今月のウクライナ-173

さて、現在のイラン辺りで QR に分岐した P ですが、
Q の多くと一部の R は北上して北東部に向かった一方で、
多くの R は西進して欧州方面へ向かったようです※。
※一部の P も、Q と共に東進しているようです。

分岐年代は 2 万 7000 年くらい前から 4 万 5000 年前と、
研究者の間で隔たりがあるようです。
縄文人の先祖が日本列島にたどり着いたのを 4 万年前とすると、
やはり QR は新しい連中とは言えます。

で、Q がシベリアを東進して
氷河期のベーリング海峡を渡って北米大陸に到着した時期についても
従来は 1 万 6000 年前ころと考えられておりましたが、
数年前の足跡の発見から 2 万 1000~3000 年前と唱える連中もおり、
これも議論があるようです。
ここでは細かなところは置いといて、いずれにしましても、
到着した連中はどんどこ南下し、数千年後には
とうとう最終的に南米最南端のフェゴ島にまで達してしまいました。

フェゴ島住民.jpgフェゴ島の住民  ウイキより
Martin Gusinde - 新光社 編「世界地理風俗大系. 別巻〔第3〕」1931年発行https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1876894Världskulturmuseet, Göteborg: 006646, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=98509210による
フェゴ島の部族の一つ、セルクナム族=オナ族の家族

アメリカ先住民に関しては、北米ではその後に C2 の連中が混じり、
西部劇で有名なシャイアン族とかスー族とかになっていくのですが、
南米のインディアン=インディオは YDNA 的にはほぼ Q 一色ですので、
このフェゴ島住民の写真は
そもそもの Q の顔立ちを示すものとして重要だと思います。
今月のウクライナ-168」で Q は白人種の可能性を指摘しましたが、
この写真を見る限りは現在の欧州人種とは相当に異なります。
母親はオノ・ヨーコの妹みたいなカンジです。個人的感想ですが・・・。
セルクナム族の写真をもう一枚載せます。

セルクナム族の子供.jpgセルクナム族の子供たち  ウイキより
Template:Padre Alberto de Agostini, SDB - Libro Treinta años en Tierra del Fuego. p 306,Världskulturmuseet, Göteborg: 006632, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=6392929による
可愛いですね!
白人種よりも北東アジア人種の特徴がむしろより強く表れていると思います。

この写真が撮られたのが 1898 年頃とのことで、
当時のチリとアルゼンチン政府の弾圧が一層の激しさを増していた頃です。
先住民を文字通り狩猟の対象としていたようです。
オーストラリアのタスマニア島と同じです。

それでもクジラだけは許せない、とのことですが WWWWWWWWW。

カラパイアにもフェゴ島先住民の写真が多く載っているので、貼っておきます。
フェゴ島は南極大陸に最も近い寒い所ですが、彼らは、基本、裸族です。
シベリアからベーリング海峡を渡ってきたころの時代を
すっかり忘れてしまっているようですね WWW。




今月のウクライナ-172

さて、契丹についてお話する前に、
トルコ~モンゴル~ツングースに共通の YDNA のハプロ、C2 について
より詳しく突っ込んでいこうと考えましたが、
そうなりますと、
C2 に文化的に大きく影響を与えたと思われる N の話をする必要がありますし、
そうなりますと、
C2N の拡散により生じたシベリアの少数民族の話をしたくなりますし、
そうなりますと、
彼らに影響を及ぼした Q の話が必要となりますし、
そうなりますと、
アメリカ・インディアンに言及するのは必定、
ということとなりまして、
結局のところ、地球上の人類みな兄弟、という結論となりそうです。

で、N に関してはこのブログでも至る所で顔を出しているので
ここで詳しく彼らに言及することはありませんが、
Q に関しては「今月のウクライナ-100」でケット人について述べただけなので、
まずはこれをやっつけてしまいます。

基本的に、YDNA は分岐の古い順に A、B、C、D・・・と並んでますので
Q は比較的近い時代に分岐したハプロタイプということになります※。
※当初はアルファベット順にきちんと並んでいたのだと思いますが、
研究が進展するに従って古いのと新しいのと順番が変わったりして
現在では結構ごちゃごちゃになってます・・・。
O、P、Q、R という順番ですので、
QRP から分岐した、ということになります。
因みに R は、主として、いわゆる欧州の白人種を構成するハプロです。
これも以前の印欧語族の拡散の時にお話しました。

