2010年12月アーカイブ

食用微生物のお話 その五

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なんとか今年中に続きを書くことが出来ました。「その四」の続きです。

さて、我々が普段食べている食事の中には、ビタミンやミネラル、ポリフェノール類などが多く含まれている食物があります。これらの物質は、抗生物質やステロイド、抗がん剤などのような強烈な作用はありません。しかしながら、昔の船乗りがしばしばかかったと言う壊血病や、昔の日本人に良く見られた脚気などは、これらのビタミンの欠乏によるものであることはよく知られています。従ってこれら食物由来の物質が欠乏することによって「病気」になりますので、これを補った時点でその補填に使われた食物は、すでに「医薬品」となります。何故ならば、壊血病も脚気も「病気」であるからです。従って壊血病にかかったヒトがミカンを食べて治癒した場合、ミカンは医薬品と見なされる訳ですから、ミカンは医師の処方箋無しで販売してはいけないはずです。脚気も同様で、白米を食べて脚気になったヒトが玄米を食べて治癒した場合、玄米は医薬品となるわけです。

なんか可笑しいですよね?

結局、食物と病気とは密接に関連しており、同時に食物が医薬品と同様の働きをする場合がありうる、と言うとっくに分かっている事をくどくどお話したに過ぎません。

お米と脚気の例えが良く分かりやすいのですが、そもそも「食物」というもの、特に野菜や穀物などの農産物は、ヒトが食べやすいように、過去数千年かけてご先祖様が営々と改良に改良を重ねてきた代物です。これらの農産物の原種は、たやすく想像出来る通り、現在の我々が食べたとしたらとても食べられる代物ではありません。ほんの数十年前の野菜ですら、我々大人が食べれば懐かしい、美味しいと感じるものであっても、現代の子供達にとってはとても食べられない、と言うケースもままあるようです。その最大の理由は、野生種、或いは野生に近いものであればあるほど「えぐみ」や「苦み」が強く、反対に「甘み」が薄くなる為です。しかしながら、例えば抗酸化能の強いポリフェノール類などは将にこれら「えぐみ」の主体である事例が多いのです。消費者に買ってもらえるように生産者は長きにわたってこれらの「えぐみ」を出来うる限り少なくし、反対に「甘み」を強くし、より柔らかくなる様に改良に改良を重ねてきました。その結果、現代一般的に得られる農産物中の「機能性物質」は、本来あるべき量から大きく減少したものとなっております。これに加えてヒトは収穫物をそのままの形で摂取することは最早不可能に近くなっています。典型例がお米で、確かに玄米の方がビタミンB1など、栄養価に飛んでいます。しかしながら人間は白米の方を好みます。より甘くてより柔らかいからです。その結果、仮に副食が無いと仮定した場合、ビタミンB1欠乏による脚気になります。ここからが本番です。

このような状況で取り得る選択肢には、最低二通り考えられます。一つは無理して玄米を食べること、もう一つは、美味しい白米を食べながら、玄米中の栄養素を別にして摂取する方法です。原理的に、健康への影響は同じとなるはずです。後者の場合、例えばビタミンB1をカプセルに詰めて摂取することとします。その場合、「健康食品悪玉説」の論者であれば、食物中の成分をカプセルに詰めて摂取するというのは「罪を恐れぬ悪魔の所行」なのですから、当然やってはいけないことになります。

皆さんはどう思われますか?

センセは馬鹿馬鹿しいことであると思います。いったい何処に「健康食品悪玉説」の根本的間違いがあるのかと言うと、「食物」と「人間の進化」と「食物の進化」と「製品と販売方法の区別」と等々、そもそも議論すべき内容を構成する概念に対してあまりにもナイーブかつ「深く考えずに多数派につく」と言う態度によるものであると考えます。

今回は玄米を例にとりましたが、次回はもう少し例を挙げて、より具体的に話していきたいと思います。

食用微生物のお話 その四

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なかなかブログの更新が出来なくてすいません。普段は仕事で書く暇が無いし、週末は他のことで目一杯でこれまた不可能。で、祝日祭日を利用してちょっとずつ書き足しています。今日は平成22年12月31日(金)、すなわち今年の大晦日。ただいま午後三時半であります。早めのお風呂を浴びて、夕食までまだ時間があるので、これを利用して書いています。お題はこの前の続きの「人間は自分が動物であることをすっかり忘れてしまったのでは無いのか?仮説」です。

