毎日相変わらずの猛暑ですが、
関東甲信越地方の梅雨明け宣言はまだ出されておりませぬ・・・
天気予報によれば、
確かに明日以降はしばらくぐずついたお天気となるようですが、
それでも暑い・・・
これで梅雨が明けたらどうなるのか・・・
センセのビールのエンゲル係数もうなぎのぼりだわ・・・
さて、トランプ氏による関税収入のおかげで
6 月のアメリカ国家税収はドドド~~~ンと増加しているようです。
で、いまだ目立ったインフレの兆候は生じていない・・・
腹が立ちますね WWWWWWWWW
でも、これからジワジワくると思いますけど WWWWWWWWWW
そんな中でトランプ氏、
ブラジルに対して一律 50% の関税をかけると発表した!!!
しかもその理由というのが、
現ブラジル大統領のルラ氏が
前大統領のボルソナロ氏を起訴したためだという WWWWWWWWWW
自分のファンだったボルソナロ氏を邪険に扱ったためだという WWWWWW
いや、いくら何でもそれはダメでしょ。
フェンタニルや不法移民の流入阻止とかで関税を課すというのも
なんだかなあと思われますが、それ以上に、
「自分のお友達を酷く扱ったので 50% だっ!!!」って、
急性脳内熱中症で脳みそが沸騰したとしか思われませぬ・・・
しかもブラジル貿易に関してはアメリカの方が黒字。
加えてアメリカン・コーヒーの好きなアメリカ人ですが、
コーヒー豆の輸入のおよそ 1/3 がブラジル産。
いくら「産業の自国回帰」を唱えるトランプであっても
自国でコーヒー豆を生産できるはずもない。
カンザス・ネブラスカでコーヒーの大規模生産を行えるはずもない。
わずかにハワイでは生産されているようですが・・・
で、コーヒー豆やカカオ豆の生産量減少の報道が頻発する近年、
そんな中で、
多くのアメリカ人が毎朝欠かさず飲む一杯のコーヒーの価格が
今後は 50% 近くも一気に値上がりする可能性が出てきた WWWWWW
アメリカ人、これは耐えられないでしょ。
ま、日本人としては、特にコーヒーの好きなセンセとしては、
新たな市場先として
ブラジル産コーヒー豆が日本に流入してくるのは嬉しいわけですが ♪
ま、個人的には、今回の問題に関しては、
久しぶりのタコ DEAL だと思ってますがね WWWWWW
さて、イラン革命=イスラム革命です。
前回お話したように、
1978 年に発生した反政府暴動は激しさを増し、
翌 1979 年 1 月にはパーレビ国王が国外に亡命することとなります。
結果、フランスに亡命していたホメイニ氏が帰国して政権を握り、
4 月には国民投票を行って、
ここに正式にイスラム共和国が成立する形となりました。
現在のイランで見られるように、この国家の体制は、イスラム教、
特にシーア派のイスラム教義に基本的に基づくものです。
すなわち、近代国家では必須だと思われてきた政教分離ではなく、
「教」が「政」に優先する国家体制です。
ハッキリ言って、「前近代的」な制度です。
イランの優柔不断さ、
何をしたいのか分からない矛盾だらけの基本政策、
危機に対応する能力不足などなどなどなどなどなど、
個人的には、これらはすべて、この、
「教が政に優先する体制」から来ている、
と感じています。
で、アメリカとイスラエルに対するイランの敵愾心の源泉ですが、
まずは前回お話した 1953 年の米英の陰謀によるクーデター、
これにより返り咲いたパーレビ国王による西欧化政策、
その西欧化政策の急進性に対する地方~宗教的保守派の反発、
その後に発生したイスラム革命とアメリカ大使館占拠事件、並びに
それに対するアメリカの不手際な対応、
さらにはその後に発生したイラン・イラク戦争において
当時のアメリカがイラク側に立ったことなどを考えれば、
帝国主義~植民地主義に対する反発が最根底にあり、
その後のイギリスの実質的な実力低下~アメリカの台頭から
当初の反英感情が反米主義へと変質していった、
という解釈は理解しやすいです。
では、なぜ反イスラエル?と言うことなんですが、
前回も述べたように、
イランがイスラエルを敵視する理由が今一つハッキリしない・・・
パレスチナと接するエジプト、ヨルダン、レバノン、シリアの国々が
実質的~民族主義的な理由でイスラエルを敵視するのは
非常に分かりやすい。
数度にわたる初期の中東戦争においては
これらの国々が主体となってイスラエルと戦ってきましたが、
イランも加わって一緒に戦った、というのは聞いたことがない・・・
聞いたことがないどころか、
イランは 1953 年、すなわち、あのクーデターの年、
他のアラブ諸国に先駆けてイスラエルと国交を樹立している。
前回も書いたように、
イスラエルのモサドがイラン情報部設立にも関与している。
こう考えてくると、やはり、反米が先にあって、
「アメリカの背後にはユダヤ資本がある」との考えから
反イスラエルという考えに傾いた、
ということでしょうか?