で、初めに簡単に QR の祖型である P について話しますが、
ウイキに載っている P の内容が少し可笑しいです。
というか、混乱します。
フィリピンのルソン島に住むネグリトの一種、アエタ族に
P* が高頻度で見られるとのことですが、
ウイキの K で調べると、
アエタで高頻度に見られるのは K2b であり、
アエタではその他にミトコンドリア DNA (mtDNA) の P が多く見られる、
と書いてあります。
YDNA P の祖型が K2b であり、これは、
ニューギニアに多く見られる MS の祖型でもあります。
つまり、YDNA の PMS と祖型を共有する、ということです。

従いまして、ウイキの K の項目が正しいとすれば、
アエタ族は P よりも古い系統であり、
ニューギニア高地人はネグリトから分岐した可能性が示唆されます。
その方が納得できます。

アエタ族の少女.jpgアエタ族の少女  ウイキより
https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=4267127による

一方で、ウイキの P の項目ではアエタは P* と書いてありますので、
P から QR が派生したとすると、
QR 共に例のスンダランド辺りが起源となり、
これを図示した YDNA マップもネットでありますが、
YDNA の K を調べると、
これは祖型の IJK から誕生したと書かれており、
K → P → QR の流れは
現在のイラン~アフガニスタン辺りで生じた可能性が指摘されてますので、
ウイキの P の項目は間違いなのか、あるいはたぶん
YDNA の分類はしょっちゅう変わるので、
未だ分類が未確定であったころのアエタの結果が P* として載っている、
あるいは mtDNA と混同してしまったか、
のいずれかであると思います。
P** は分類未確定を意味しますので、
前者が正しいかと思います。
で、これを混同したヒトがそのままマップを描いてしまった、
ということかと思いますが・・・。

一応、下に、個人的には比較的正しいと考えている YDNAマップを載せますので
ご覧になって下され。
但し、この図も C2 C3 となっているなど、2013 年に発表された図なので、
細部には何かと異論があるかと思いますが・・・。
個人的には、縄文人のハプロである D2 が中央アジア経由なので、
これに異議を申し立てたいです。

YDNA haplofroups.jpgウィキメディア・コモンズより
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:World_Map_of_Y-DNA_Haplogroups.png
細かくて見えないと思いますので、
是非、リンク先を開いて拡大して見て下され。

YDNA にせよ何にせよ、
新たな発見によってこれまでの風景が一変するのが人類学、
あるいは科学と言うべきか、
の宿命ですので、
知識を常に新たにする努力が重要であるのは間違いのないところですが、
同時に、
常に本質を見極めようとする意志を持たないと、
あれやこれや、
単に流行に振り回されるだけの人間となり終わり果てるのも明らかですので、
センセのようなおふざけたブログと言えども、
逐一書き足していくのはナカナカ難しい作業ではあるなあ、
とは感じています・・・。
楽しいけど WWW。


今月のウクライナ-171

今月のウクライナ-160」で
「最後の実験となるかも・・・」と述べたセンセですが、
先週はまたみっちりとマウスを用いた実験を 1 週間立て続けに行いました。
疲れました・・・。
で、結果ですが、んんんん・・・何とも・・・。
も少し詳しく結果を分析して、結論を出したいと思います。
事によるとまだしばらく実験が続く可能性も・・・。

さて、そうこうしているうちに世界情勢にも幾分の展開が生じてきました。
まず、激戦が行われてきたウクライナ東部のアウディーイウカですが、
陥落しました。
陥落、と言う物言いは可笑しいかもしれず、
「戦術的撤退」がむしろ適切だとは思いますが、
昔の日本軍の「転進」とは異なり、
文字通りの戦術的撤退なのだろうとは思います。
けれども、アウディーイウカがロシアの手に渡ったのは事実です。
アウディーイウカの突出部は、当初から、あまり戦略的価値は無い、
あれはロシア軍を引き付けて挽き肉の山を築く戦略だ、
とも言われてきましたが、
実際にそのような経緯をたどり、
刑務所からガンガン送られてきた囚人兵は文字通りに挽き肉化され、
同時に多量のロシア軍戦車~車両が屑鉄の山と化しました。
このようにしてロシア軍の相当数を東部に引き付けている間に
ウクライナ軍はドニエプル川を渡って橋頭保を設け、
南部攻勢を仕掛けていたわけですが、
如何せん兵隊~兵器~弾薬すべてが足りず、攻勢も停滞し、
結局はアウディーイウカ撤退のやむなきに至った、ということでしょう。
ロシア軍は、今後はアウディーイウカの兵力を他方面に向ける可能性もあり、
そうなりますとウクライナは南部橋頭保も放棄し、
東部戦線も、より西方に移動する可能性も生じます。

