のダメージがあることを学びましたので、今回からしっかりとブーツを履いていたのが功を奏した、というわけです。
ことによると低速~停止時での転倒で頭を打つことなきにしもあらずですので、次回からはきちんとヘルメットをかぶって練習しようと考えてます。

さて、今回はオーティス・レディングです。
センセと同年代の洋楽ファンの間でその名を知らぬ者のないのが、オーティス・レディング。しかしながら、彼が世界的な脚光を浴びた時間は短いものでした。その理由は、ほどなく飛行機事故で世を去ったから・・・。

サム・クックにあこがれてショービズの世界に飛び込んだオーティスでしたが、そのうたいっぷりは大きく異なり、シャウトを駆使し、情感をたっぷりと入れ込んだ、極めて黒人色の強い音でした。
あのような情感たっぷりの歌い方は、当時の南部系黒人ミュージシャンの間では結構あたりまえに見られますが、オーティスの場合はやはり「出来」が良いことに加え、黒人音楽に影響を受けた白人ロックシンガーらを一般の白人社会が受け入れたことによって、社会全般がアクの強い黒人音楽を許容できるほどに成熟しつつあった時期に登場したということも、彼の成功の理由の一つだと思います。
初期の代表作には「These Arms of Mine」や「I've Been Loving You Too Long」などがあります。

同時代の黒人歌手にエタ・ジェイムズがいますが、彼女の代表作「At Last」も非常に出来の良い情感たっぷりの歌で、個人的には、この60年代初期の黒人音楽が持つ、なんていうか、「攻撃性に転化されない抑圧された情念の発露」ともいうべき、真の「ソウルネス」が込められた歌が好きですね!
これが後にブラックパワーの時代になりますと、歌にトゲトゲ感が満ちあふれるようになり、攻撃性も強くなっていきます。ファンク時代の到来です。個人的には、これもまた好きですけどね!

オーティス・レディングは、その後もヒット曲を連発します。アレサ・フランクリンがカバーして大ヒットした「Respect」、ライブでの歌唱が有名な「Try A Little Tenderness」などがあります。そして1968年、突然の飛行機事故でこの世を去った翌年、あの「The Dock of The Bay」が、ビルボードヒットチャートでトップを飾ることとなるのです・・・。

ということで、オーティス・レディングが活躍した期間は短いものでした。けれども彼は黒人ミュージシャンを中心とする多くの人々の心に残り、後には彼に捧げる歌、その名も「オーティスに捧げる歌:A Tribute to a King(ウイリアム・ベル)」までできたほどでした。

昭和40年代:時代と音楽-12

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センセの肉離れ、9割ぐらい治ってきました。でもまだ完全じゃない。
で、リハビリを兼ねて、研究室の駐車場で、引き回し、低速フルロックのUターン、フルロックの8の字、などの練習に励んでます。

本日は文化の日。

まずは朝一番に一昨日の実験結果を測定し、動物室の加湿器に水を補給後、バイクのお稽古。
右回りがやや苦手なので、くるくるくるくるフルロックで右回りしてたら目が回り、気持ち悪くなった・・・。
これを延々と2時間ぐらいやってた・・・。
それを地元のおっさんが変な顔してじっと見てる・・・。
孫を連れたおばあさんがかわいい孫に変なモノを見せまいとそそくさと通り過ぎる・・・。
そのうち地元のひまな連中がゴザ敷いて酒飲みながら見物に来るような気がする・・・。


さて、今回はアトランティック系R&Bについてお話します。
前回モータウンの際も吐き出し足りなくって欲求不満なんですけど、あんましマニアックになってもいけないと思うので、ほどほどにしときます。

60年代初期のモータウンを引っ張っていたのがジャッキー・ウイルソンだとすれば、当時のアトランティック系サウンドに代表される南部R&Bシンガーの雄がサム・クックとレイ・チャールズ。
個人的な好みから言えば、サム・クックの歌って、あんまり黒人らしくなく、サラっとしてるので、好きじゃない。顔もにやけてるし・・・。でも、その後のオーティス・レディングなんかに大きな影響を与えているので、言及しないわけにはまいりません。でも、「大きな影響を与えた!」で止めにしときます・・・。

個人的にはレイ・チャールズの方が圧倒的に好きですね!