あるいはそうではなく、もっと単純に、
ホメイニ氏によるイスラム・シーア派の教義においては
「イスラエルは反イスラムだ!」という解釈が導き出されるため、
自動的かつ必然的に
「イスラエルはイスラムの敵だ!」という結果となり、
「教が政に優先する体制」のために、
これを一生懸命かつチマチマと実行する結果となってしまった、
ということでしょうか?
仮にそうであるとしたら、
以前にも述べましたように、
本来は基本的に領有権争い~土地の争いであった紛争に
宗教戦争のニュアンスを持ち込んで
より混乱の度合いを深めてしまったのがホメイニ氏、
という見方も出来るかと思います。
ホメイニ氏 ウイキより
不明 - 1, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=69862756による
いつもしかめっ面をしていました。
仮に存命であったとしたら、
トランプ大統領と会談する可能性もあるわけですが、
その状況をどなたか想像出来ますかね WWWWWWWWWWWWWWW
最高にエキサイティングな場面が現出するでしょうね WWWWWWWWWW
と言うか、トランプにとっては、
絶対に会談したくないタイプの御仁であるのは確実ですね WWWWWWWWW
ホメイニ氏の思想などはイスラム原理主義そのものとしか思えませんが、
アフガンなどの辺境の貧国などとは大きく異なり、
石油収入もあり、また、少なくとも 20 年くらいは
西欧的な自由を享受した経験を持つ国民よりなる大国であることを考えると、
前回も書いたように、現在のイランは、
せっかくの潜在力を生かすこともできず、
「ホメイニ氏の亡霊」によって、
何とも不安定な、
方向が定まらない状況に自らを追い込んでしまった国家である、
と言わざるを得ません・・・。
ここで一句。
ホルムズを
わたるタンカーかぢをたえ
行く方も知らぬシーアの民かな 雅仙
さて「今週の世界情勢」、大きな展開はありませんでしたが、
トランプ、しびれを切らし、
適当な数値を書いたお手紙を各国に渡すとのこと WWW
石破さん、取り合えず貰っとけば?
その後どうなるか、トランプ本人すら知らないだろうし WWWWWWWWW
で、例の「大きくて美しい法案」がかろうじて議会で承認されたのを受け、
イーロン・マスクが猛烈に反発!
自ら「新党」を作ると息巻いている・・・
センセとしては「いいぞ~~~もっとやれ~~~!!!」
というカンジかな WWWWWW?
大体あの国、本来は色々な意見があるはずなのに、
二大政党に分極されてしまっているのが自らの大きな足かせになっている・・・
アメリカ国外の住民から見れば一目瞭然なのに、
何故か改革できない・・・
加えて大統領の権限が巨大過ぎる・・・
あれくらい強大な権限を持たないと、やはり、
あれくらい大きな国は分裂する可能性があるのでしょうかね?