早急な弾薬の供給が望まれるわけですが、
共和党の反対により米国の追加資金供与が停滞しております。
弾薬不足はこれが最大の原因なのでしょうが、
独仏がウクライナと単独の安保協定を結び、
両国は軍備の追加支援を約束するなど、
良いニュースもあります。

軍事ではありませんが、
プーチンに対する最大の反対勢力のシンボルであったナワリヌイ氏が
収監されていた極北の監獄で死にました。
「突然死症候群」だそうです。
「ああそうか、突然死症候群だったらしょうがないよね?」
とは誰も思わないでしょうし WWW、
同時に彼の死がプーチンの再選を阻む可能性もないわけですが、
プーチン政権のイメージのダメージのダメ押しにはなるかと思います。
これだけダメダメが溜まっているプーチン政権に
もう一つダメを乗っけてもあまりインパクトは無いとも思いますが・・・。

それにしても、F-16 はいつ現れるのでしょうかね???






今月のウクライナ-170

一昨日の昼過ぎから坂城で降り出した雪は
昨日の朝には 20 cmくらいまで積もりました。
丁度 10 年前に降った大雪以来の久方ぶりの本格的な積雪です。
坂城ではこの時期の南からの雪を上雪(かみゆき)、
12 ~ 1 月の北からの雪を下雪(しもゆき)と呼びますが、
皆さまご承知の通り、
列島南岸を通過する低気圧と上空の寒気が出会って生じる上雪は
しばしば坂城地方までも入り込んで大雪をもたらします。
南からの雪ですので、湿った重い雪となります。
これに対して下雪の方は北からのサラサラの粉雪ですが、
妙高~上越~野沢あたりで大部分荷卸ししてきますので、
坂城ではあまり積もりません。
けれども下雪が積もる時はホントにシンから寒いときで、
葛尾城の山を越えてシンシンと侵入してくる雪雲が恐ろしいくらいです・・・。
これが一晩降るとフワフワの雪が積もりますが、
フワフワ過ぎて、雪合戦も出来ませぬ・・・。

10 年前の大雪に関しては、
過去ログ「学会報告-4」で文字通り報告してますので、お読みになって下され。

おかげで昨日の朝は自宅前で雪かき。
引き続いて研究所でも雪かき。
毎日雪かきすれば腹回りのアブラも少しは減ることであろうに・・・
と考えたくらいの運動量ではありました。

で、センセが雪かきしてる間の世界情勢ですが、
あまり変化は見られませぬ。
敢えて言えば、
ウクライナ東部戦線は膠着というよりもむしろ押され気味、
というカンジに見えますが・・・。
ロシア軍が戦車部隊を集めて大攻勢の構えを見せている、
との情報もあります。
ホントのところは分かりませぬ。

さて、C2 です。
東北アジアの C2 の拡大についてお話する前に、
過去ログの「今月の書評-85」以降を読んでおくと
より良く理解が深まると思います。
けれどもここで「今月の書評-85」の図で
訂正、というよりも修正したいところがありますので、
ここで指摘しておきます。
図では、右からツングース系、満州系、N 系・・・と書いてありますが、
この満州系という言葉は誤解を与えかねないなあ、と考えまして、
右からツングース-1 系ツングース-2 系、とした方が良いかなあ、
と考えてます。
というのは、
後に国や国を築いた女真(じょしん)こそが満州系なのですが、
彼らは図の右端のツングース-1 系に属している連中だからです。
女真系ではないツングース-2 系の連中を「C2 満州系」と書くのは可笑しい
と思いまして、この場で修正いたします。

また、「今月の書評-96」の地図ですが、
キャプションで「紀元前 1000 年頃」と書いてますが、これも可笑しいです。
センセが単純に間違えたのか、
あるいはウイキが間違って記載したのをそのまま引用したのか分かりませぬが、
この図は、たぶん、西暦 2~3 世紀頃の状況、と考えるべきかと思います。
ところが本文中では「箕子朝鮮(きしちょうせん)
紀元前12 世紀頃に建国~紀元前194 年に滅亡」と書いてありますが、
そうなると「西暦 2~3 世紀頃の状況」というのとも矛盾することとなります。
そもそもが
近年では箕子朝鮮の存在自体が疑われているわけですので、
あまりこの図と箕子朝鮮の項目は信頼しないほうが良いかと思います。
載せちゃって消せないので、ここで訂正いたします。