レイ・チャールズの名作は数多いですが、代表作の一つに「Hit the Road Jack!」があります。内容は夫婦ゲンカみたいなものなんですが、黒人音楽では夫婦ゲンカがよく取り上げられます。ブルースなんかにもよく登場します。基本的に、稼ぎのない飲んだくれ~麻薬中毒~浮気三昧みたいなろくでなしの亭主(あるいはいわゆるパートナー)に対して女房側から三行半を書く、みたいなカンジですが、なかには相当深刻な内容のものまであります。

日本の歌謡曲で夫婦ゲンカを扱ったものって、聞いたことあります?

たぶん、アメリカで黒人らが置かれている現状を反映するもの、あるいは反映したものと思いますが、興味深いところです。

さて、サム・クックを「くさした」んで、償いの意味も込めまして、オーティス・レディングのお話をします。

オーティス・レディングが日本で有名になったのは、初期のビートルズ旋風も一段落し、フラワームーブメントと呼ばれる若者文化が世界中に広まり始めた頃です。前回指摘したように、ビートルズが世界を席巻する中で唯一対抗していたのがモータウン系の歌でした。おそらくこれに触発されて南部系のR&Bが白人間で注目されるようになり、日本にも飛び火したんだと思います。
この頃は、ロックミュージックの間でも、これまでのロックンロールやリバプールサウンドから、より過激な音やサイケデリックなもの、あるいはジミヘンやジミー・ペイジ、エリック・クラプトンのようなギタリスト、さらにはジャニス・ジョプリンに見られるように、よりヘビーかつブルージーな音作りに多くのロックミュージシャンが傾注していた時代ですので、従来ほとんど黒人間でしか聞かれていなかった「より本物の」ブラックミュージックにこれら白人ロック系の人々が注目し、結果、南部系R&Bが世界的に脚光を浴びたのだと思います。

当時のアトランティックレーベルでのドル箱には、「Hold on, I'm Comin'」や「Soul Man」のヒットを飛ばしたサム・アンド・デイブ、「小さな願い:I Say a Little Prayer」、「Respect」、「Baby I Love You」、「Think」・・・あ~~~もう書ききれない!のアレサ・フランクリン、「ダンス天国:Land of 1000 Dances」、「Mustang Sally」、「In the Midnight Hour」・・・やっぱり書ききれない!のウイルソン・ピケット・・・・・・・・

ドル箱に加えてスマッシュヒットの連中を書き出したらもう止まらなくなるので、さっさとオーティス・レディングに移りたいのですが、でも、もすこし書きます。

「男が女を愛するとき:When A Man Loves A Woman」のパーシー・スレッジ、「Green Onions」のブッカーT・アンド・MGs、「Tighten Up」のアーチー・ベル・アンド・ドレルズ、「Rainy Night in Georgia」のブルック・ベントン・・・・。

・・・・・・ゼイゼイ・・・・・・・

まだまだいるけど、とりあえずここまで!!!

昭和40年代:時代と音楽-11

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当時のアメリカの黒人ポップ音楽、R&Bとかソウルミュージックとか呼びますが、R&B(リズム・アンド・ブルース、あるいはアール・アンド・ビー)とソウルミュージック(あるいは単にソウル)の違いって、あるのでしょうかね?ナンかうるさいヒトは使い分けているようですけど、センセらの世代は当時、単にR&Bって言ってました。その後、ブラックパワーの時代になって登場してくる新世代の黒人ポップ音楽の事をソウルと呼んでました。
ピョンヤンはかんけーねーです。
でも、例えばアーサー・コンレイは「Sweet Soul Music」なんて歌を67年に歌ってますし、ウイルソン・ピケットなんかも「ソウルソウル」とはよく言ってましたが、当時の黒人歌手が「R&B」なんて言ってるのを聞いたことないような気もします。