ある意味、インドなどは奇跡なのかもしれない・・・
今や人口は中国を抜いて世界一!
今年中には GDP も日本を抜くと言われている!
あれだけ雑多な民族と言語を包含する国家でありながら、
何とか民主主義を維持してさらに、
「一国」であることに成功している。
少なくとも今のところは・・・
毎回毎回莫大なお金が乱れ飛ぶアメリカの選挙戦。
わーくにでは
真夏の運動中に「うちわ」を配ったらしょっ引かれるという WWWWWW
どちらが「民主的」かつ「効率的」なのか、
微妙なところではありますね WWWWWWWWW
さて、イランです。
帝国主義時代のイギリスとロシアの確執から生まれた
グレートゲームに翻弄されてきた過去を持つ国です。
一般的に、北部はソ連の影響下に、
その他地域はイギリスの影響下に置かれたと考えられるわけですが、
油田の多くはペルシャ湾沿岸地域に存在します。
従いまして、これらの油田は、
イギリス資本のアングロ・ペルシャ石油会社によって開発されてきました。
で、前回述べた、パーレビ国王下のイランで首相となったモサデク氏ですが、
1951 年、石油資本の国有化を図ります。
たぶん、純粋に民族主義的な意思に基づく行動だと思いますが、
これにイギリスが反発!
当時のアメリカ大統領であるハリー・トルーマンの袖を引いて
一緒にモサデク首相を引きずり降ろそうと企むのですが、
逆にトルーマン氏に袖にされる始末・・・
この当時、極東の半島で非常に大きな有事が発生しましたので、
トルーマンもそれどころじゃない。
マッカーサーもそれどころじゃない。
で、大統領がアイゼンハワーに変わった 1953 年、
大統領アイクはイギリスの提案を了承し、
MI6 と CIA が結託してイラン国軍の将軍を焚きつけて
クーデターを起こさせた!
実際のところ、
モサデク首相は特にソ連寄りというわけではなかったようですが、
第二次大戦後の新興諸国の多くがそうであったように、
民族主義的~反植民地主義的であったのは確かです。
理想に燃えて国有化を断行したのだと思いますが、
残念ながらソ連 vs 西側の冷戦構造が固定化しつつある時代であり、
現実に朝鮮半島ではドンパチやっている最中でもあり、
アイクとしてはそのような構造の中で下した決断ではある、
とは思います。
但し、アイク本人も、後日、
自らのこの決断を悔やんでいたそうですが・・・
で、モサデク首相は失脚し、パーレビ国王が自ら舵を取る形で
イランの近代化を一気に目指す国家指導型の改革へと乗り出します。
政策の内容としては、
ヒジャブと呼ばれる女性の被り物を禁止したり、女性に参政権を与えたりなど、
イスラム色を大いに薄める解放政策を積極的に行っていきます。
教育にも力をいれ、
また、アメリカ資本も大きく流入し、
さらには石油価格の上昇に伴って歳入も増加し、
知識と技術と資金を獲得した新たな市民層も生まれるなど、
国力も大きく増していきます。
一方で地方~農村地域などではこれらの改革から取り残された人々も多く、
その多くが熱心なイスラム・シーア派教徒であり、
識字率も未だ低く、
隣国のトルコ共和国がまさにそうであったように、
イケてる人々とそうでない人々との間に大きな格差が生じてしまいました。
こういう風に見てくると、特に日本人を含む西側の住民としては
パーレビ国王の改革は大変良いもののように思われますが、
やはり「急激な改革」というものは、
たとえその内容がどれほど良いように思われても、
その「急激さ」そのものが嫌がられるのでしょうね。
特に経済的格差が急激に生じると、どうしても賄賂その他、
負の側面が表に出てくる・・・
また、長年にわたって生活そのものを律してきた宗教や慣習が
外部からの影響によって急激に変わるのも、ヒトとして耐え難い・・・
このような気持ちもよく分かります。
そう考えると、日本の明治維新は上出来です!