このツングース-2 系の連中ですが、
例の N 系の影響をずいぶんと受けている可能性もあり、
また、倭人~ヤマト人に対して大きな影響を与えた可能性もありで、
大変興味深い連中なのです。




今月のウクライナ-169

東北アジアの推移を色々調べているうちに
早くも 2 週間以上経ってしまいましたが、
その間の世界情勢、色々あったとも言えるし無かったとも言えるし・・・。

台湾の総選挙で独立派が勝利!
中国は米国大統領選挙までは取り合えず静観の構え!?
ロシア大統領選挙、戦争反対派の候補に一定の勢いが・・・。
プーチンはこれをつぶしにかかるのか?それとも
「ちゃんとした民主国家なんだよ!」
とのアピールを込めた「やらせ」か?
ヨルダン・シリア国境に展開する米軍基地がイスラム過激派から攻撃を受け
米兵数十名が死傷。バイデンは報復の構えを崩さず。
フーシ派による紅海上の船舶攻撃、中国は自国の船に被害が及ぶのを恐れ、
自制するようにイランに介入を求める。
インド洋の真珠の首飾り、モルディブの国会で、
中国かインドかを巡って大乱闘!
ま、昔はわーくにでもよくあった光景ですが・・・。
最近では令和お笑い組の大将ががんばってましたね WWWWWW。
スウエーデン、正式に NATO に加盟を果たしたおかげで
バルチック海は文字通りロシアの「死の海」と化す。
「♪ バルチック艦隊いつ出るじゃろか?」
「♪ 出られんけん出ん。出られりゃ出るばってん、出られんけん出ん!」
パキスタンとイランが放火を交える。
やっぱりイスラムって分からない・・・。
ミャンマー軍、少数民族連合軍に押されっぱなし!
民主派はこのまま力で押していく構え!
中国の介入はあるか!?
インドのインパールでアジア系の二つの部族が血の応酬!
多くの異なる部族で成り立つインド、
ヒンズー原理主義で治まるはずナシ!
ガザ地区の国連機関職員、多数がハマスの襲撃を助けていた!
イスラエルはアラブ人に変装して病院を襲撃!患者数名を射殺!
「おまえらもう最後の審判までやってろ!」
ゼレンスキー、軍最高司令官を解任!?
西側からの弾薬供給不足で真冬の戦線は文字通り凍り付く状況に!
加えて自軍の捕虜を載せたロシア輸送機を誤って撃墜!?
真相は未だ不明。
北のキムくん、「やるぞ、やるぞ、ホントだぞ!」・・・。
何しろロシアに弾薬を送りすぎて今現在自国内は空っぽなので
そうとでも言っておかないと不安で不安で・・・。
モディ首相、ヒンズー原理主義がここに来て鮮明に!
エルドアンのトルコといい、
イランを挟んで中東から南アジアにかけて政教分離主義国家は全滅・・・。
今年の秋には海の向こうに巨大なキリスト原理主義国家誕生の可能性も!
やはり「過剰なるリベラリズム」は反動を生むだけ!?

さて、次回以降はしばらく
東北アジアにおける C2 の連中による国家の興亡を見ていく予定です。


今月のウクライナ-168

地震から 2 週間たち、多くの関連映像が TV やネットに溢れている。
それらを見るにつけ、震度 7 の凄まじさが良く分かる。
地震、火山の爆発、台風、大雨、河川の氾濫、山崩れ・・・。
日本全国どこに住もうが逃れることのできない自然の猛威だ。
「もういいっ!」
とも言いたくなりますが、
こんな時にこそ神様が手を差し伸べてくれれば良いのですけど、
肝心な時に居ないのが神様、ということでして・・・。

米英軍、さすがに頭にきてフーシ派拠点を連日の攻撃。
フーシの連中、イランに焚きつけられてイキっているのは分かるけど、
少しは頭が冷えたかな?
それにしても、
イエメンとかソマリアとかスーダンとかニジェールとか中央アフリカとか、
一体なにが原因でそんなに延々と揉めているのか・・・。
貧する国はいつまでも鈍する、ということなのでしょうけど・・・。

さて、トルコ系~モンゴル系~ツングース系の三者は
押しなべて YDNAC2 に属します。
C2 は過去ログでもしばしば登場してますので、思い出してくだされ。
で、これら三者は言語学的にも一括りにされ、
言うところのアルタイ諸語に分類されます。
「私、ご飯を、食べます」の人々です。
C2 の出アフリカ以降の経路に関しては、
昔は中央アジアを横断して東北アジアに達したと考えられていました。
ウイキの ハプログループ C-M217 (Y染色体)の図でもそのように描かれてます。
けれども最近では、縄文系の D も含め、
基本的には東南アジア周辺(スンダランド)から北上したのでは?
という見解が増えつつあります。
以下のようなカンジです。

下の図で、満州あたりからカザフ方面への拡散が
トルコ系の西進を表現しているわけですが、
カザフから南方面、さらにはアナトリア方面への拡散が描かれてない・・・。
この理由を、トルコのイスラム化と結び付けて、今後お話していく予定です。

YDNA C.jpgYDNA C の拡散の経路と現在の頻度  Patagonian monsters より
Thank you very much!


