中山博士の横顔 その-6 世田谷区豪徳寺時代-3

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続きです。

おそ松くん以外で当時の小学生に大きく影響を与えたマンガは、忍者マンガでした。忍者マンガと言えば、まずは少年サンデーの横山光輝の「伊賀の影丸」が真っ先に記憶によみがえりますね!これに加えて白戸三平の「サスケ」、「ワタリ」、「忍者武芸帳」、「カムイ伝」、「カムイ外伝」と続きますね。小学生としては、さすがにカムイ伝あたりは難しくて、これを全巻読みこなしたのはもっと先のこととなります。

小学生的には伊賀の影丸の「木の葉隠れ」あたりが無難なところでして、豪徳寺の境内は秋ともなりますとケヤキの落ち葉が堆積しますので、これが「木の葉隠れ」の絶好の材料となるのですね!他には手裏剣を用意しなくてはなりませんが、これはノートをこっそり破って(こっそり破らないと小学生の立場ではお母さんに叱られるからです)これを折って手裏剣にするのですね。しかしながら一個や二個の手裏剣では使い物にならないので、たくさんのノートを破る羽目となる訳です。その後の始末はご想像通りの結末となる訳で御座います、、、。

白戸三平の忍者マンガは誠に「科学的」でして、様々な術に関して逐一解説してくれるので、小学生としては大変有り難かったですね。例えば「土遁(どとん)の術」では「背中に石綿で出来たマントを羽織ってその上で火を燃やしながら暑がっている振りをしつつ地面に穴を掘り、穴の底に逃げ込む」わけですね。瞬間的に。一見身軽な忍者ですが、どとんの術を一発やるだけでも少なくとも石綿作りのマントを常日頃から携帯していなくてはならない訳で、まあ大変苦労の多い術ですね! ともかくも、どとんの術を一発行うと、その後、家に帰った時にはどのような目に遭うか小学生でも大体想像出来ますので、これはほとんど行われる事はありませなんだ、、、。やっぱり木の葉隠れと手裏剣一本槍でしたね、当時の少年忍者としては。

関谷ひさしの「ストップ!にいちゃん」、桑田次郎の「エイトマン」、ちばてつやの「紫電改のタカ」、小沢さとるの「青の六号」と「サブマリン707」、貝塚ひろしの「ゼロ戦レッド」、石森章太郎の「サイボーグ009」などなど、、、。

テレビで初めてアニメ動画が出来たのもこの頃で、これは皆さんご存じの「鉄腕アトム」ですね。鉄腕アトムの動画は初回より大変出来の良いもので、現在見ても違和感が全くないものでした。少々遅れて「鉄人二十八号」が登場しますが、小学生の目から見ても出来は劣っていましたね。さらに「おそ松くん」も動画となりましたが、これはさらに悪かったですね。「風の藤丸」は良かったです。「フジサ~ワ~、フジサ~ワ~、フジサワヤ~ク~ヒ~ン」というフレーズが耳に残ります。いきなり動画として登場した「オオカミ少年ケン」も大変出来が良かったですね!おまけで付いているケンのシール欲しさに、飲みもしないのに森永のミルクココアを買ってもらった小学生は大勢居たかと思います。その後は柱やらタンスやら冷蔵庫が「ケン」やら「ジャック」やらのシールでべたべたとなったのも、言うまでもありません。大変残念な事は、サブマリン707の動画が出来ると言う情報が少年サンデーに載りまして、これはファンとしては大いにワクワクして待ち望んでいたのですが、結局放送しなかった事ですね。いったい何が問題だったのでしょうかね?未だに謎です。

結局センセはマンガ好きが高じて、その後、親にせがんで石森章太郎の「漫画家入門」、「続:漫画家入門」という本を買ってもらい、いっぱしにケント紙やらGペンやら墨汁やら揃えて自作のマンガを色々描きちらかして、「将来の夢:漫画家になること!」などとほざく事になるのです。

 

 

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このページは、喜源テクノさかき研究室が2011年12月23日 16:42に書いた記事です。

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