また、日本の明治維新や日露戦争の勝利が
北欧や西アジア~南アジアに及ぼした影響は有名ですね!
センセは毎週土曜日のお昼 12:00 は、
たぬきそば~冷やソーメンを手ずから作って
BS の「関口宏の一番新しい近現代史」を見ながらチュルチュルすすってますが、
今年からは、
あのウクライナ戦争で一躍「時のヒト」となった小泉悠氏、
相方としては岩間陽子氏が解説を務めておられます。
で、昨日は「日本海海戦」をテーマに語り、
先週は旅順から奉天会戦までを語っておりましたが、
両氏とも、
乃木大将とステッセル将軍の「水市営の会見」の歌を知らなかった・・・
センセは 4 番までなら全部知ってるのに・・・
で、あれだけ戦記に詳しい小泉氏でも知らないこともあるのだなあ~と、
ほんの少しだけしょうもない優越感を抱いたセンセです ♪♪♪♪
水市営の会見 ウイキより
中央、左から二人目が乃木大将、その右隣がステッセル将軍です。
不明 - The Japanese book "國の光" (The light of our nation) published in 1909, foto first published by 朝日新聞 (Asahi Newspaper), パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=307168による
YouTube の画面は「明治天皇と日露大戦争」ですね!
明治天皇役は嵐寛寿郎、いわゆる「アラカン」さんでした!
で、石油を国有化したことで
民族主義的な意識もより一層に高まったであろうイラン国民でしたが、
クーデターによってプライドが踏みにじられ、また、
クーデター並びに国王による改革の背後には
アメリカとイギリスが存在していることを知ったことから、
徐々に反米、反英感情が高まっていきます。
このような形で高まる反政府運動に対して、
パーレビ国王、CIA だけでなく、ナンと、モサドの手も借りて
これを弾圧し始めます。
石油の輸出で潤っていた財政ですが、
第一次オイルショック後の反動による価格低迷によって経済も怪しくなり、
不穏な空気が漂い始め、
アヤトラと呼ばれるイスラムの指導者たちも政府を攻撃し始め、
さらには
ムジャヒディン・ハルクのような社会主義戦闘集団まで現れるなど、
騒然とした世情の中で、
1979 年、センセの世代が目の当たりにした、あの、
ホメイニ氏によるイスラム革命が勃発することとなりました!つづく!
さて、「今週のイラン vs イスラエル/アメリカ連合」です。
イランはテルアビブに十数発のミサイルを着弾させることに成功し、
カタールのアメリカ軍拠点にも形ばかりに撃ち込んだので、
「我が国の大勝利じゃ ♪♪♪♪♪」と国内で宣伝しているようですが、
アメリカ側には事前に「どこそこに打つのでよろぴくね!」と
あらかじめ電話でお話をつけていたとのこと WWWWWW
制空権は完全に奪われ、
加えて自国の軍事指導者や核科学者あわせて数十人規模で爆殺され、
核施設には 14 発の GBU57 をぶち込まれ、
多くの戦闘機~ミサイル発射施設~その他を破壊され、
民間人だけでも数百人の死者を出しているにもかかわらず、
まことに能天気な「勝利宣言」ではあります WWWWWWWWWWW
つまり、イランが 根性ナシ であるのは明らかです。
地図を見るとナカナカ図体もデカい国ですし、
歴史を見ても、少なくとも古代は堂々とした国ではあったのですが、
実のところは、少なくとも現時点では、「張子の虎」にしか見えませぬ・・・
今回の「12 日間戦争」の前からすでに
イスラエルとアメリカに要人を殺害されてきたイランですが、
とにかく何もできない・・・
今になってモサドの協力者らをしょっ引いて処刑しているようですが、
ずっと緊張関係にある両国ですから、
もっと前から分かっていたんじゃないの?と言いたくなりますよね WWW
例のヒズボラのポケベル事件なんかがあったにもかかわらず、
何の対策もしてこなかった、ということですからね!