で、この C2 の連中、トルコ~モンゴル~ツングースは良いとして、
北米インディアンにも多く見られる遺伝子タイプであることも
以前にお話しました。
で、トルコ~モンゴル~ツングースの連中ですが、
今月の書評-23」でもお話したように、
朝青龍や鶴竜のような顔つきの人々が本来です。
トルコと言っても現在のトルコ共和国の連中からは想像できないと思いますが、
何で朝青龍がエルドアンみたく変わってしまったのか、
話の流れの中でお話していく予定です。

で、C2 が東北アジア方面に来たのがおおよそ 3 万年くらい前と考えられ、
当初はマンモスなどの大型獣を狩っていたと思われます。
で、アジアの西方から来た YDNA の Q タイプの連中とシベリアで混じたのか
あるいは北米大陸に渡ったのちに混ざったのかは分かりませんが、
いわゆる北米インディアンの連中は、Q を主体として C2 が混じた人々、
ということです。
で、「今月のウクライナ-100」でお話したように、
シベリアの少数民族のケット人、彼らは Q の人々ですが、白人種です。
で、ここから面白くなるのですが、面白くないかもしれませぬが、
北米インディアンの顔って、白人 + 朝青龍、じゃないです!
独特です!

スー族の酋長.jpgスー族の戦士  ウイキより
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Portrait_of_Red_Bird.jpg


シッティングブルの写真.jpg
シッティング・ブルの写真  ウイキより
David F. Barry, Photographer, Bismarck, Dakota Territory
original period albumen print, Daniel Guggisberg historical
photographs collection,
https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=49833987による


で、「今月の書評-49」でも指摘したように、
C2 の連中が朝青龍顔になったのは比較的新しい時代で、
個人的にはトナカイの飼育によって寒冷暴露時間が長くなった結果、
強い淘汰圧がかかったから、と考えてます。
で、北米インディアンの場合は寒冷圧がかかる以前の C2Q と混ざった結果
このような独特の「威厳のある」顔つきとなったのでは?
と個人的に考えてます。
加えて、古代の Q そのものも
必ずしも現行の白色人種そのものではなかった可能性もありますし、
ベーリング海峡を渡った後の様々な環境に適応した結果としての Q
という可能性もあります。

では寒冷圧がかかる前の C2 はどんな顔だった?ということですが、
たぶん、台湾先住民のとある部族とか、
インドネシアとかマレーシアとかのとある部族とか、
言うところのオーストロネシア系に近い顔立ちだったのではなかろうか?
と、考えてます。
但し、オーストロネシア系の YDNA は O1a であり、
C2 とは系統が異なりますが・・・。

こんなカンジの人々です。

オーストロネシア系の婦人.jpgAcademic Accelerator より
https://academic-accelerator.com/encyclopedia/jp/austronesian-peoples

どこのなに部族か分かりませんが、
たぶん、台湾先住民の一部族の婦人だと思います。※
爪楊枝でシッシしてるんじゃなくって
タバコを吸っているのだと思いますが・・・。
※入れ墨の特徴から、タイヤル族だと思われます。

手と顔に入れ墨をしてますが、
八重山や沖縄の既婚の婦人も昔はしてました。
センセの父方の祖母も、手の甲に、
四角やらなんやらの幾何学模様の入れ墨をたくさん入れてました。

センセが小学校 2 年生のときに初めて石垣島に里帰りしたとき、
芭蕉布の着物を着たおばあちゃんがセンセの手を取って
「マーボー、よく来たね~~~♪」
と喜んでいたのをよく覚えています。
その時の手の甲の入れ墨も、大変よく覚えています。

台湾先住民の写真は「今月の書評-63」にも載せてますので
是非、参考にしてください。

で、今回は契丹(きったん)のお話をする前に、
行き掛けの駄賃で、
東北アジアの連中の素性について簡単に述べました。
因みに、日本人の間では C2 は非常に少ないです。
ここも面白いところなんだよね!