中山センセは朝起きると、まずこゆ~いコーヒーを作って、それを啜りながらたっぷり一時間かけて、The Daily Yomiuri を読みます。それが終わると、朝食や昼食の時間に日経新聞を読みます。これらの新聞の日曜版とか家庭欄とかには必ず健康に関する連載ものが載っていたりします。大概毒にも薬にもならぬありきたりのことしか書いていませんが、時々聞き捨てならぬことが書いてありますので、さすがに温厚なセンセでも、時折ツッコミを入れたくなります。

このような健康に関する連載ものでは、ほぼ必ず健康食品を悪玉に仕立て上げます。これはほとんどお約束と言っても良いぐらいで、書いてる本人達ははじめから自分を正義の味方の位置に置き、その位置を補強するためにも健康食品を悪玉に仕立て上げなくてはならない、と強い信念を持っているかのようです。そしてそのような連載のすぐ裏面にデカデカと全面広告で「ナントカペプチドが血圧に効く!」とか載っているのですからこの時点ですでに噴飯ものです。

もちろん新聞社は中立の立場ですし、また商売でもある訳ですからこのような現象もさして驚く必要は無く、むしろ言論が健全である証拠と言っても良いのですが、あんまりあからさまなので、時々本当に可笑しくなります。

ここでセンセがツッコミを入れたいのは、実はそういう新聞社の態度では無く、「健康食品悪玉説」を流布させる人たちの哲学に対してです。

センセを含めて食品科学に携わっている多くの研究者達にとっては、食品=単なる栄養という図式でものを考えている人たちは、すでに皆無だと思います。難しい言葉で「食品の三次機能」とも言いますが、おなかを満たし、体に基本的栄養を与える役割が一次機能、おいしさを追求するのが二次機能、そしてよりよい健康を追求したり、病気を未然に防いだり、或いはより積極的にある種の病気を食で直したりするのが三次機能です。「健康食品悪玉説」を唱える人には医師が多く、彼らが言うには、「食事には三次機能などは無い。仮にあったとしたらそれはすでに医薬品も同然であるから、食として食べてはいけない。それでも仮に食物の中に機能性のある物質があるとしたら、それは食物全体として食すべきもので、それを抽出し、カプセルの様な、食品とは思えない形態で摂取するのは言語道断、将に悪魔の所行である!」とでも言わんばかりです。

センセはこのような説が誠に噴飯ものであることをこれから証明しようと思います。

現在の医薬品には化学的に合成されたものが数多くあります。しかしながらこれらの合成医薬品も、過去に蓄積された数多くの天然医薬品の知識の結晶と言うべきもので、しかも未だに新たな医薬品が自然界からもたらされ続けています。おそらくまだまだ長い将来にわたって、新たな天然医薬品が見いだされていくことでしょう。これらの天然医薬品は、本来的には、ある種の植物や微生物、或いは動物の体などから抽出されます。例えばグリチルリチンという消炎剤として幅広く使われている物質は甘草という草から抽出されますし、抗生物質のペニシリンは青カビから、ウルソと言う胃腸薬は元々は熊の胆嚢から採取された物質です。

これらは単離精製した場合に効果がはっきりと現れるので医薬品として分かりやすい例ですが、必ずしも短期間では明白な効果をもたらさないけれども長期にわたって摂取することによって人間の健康に大きく影響したり、或いは将にヒトの恒常性(難しいですね!)の維持に役立つ様な物質も自然界には数多く存在します。このような物質は、これまで科学が十分に発達してこなかった時代には結局検出、証明することが不可能でしたので、「検出できない、証明出来ない=無いも同然」と言うおなじみの図式により無視されて来ました。けれども検出技術や実験技術の進歩のおかげで、これらの「穏やかな作用をもたらす物質群」にも、科学の光が当たるようになってきました。

そのような物質群の代表が、ビタミン類やポリフェノール類、食物繊維、微量元素類、そして食用微生物群です。そろそろお腹がすいてきましたので、この続きは後ほどに!ことによると、来年?

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