何もできないならば、
大人しく自国の経済的発展と地域の安定維持に邁進していればいいのに、
そうしない・・・
あれだけ油をもっているのに有効に活用しない、出来ない・・・
日本人だったら「ホントに MOTTAINAI!」と思いますよね WWW
油がたくさんあって有効に活用しない、出来ないもう一つの国家には
南米のベネズエラなんてのもありますが、
似た者同士でしょうかね?
ベネズエラは宗教とは無縁ですが、
チャペス時代の社会主義が未だに「心の足かせ」となっているようです。
イランにおいては、ホメイニ氏の亡霊が「心の足かせ」なのでしょうが、
自分の手下を使ってチマチマとイスラエルを挑発するのに余念がない・・・。
これではイスラエルもたまったものではないでしょう。
そもそも論として、
今回のガザ地区の悲惨さをもたらしたのは手下のハマスの連中です!
これを忘れてはなりませぬ!
もちろんそれとガザの現状とは別物ですが、
イスラエルとしては「堪忍袋の緒が切れた」ということで、
ここは徹底的にイランを叩いておきたいところでしょう。
一応、トランプが停止を「命じて」ますが、
来月初旬にも行われるであろうイラン/アメリカの協議が破綻すれば
再びイスラエルによる攻撃が始まるのは明らかで、
イスラエルのカッツ国防相は、
すでに戦闘再開に向けた指示を出しているようです。
で、イランの情けなさというか、いったい何をやりたいのか?と言おうか、
どうにもあのボヤっとした国が分からないセンセですが、
そもそも論として、
なぜあの国がアメリカとイスラエルを目の敵にしているのか、
少し調べましたので、お話しようと思います。
古代の中東に関しては「今月のウクライナ-33」辺りから、
古代イランに関しては、「今月のウクライナ-133~143」で
ササン朝を中心に述べてますのでご一読を!
その後「渤海」で止まっているのでホント、申し訳ないのですが・・・
ササン朝がアラブ・イスラムに滅ぼされたあとは
栄華を誇ったペルシャ文化は雲散霧消し、
代わってイラン人によるイスラム文化が花開くこととなります。
その後はトルコ系の王朝が入れ代わり立ち代わりこの地を支配することとなり、
13 世紀にはモンゴル、その後はチムールの支配下に置かれます。
16 世紀のサファヴィー朝を経て18~19 世紀にはガジャール朝が起ちますが、
いずれもトルコ系王朝です。
で、このイラン人の間に根強い反アメリカ感情ですが、
これの下敷きには、
19 世紀から 20 世紀初頭にかけてのアジアの動きに大きな影響を与えた
イギリス vs ロシアの対立、いわゆる「グレート・ゲーム」が、
多かれ少なかれ関与しているようです。
すなわち、伝統的に南下政策をとるロシア~ソ連に対抗して、
当時、インド~パキスタン~ビルマを植民地化し、
さらには中国にも触手を伸ばしていたイギリスは、
ロシアの南下政策を妨害するために
イラン~アフガンを中心とする中東~中央アジアを自らの影響下に置くべく、
策動を試みます。
結果、この当時のイランは、
ロシアの勢力圏とイギリスの勢力圏とに分割されてしまいます。
が、第一次大戦後、
イギリスは内戦に揺れるソ連の機に乗じてイランを保護国化!