新年のご挨拶とお見舞い

令和 6 年、2024 年となりました。
皆さま明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願い申し上げます。

埼玉県越谷市の姉の家で元旦を過ごしていたセンセですが、
親戚一同お屠蘇気分で浮かれ始めていた矢先、
スマホがギャンギャン鳴り出してビックリして TV をつけたところが
衝撃的な映像が!
ほどなく姉の家もゆ~らりゆらりと揺れ始め、
天井の照明のヒモもゆ~らりゆらりと揺れ始め、
これがいつ終わるともなく続く・・・。
13 年前に感じた船酔い状態の再現だ・・・。

で、2 日には長野に帰宅すべく、大宮から新幹線「はくたか号」に乗ったが
長野~金沢間は臨時運休。
大宮駅、大混乱とまではいかなかったが、それなりの騒擾の雰囲気があった。

で、滞りなく上田に着いてジムニーを運転してアパートに到着し、
シャワーを浴びてお湯を沸かしてどん兵衛に注いで
箱根の状況を見るべく TV をつけたところ、
羽田の飛行場で大型旅客機が何故か燃えまくっている!!!
NHK の解説によれば、地震災害支援に向かう予定の海保の飛行機と
着陸態勢の日本航空の旅客機とがぶつかったとのこと!
JAL 機が瞬間的に火だるまとなって着陸する映像も出てきたが、
画面を見る限りは相当の犠牲者を覚悟していたところ、
けが人はあったものの、全員が無事に脱出できたとのこと!
奇跡だわ!

けれども海保の乗組員は多くが死亡し、痛ましい限り・・・。
能登の地震も時間が経つにつれて死者数が増え、
これも何とも痛ましい・・・。
今年は新年早々立て続けに悲運が重なり、この先どうなることやら・・・。

被災された方々、殉職された方々、心よりお見舞いを申し上げます。

今月のウクライナ-167

一昨日までの、あの生暖かい日々(一部の地域では夏日!)から一転して
本格的な冬が到来!
スキーヤーやスケートボーダーなど、
冬の到来を待ち望んでいた方々も多いのでしょうが、
「一年中アロハ着ていたい!」というタイプのセンセとしては、
これからしばらくはガマンの季節となります。
ついこの前まで暑くて暑くてヒ~ヒ~言っていたのですけどね!

ガザ地区では、イスラエル軍、誤って自らの人質を射殺してしまいました。
しかも白旗を掲げていたとのことです。
ま、第三者的にとやかく言うのは簡単ですが、
実際に目の前の敵と戦っている兵隊、
特に市街戦の最中では、
あっても可笑しくはない不都合な出来事、ということでしょうが・・・。
特にその前日あたりには瓦礫の陰に身を隠して撃ってくるハマスに
多数のイスラエル兵がやられているので、
特別に気が立っていたのでしょうか・・・。
撃った兵隊、いずれは軍法会議にかけられるのでしょうが、
無罪の判決が下るかと思います。
ネタニヤフ氏にとっては困難な戦いであるのは承知しておりますが、
人質を捕られているという事実をもう少し考慮に入れて
時間をかけても良いからより慎重に行動できないものか、
センセなどは思ってしまいます。
第三者的にとやかく言うのは簡単ですが・・・。

ウクライナ前線も膠着状態が続いてます。
ロシア軍の戦い方は酷いものですが、
やられてもやられても BK の一つ覚えのごとくに攻撃を繰り返してきます。
アウディーイウカ方面では、ウクライナ軍、守りに徹することに決めたのか、
逆に自分たちの防御陣地を固め始めているようです。
南のドニエプル川の橋頭保も、拡大の兆しが全くありません。
渡河時の犠牲も多い、との情報も入ってきます。
加えてアメリカ議会での共和党の反対で、ナカナカ予算が通りません。
西ウクライナの村議会では、議場で副議長が手榴弾を破裂させたという・・・。
例の F16 やエイブラムスは、一体どこで何をしているのやら・・・。

対するロシアも決め手が無く、無駄に兵を殺しています。
おかげさまでロシアの監獄はガラガラになりつつあるとか・・・
ネパールのグルカ兵まで投入しつつあるとか・・・
運よく死なずに除隊となった元殺人犯が地元に帰って
地元住民は戦々恐々としているとか・・・
色々な与太話が飛び込んできますが、
プーチンの再選は確実です。
来年のアメリカの大統領選に仮にトランプが参入可能であるとしたら、
彼が選ばれるのも確実です。
となりますと、来年の秋以降は、
プーチン、トランプ、キンペーの、三役揃い踏みの世界となります。
NATO 軍、臍を固めつつあるようですが、日本は?
来年の秋以降の「わあ~くに」の舵取りは、
どなたがおやりになるのでしょうかね?