ま、いずれにしましても、当時の「日本人」は60年代の黒人ポップ音楽のことをおしなべてR&Bって言ってましたので、ここでもこの言葉を使っていきます。

アメリカ北部の自動車都市であるデトロイトで生まれ育ち、一般の白人にも受け入れられるような音だった事から、モータウンサウンドを「北部のR&B」、そして一方の雄である、よりブラッキーなアトランティック系サウンドを「南部のR&B」と分けたりします。アトランティックというのはレコード会社の名前で、所在はニューヨークにあります。
両者の音の違いは明らかで、「これぞモータウン!」というような特徴的なリズムにポップ度の高いメロディーを乗せたモータウンサウンドに対し、「シャウト」唱法を駆使しつつ、より黒人度の高い音で売り出していたのがアトランティックでした。
アトランティックというのは単なるレコード会社の名前ですので、この会社に属していない南部系の黒人歌手もたくさんいたわけですが、ともかくも、「モータウンサウンドではない、ブルースやゴスペルの影響を強く引きずった、より黒さの強い音」はみな「アトランティック系の音」と、少なくとも当時は認識されておりました。

ここではまず、モータウンサウンドについて語っていこうと思います。

初期のモータウンを代表する歌手が、ジャッキー・ウイルソンです。ジャッキー・ウイルソンの曲って、あまりその後のモータウンサウンドを彷彿とさせるような音じゃないんですけど、ともかく一時代を築いた歌手であることに間違いはありません。代表曲には「Higher and Higher」があります。1977年のリタ・クーリッジのカバーで知ってるヒトもいると思います。両者の雰囲気は全く違うけど・・・。

ちょいと余談ですが、アメリカの曲って、カバーがやたらと多いですよね!?カバーの方が有名な曲もしばしばです。日本の歌謡曲なんかではあまり見られない現象ですが、何でですかね?

モータウンがモータウンらしくなってきた当時の最大の立役者が、スモーキー・ロビンソンとミラクルズです(当初はThe Miracles)。「Shop Around」、「You've Really Gotta Hold on Me」などが初期の代表作で、「You've・・・」はビートルズがカバーしてます。その後は「Going to a Go-Go」や、「The Tears of a Crown」などのヒットを連発します。彼らのスタイルは、その後に続くテンプテーションズやフォートップスなどに引き継がれ、典型的なモータウンスタイルの基礎を作ることとなりました。

初期の女性陣には、あの有名な「Please Mr. Postman」のマーベレッツがいます。彼女たちの後には、マーサとヴァンデラス、シュープリームスと続きます。
1965年には「My Guy」のスマッシュヒットを飛ばしたメリー・ウエルズ、その後70年頃からは、シュープリームスから独立したダイアナ・ロスが活躍することとなります。

モータウンサウンドの全盛期って、ヒトによって意見が異なるでしょうが、個人的にはやはり、テンプテーションズ、フォートップス、マーサとヴァンデラス、シュープリームス、マービン・ゲイらが活躍した1965~69頃だと思います。思いつくままにヒット曲をあげても、テンプテーションズの「My Girl」、フォートップスの「I Can't Help Myself」、マーサとヴァンデラスの「Heat Wave」や「Dancing in the Street」、シュープリームスの「Stop! In the Name of Love」や「You Can't Hurry Love」、マービン・ゲイの「悲しいうわさ:I Heard It through the Grapevineなどなど、紙面の関係上?ホンの一部しかご紹介できませぬ・・・。
「悲しいうわさ」はグラディスナイト・アンド・ピップスがオリジナル(1967年)ですが、マービン・ゲイの方が有名かつ(個人的には)出来が良いと思います。その後、クリーデンス・クリアーウオーター・リバイバル(CCR)がカバーします。

大体こういう雰囲気のまま、世情はウッドストックへと向かうこととなります。注意すべき点は、モータウンサウンドにはビートルズもローリングストーンズも、その他のロックもましてやフォークにおいてをや、影響力を全く及ぼすことはなく、モータウンサウンドはあくまで徹頭徹尾モータウンサウンドであり、ビートルズが世界を席巻した当時、ほとんど唯一これに真っ正面から立ち向かい、しかもしばしば勝利を納めたのがモータウンサウンドであった、ということなのです!

おう、なんだか熱のこもった締めくくりですね!

本日はこれまでどす!

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