これに怒ったイランの人々がイラン・コサック軍のレザー・ハーン大佐を立て、
彼によって 1921 年に起こされたクーデターによって、
イギリス、ソ連ともにイランから撤退することとなります。
で、1925 年、レザー・ハーンによって最終的にガジャール朝が倒され、
パフラヴィー朝が成立することとなりました。
パフラヴィー朝初代のレザー・ハーンは、
恐らくはトルコのアタチュルクに倣ってでしょうが、
イランの近代化に尽力し、
女性のヴェール着用の非合法化など、
反イスラム~親西欧的な政策を進めていきます。
が、トルコと同じく行き過ぎた嫌いがあり、
徐々に民衆の不満が高まっていったようです。
その後、第二次世界大戦中には再びイギリスとソ連の侵入を受け、
領土は分割されてしまい、結果、レザー・ハーンは王位を息子に譲り、
ここにセンセ世代が知るパーレビ国王が誕生します。
パーレビ国王 ウイキより
Ghazarians - http://www.pahlavi.org/, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=56835477による
正しい名前はモハンマド・レザー・シャー・パフラヴィーとのことです。
絵、ですかね?写真ですかね??それとも AI でしょうかね???
ホント、AI の登場で厄介な世界になりつつありますね!!!
戦中にテヘランで行われたテヘラン会談において
戦後のイランの独立、領土の保全~安全保障などが取り決められ、
ここにおいてイランは漸く発展の未来図を描けるかと思われましたが、
1950 年代初頭、
時のイランの首相であるモサデク氏がイギリス資本の石油施設の国有化を図り、
その結果、イギリスとアメリカの介入を招く結果となりまして、
ここからイランは迷走を始めることとなりました。つづく!
イスラエル軍は早くもガザを全面的に包囲し、
北部ガザ地区の一般住民に対して南部への退避を勧告しました。
ことによると、このブログが公開される頃には、
イスラエルの地上軍が北から怒涛の進撃を行っているかも知れません。
さて、そんなパレスチナの地ですが、過去ログのどこかで書いたように、
パレスチナ問題は本来的には領土問題であって、宗教は関係ありません。
従いまして、基本、同じアラブ人であることから
アラブ諸国がパレスチナ人に対して連帯感を共有するのは理解できますが、
どういうわけか、
いつのまにやらイランが全面的にしゃしゃり出てくるようになり、
ユダヤ教徒 vs イスラム教徒の図式が表面に出てくるようになり、
現在ではイスラエル vs イランの構図が中東最大の不安定要因となってます。
何度も述べてきたように、
イランは印欧語系のペルシャ人で、アラブとは全く関係ありませんよ!
現在の人々からするとイラン=イスラムは当たり前に見えるのでしょうが、
イランが現在のようなあからさまなイスラム国家となったのは
わずか半世紀ほど前の 1979 年のイスラム革命の時です。
当時のイランはパフラヴィー朝(パーレビ朝)と呼ばれる王政の時代で、
センセらの世代では、
イランと言えば「出光石油とパーレビ国王」というカンジでした。
パーレビ国王は西欧化~脱イスラム化~資本主義化を推し進めたのですが、
ナカナカ上手くいかず、逆に社会が不安定化し、とうとう内乱が勃発!
ムジャヒディン・ハルクなどの共産主義勢力も登場し、
スカーフを被った女性兵士などが実際にドンパチしておりました。
そういう中で、かの有名なホメイニ氏がイスラムの指導者として登場し、
ここに他派を押さえてイスラム革命派が勝利!
現在見られるような、
シーア派イスラム教の教えに基づく政治体制を確立することに成功しました。
当時の日本の我々から見れば、
まるで時代が逆戻りしているかのような感覚を覚えたものです。
当時の東京には、
不安定な母国から逃れて出稼ぎにきたイランの若者がたくさん居り、
上野の西郷さんに通じる階段には、
袋のようなジーンズをはいて繋がった眉毛をした多くのイラン人が
ひな壇の上をハトと一緒にたむろっておりました。
センセの M 大時代、隣の講座にイランから来た女子学生がおりまして、
常にスカーフを被って熱心に研究を行っておりましたが、
イスラムの教えにも熱心で、一日に 5 回の礼拝を欠かさず、
おかげさまで担当教授としょっちゅう揉め事を起こしておりました。
で、ある日のこと、
彼女が自分のアパートまで一緒に付き添って欲しい、家まで送って欲しい、
とセンセに頼んできました。
センセ、良からぬ期待を抱いて直ぐに OK したのはもちろんのことですが、
アパートに着いたら
「どうもありがとうございました」と日本語で言って、
そのままさっさと家の中に入って行ってしまいました・・・。
「お茶でもいかがですか?」
との言葉(あるいは more ?)を期待していたのですが WWW、
「アッラ~~~!!!」というカンジでした WWWWWW。
早い話が、女性が外出する際のイスラムの教えに従っていただけのお話です。
センセは信頼されていたのですね!