さて、コルドバとバグダッドの栄華の時代までお話が進んできましたが、
ここで場面は一転して極東に移り、
しばらく契丹(きったん)のお話となります。
何故かって?
この先、お話は
1)イスラムの中央アジアへの波及
2)イスラム王朝の乱立
3)イスラムのインドへの浸透
4)セルジューク・トルコ
5)十字軍
まで一気にお話する予定ですが、
このためには西遼(カラ・キタイ)についてお話する必要があるからです!
ついでにちょこっとノルマン人にも寄り道します。
で、しばらくお時間を下され!
では!

今月のウクライナ-166

イスラエル軍、とうとうトンネルに海水を注入し始める!
ひゃあ~~~っ!!!
例え争っている仲とはいえ、
武田に塩を送った謙信のように、
人道的見地から言えば、
少なくとも浮き輪と水着、できればスノーケルセットくらいは
前もって送っておくべきだと思いますっ!・・・。

さて、アブドゥル・ラフマーン1世によって復興相成った後ウマイヤ朝ですが、
ベルベル系とアラブ系との対立などで結構ゴタゴタしておりました。
孫のアブドゥル・ラフマーン3世の時代には
これらの反乱軍や北方のキリスト諸国軍を打ち破り、
さらには対岸のマグレブの地に新たに生まれたファーティマ朝のカリフに対抗し
西暦 929 年、自らカリフの称号を名乗るようになります。
ここにイスラム世界は、
アッバース朝、ファーティマ朝、後ウマイヤ朝のそれぞれがカリフを起て、
分裂状況を呈することとなりますが、
ラフマーン3世は「イスラムの前にはみな平等」を全面的に掲げ、さらには
キリスト教徒やユダヤ教徒に対しても彼らを寛容に扱うなどして
アンダルシアをまとめ上げ、
最終的には「おれたちゃみんなアンダルシア人!」
みたいな雰囲気を作り上げることに成功したようです。
若いキリスト教徒にとっては先進的なアラブ文化にあこがれ、
アラブ風の衣装を身にまとい、アラビア語で話すなど、
いわゆる「アラビアかぶれ」の連中も数多くいたようです。
このようにアラブ化した連中のことを「モサラベ」と呼びますが、
今も昔も若い連中がその時々の主流に染まるのは世の常であるようです。
また、ユダヤ人なども寛容に扱われただけでなく、
彼らもまたこの時代のアンダルシアにおいては
特に学術の分野において大きな貢献をしたようです。
現在進行形の両者に聞かせたい話ではありますね。

但しこのような異教徒、特にキリスト教徒に対する寛容政策は、
時代が下るにつれて失われていきますが・・・。

で、ラフマーン3世は、前回お話したように、
東のバグダッドに対抗して学問や芸術にも力を注ぎ、
バグダッド政権が古代ギリシャの学問を
ことごとくアラビア語に翻訳していったように、
コルドバ政権はこれらをことごとくラテン語に翻訳していった結果、
ラテン語で書かれた古代ギリシャの学問は
ピレネー山脈を越えて欧州に流入し、
これらはその後のルネッサンスの礎(いしずえ)となっていきました。

今、ちょとふと思ったのですけど、
ローマ時代に使われていたのがラテン語ですし、
ローマ人は古代ギリシャの文化を引き継いだ連中ですから
古代ギリシャ文化がアラブ経由で欧州に還元されるのは可笑しい、
と感じるのが普通ですが、
これはやはりバチカンやビザンツによる欧州のキリスト教化によって
これらのローマ文化も自らの手でテッテ的に断裂~破壊されたため、
ということなんでしょうね。
どこぞの国の「文化大革命」とやらを思い浮かべますが・・・。

この地に西ゴートの蛮族が侵入する前はローマの統治下であったこの地は
ローマ式の農法で灌漑設備も整い、
豊かな農地が広がっていたようですが、
西ゴートの連中は木を伐り、灌漑設備を破壊し、全て草地にして
羊の飼育で生計を立てていたようです。
この点、イギリスや、あるいは
イギリス入植後のニュージーランドなどと同じです。