よく考えると、少し複雑な気持ちもしますが・・・。
で、革命後はやる気満々のサダムフセインとの間にイラン・イラク戦争が生じ、
同じイスラム同士でケンカするわけですが、
ほぼ同時期にはベトナムと中国が国境紛争を起こし、
少し前にはベトナムがポルポトのカンボジアに進攻するなど、
同じ宗教や共産主義を頂く国々の間での戦争が続いたことから、
当時の日本の多くのジャーナリストや思想家(大多数が左寄りの方々)が
戸惑うこと戸惑うこと!
そんな時代でした。
結局のところ、生物学や物理学その他の科学的基礎の理解無く、
単純に形而上学的な世界観の中でいくら議論を深めたところで
人間の行動を本当に理解することなど不可能ですよ!
というお話です。
で、大きく脱線してしまいましたが、
イスラエルやパレスチナとは無関係なイランが
なんでイスラエルにケンカを売りがちなのか?
一つには、そもそものイスラム革命の本質が
「アメリカ資本主義をイランから追い出したい!」
という側面が強かったことから、
アメリカ資本=ユダヤ資本という、
今でもよく耳にする陰謀論的な考えに基づき、
「憎っくきアメリカ人とユダヤ人は同じ穴のムジナじゃ!」と結論して、
イスラエルを敵と考えているフシがあります。
また一つには、
シーア派のイランの宗教指導者たちが「我こそはイスラムの盟主なり!」
と考えているからでしょうね。
要するに、スンニ派の牙城であるサウジアラビアとの宗教的な覇権争い、
ということです。
初期の中東戦争のころは、
ナセル大統領率いるエジプトがアラブ~イスラムの盟主というカンジでしたが、
イスラエルに負けてばっかりで懲りたのか、
エジプトは早々にイスラエルを国家として認めるなど、
最近のアラブ連盟は「イスラエルとは事を荒立てたくない・・・」、
という想いが見え隠れします。
で、これに代わってイランがしゃしゃり出つつある、
というのが現状なのでしょうけど、
イランもどこで間違えたのか、
お友達としてロシア、中国、北朝鮮とつるむようになってしまい、
「こんなはずじゃなかったのだが・・・」
というのが本音であるような気もします。
これら三国の共通点は共産主義~元共産主義国家ということですが、
イスラムと共産主義って、相性はどうなんでしょうかね?
何しろ共産主義は無宗教主義思想ですし、
無宗教のはずが指導者崇拝という一神教ですし、
偶像否定のイスラムですが、
レーニン~スターリン~毛沢東~キムくんに至る
ビッグサイズの銅像を拝まぬ人民は速攻で強制収容所行き!
という国々でイスラム教は成り立つのでしょうかね?
ま、サダムフセインも自分の銅像を拝ませていたわけですが WWW。
中国ではイスラム教徒のウイグル族が抑圧されてますが、
イランの宗教指導者は彼らに対する連帯感は皆無のご様子。
ナカナカ都合のよろしい方々のようです。
パーレビ国王の時代にアメリカから購入した F-14 トムキャット ウイキより
Shahram Sharifi - http://www.airliners.net/photo/Iran---Air/Grumman-F-14A-Tomcat/2397261/L/, GFDL 1.2, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=41501421による
懐かしい可変翼の海軍機です。
イラン・イラク戦争は、略してイライラ戦争などとも呼ばれてました。
傍から見ている限り、こんなカバカバしい戦争も無いもんだ、
と皆が思ってました。