ゲルマンやアングロ・サクソンとは反対に、
イスラムの連中はシリアやエジプトの進歩的な農法をこの地に再導入し、
新たに網の目のような灌漑設備を整え、
オリーブはもとより砂糖、レモン、コーヒー、綿花などなど
数多くの農作物をこの地で栽培するようになりました。

因みに、アラビア語では
砂糖はスッカル、コーヒーはカフワ、レモンはリームーン、綿花はクトウヌン
と言いますが、これらは全てアラブ由来の作物です。
英語に取り入れられたアラビア語の一部、ということです。
アラブ原産というよりも、
この当時のアラブの地を通して入ってきた作物が、
その後、現在に至るまでに世界中に広がった、ということです。

興味深い話として、
敬虔なるイスラム教徒は日に 5 回の礼拝を欠かしませんが、
その都度、斎戒沐浴して身を清めるのが義務です。
もちろんいつもいつも沐浴とかできないと思いますので
一応これは「そうすべき」の話ではあると思いますが、
アンダルシアのイスラムの地には
数多くの公衆浴場が建設されたということですので、
イスラム教徒は清潔好きな人々であった(ある)のは確かなようです。
これとは対照的に、中世のキリスト教徒の間では
風呂に入って身を清めることはキリストに対して不敬にあたる
との考えが広がっていたらしく、
羊肉や豚肉を食らってただでさえ臭いのキツイ欧州人、
これが風呂に入らないとなると、これは最悪!
キリスト教徒がイスラム教徒をアンダルシアの地から追い出すようになる
いわゆる「レコンキスタ」の時代には
これらの公衆浴場はキリスト教の精神に反すると考え、
ことごとく破壊してしまったという・・・。

中世の欧州においては、この後に
黒死病が猛威を振るう時代がやってきますが、
衛生観念の違いが
このようなパンデミックの原因の一つにもなったのでしょうかね?

コルドバのメスキータ.jpgコルドバのメスキータ  ウイキより
Berthold Werner, CC 表示-継承 3.0,
https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=47616461による

メスキータとは、スペイン語でモスクのことです。
チキータとは、スペイン語で女の子のことです。
バナナや卓球でもおなじみです。
因みに、バナナもアラビア語由来の可能性が指摘されてます。
「そんなバナナ!」← 最悪



今月のウクライナ-165

前回、並びに「今月のウクライナ-159」の続きとなります。
ウマイヤ朝は北アフリカ・マグレブ地域へ怒涛の進軍を行いますが、
マグレブ総督のムーサーと部下のターリクはその勢いのままに海を渡り、
イベリア半島に上陸!
西ゴート王国を滅ぼしてしまいます。西暦 711 年のことです。
ムーサーはアラブ人、ターリクはベルベル人です。
因みにムーサーと言う名前はユダヤ教のモーゼに相当します。
実は、アラブのイスラム教徒の名前には、ユダヤ教やキリスト教と同じく、
旧約聖書から取られた名前が多いです。
ただ、発音が異なるので、ナカナカ気が付きませんが・・・。

同じ名前同士でケンカばかりしているという WWWWWW。

で、西暦 732 年、一旦「トゥール・ポワティエ間の戦い」で押し返されますが、
その後は半島の大部分を支配する時代が長らく続きます。
西ゴート征服後は、
財宝に加えて捕虜としたゴートの王侯貴族数百名を引き連れて
カリフの住まうダマスカスに凱旋したとのことです。

で、
イスラム教徒によりその大部分が支配されることとなったイベリア半島ですが、
ピレネーの南山麓一体にはキリスト教徒の小王国がいくつか残り、
イスラム国家に税金を納めるなどして何とか生きながらえておりました。

その後、
今月のウクライナ-161162」でお話したアッバース革命が起こりますが、
革命の嵐を逃れたウマイヤ家のオトコ、アブドゥル・ラフマーン1世
(=アブド・アッラフマーン1世)は何とか殺戮を逃れ、
少数の部下を引き連れて北アフリカからイベリア半島に渡り、
そこで自分の勢力を築き上げて在地のイスラム勢力と戦い、これを打倒!
西暦 756 年、コルドバに入城し、自らの王朝を打ち立てることに成功します。
これを後(こう)ウマイヤ朝と呼びます。

因みに彼の母親はベルベル人であったということです。

その後は
アッバース派の反乱軍やフランク王国のカール 1 世などとも戦いますが、
これらを全て打ち破り、
コルドバは、東のバグダッドと並ぶ空前の繁栄の時代を迎えることとなります。

アブドルラフマン一世.jpgアブドゥル・ラフマーン1世の像  ウイキより
Pablogilena - 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 4.0,
https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=11079817による