日々のお話 の最近の記事

今月の書評-22

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さて、一応、縄文人のDNA 分析による由来について、お話しました。
この先さらにお話は続いていきますけど、一区切りということで、これまで参照してきた三冊の本について評価を下したいと思います。
「評価を下す」などというと如何にも上から目線で鼻もちなりませんし、素人のセンセが専門家の仕事に分け入ってああだのこうだの言っても「バッカじゃないの?」と反撃を食らうのが落ちですので、専門的な詳細に分け入る事はしません。
しませんが、何しろ表題が「今月の書評」でして、何らかの判定を下さざるを得ませんので、そこのところ、よろしくご了承のほどを。

で、いくつかの切り口に分け、それぞれで評価してみたいと思います。
まずは「読みやすさ」から。

評価その一:読みやすさはどう?

結論:DNA でたどる日本人10 万年の旅=DNA で語る日本人起源論>核DNA 解析でたどる日本人の源流

というのがセンセの個人的結論です。

読みやすさって、必ずしも「平易に書いてあれば読みやすい」わけではありません。
構成、文法的な正しさ、句読点の位置などなど、専門誌であっても一般的な読者を対象とする場合は、小説家並みの文章の推敲が必要とされると思います。
その点、前二者は構成もしっかりとしており、文体に外連味(けれんみ)がなく、読みやすいです。
一方、「核DNA~」の方はむしろ前二者よりも平易な文体で書かれておりますが、ありがちなんですけど、むしろそのために、ちょいと違和感を感じてしまいます。また、ペーボ博士のネアンデルタール人の本を多少意識しておられるのでしょうか、著者の研究室の研究員の苦労話なども織り込んでおりますが、読者としましては、少なくとも個人的には、興味のないことであります。
残念ながら、前二者に比べて「けれんみが幾分強い」ということです。

評価その二:内容の新しさは?

結論:核DNA 解析でたどる日本人の源流>DNA で語る日本人起源論>DNA でたどる日本人10 万年の旅

これは言うまでもないことです。日進月歩のDNA 分析技術の進歩ですから、記述が新しいほど内容的にも新しいのは当たり前です。
けれども古い技術を用いているからといって、必ずしもそこから得られた結果もまた古臭くて使い物にならない、というわけではありません。
このブログでも書いてきた通り、これら三者の結果があって初めて縄文人に対して有効な評価ができると思います。

評価その三:その他、気になる点など。

「核DNA 解析でたどる日本人の源流」に関しては、読みやすさのところで色々書きましたので、それで十分です。
DNA でたどる日本人10 万年の旅」に関しましては、いくつか指摘したい点があります。まず、「はしがき」のところで、一点、なんか、読んでてイラッ、とするような事が書かれてます。加えて、日本人の起源とは全く無関係な事柄に関して個人的意見を延々と述べたものを丸々一章設けています。センセはこの章、ガン無視しました・・・。
以上、古い遺伝子情報に基づいた起源論という弱点はあるものの、文章はしっかりしているし、構成もしっかりしていて良本なんですけど、ちょいとアクというか個性というか、が強いところがある、というのが、崎谷氏の著作に対するセンセの評であります。

で、結局、これらの欠点が見当たらない、ある意味最も「スッキリとした読み越し」を与えてくれるのが、篠田謙一氏の「DNA で語る日本人起源論」です。
一応、センセの一押し、としておきます。

もちろん日本人の起源の全体像を探るには、少なくともこれら三冊を読んでおくのがよいかと思います(できれば他の本も!)。

では、次回はアイヌ人と沖縄人について考察したいと思います。



今月の書評-21

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みなさまこんにちは!いかがお過ごしですか?
ここ長野もとうとう梅雨に突入してしまいました。
また、台風が近づいているとのこと。ちょいと風も強まりつつあるカンジです。
これからの一か月強はシトシト~どんよりの日々となるのでしょうが、その後はいよいよ夏!今年は例年にも増して猛夏となるような気配です・・・。

さて、今回は斎藤成也氏の著作、「核DNA でたどる日本人の源流」に基づいて、YDNA でもmtDNA でもない、細胞核のDNA を直接的~網羅的に分析して得られた結果に基づいてお話を進めていきたいと思います。

この方法は近年のDNA 分析技術とコンピュータ技術の大躍進の結果生まれたもので、ほんの10 年くらい前には夢物語であったものです。方法論の詳述は避けますが、分析より得られる情報量は前二者と比較して圧倒的に莫大です。しかも、前者がそれぞれ男系と女系の遺伝情報しか得られなかったのに対し、この技術では男も女もなく、個人単位での情報が得られるところも大きな強みです。
一方で、遺跡より出土する人骨から得られるDNA は損傷が激しいので、この方法を用いても、適用できる試料にはやはり限度があるようです。
そんな中、著者が率いる国立遺伝学研究所のグループは、縄文後期~晩期の遺跡から出土した2 個体の分析に成功し、その結果を上記著作の中で示されました。

で、YDNA~mtDNA に比べて圧倒的に有利な核DNA 情報分析ですが、いきなり早々と結論を申し上げますと、前二者の結論を裏打ちする結果となった、ということです。


ううむ、ま、たぶんそうなるだろうとは思っていたけれどやっぱりそうなったか、ということですので、これ以上記述の動機も薄れてしまうのですが、そこをナントか気持ちを奮い立たせて書いていきます・・・。


YDNA、mtDNA、核DNA の三者の結論の一つとして共通していることは、縄文人が現代の近隣諸国の住民とは全く異なる人々であった、という点に尽きます。
縄文人を特徴づけるYDNA はD2 であり、mtDNA ではM7aN9b です。N9b に関してはひとまず置いといて、恐らく、D2M7a は共に移動してきたと思われます。D2 の祖先型がインド洋に浮かぶ島々に住むアンダマン諸島人に見られることから、このハプロタイプの由来は古いこと、また、このタイプを持つ人々はアフリカを出た後、インドから東南アジアを経て大陸を北上したことが考えられます。
一方のM7a の祖先型も東南アジアに見られることから、これら縄文人のご先祖様たちが古い時代に南方からやってきたことは、ほぼ間違いないと思われます。

興味深いことに、これらの両タイプの祖先型はパプアニューギニアやオーストラリアでは見つからないことから、ご先祖様たちはスンダランドを南下することなく、そのまま北上していったと考えられます。
これは核DNA からも証明され、縄文人と最も似ているのは現代日本人であり、近隣アジア諸国民はその次、最も似ていないのがパプア人やメラネシア人、との結果でした。
個人的には、古いアイヌ人の写真などから、縄文人とパプアニューギニア人やオーストラリア原住民との関連を期待していましたが、全く予想を裏切るものでした。
但し、縄文系が必ずしもパプア~オーストラリア系から分岐したのではないとしても、両者共に出アフリカの、古くてパイオニア的な先頭集団であったのは確かなようです。



今月の書評-20

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さて、今からおよそ2万9千年くらい前の旧石器時代に「姶良(あいら)カルデラの大噴火」が生じ、日本列島西南部は壊滅的打撃を受けたお話をしましたが(今月の書評10)、縄文文化もたけなわの今から7千年くらい前、現在の鹿児島南方沖で再び大規模な噴火が生じました。「鬼界(きかい)カルデラの大噴火」です。

喜界カルデラ-2.jpg
ウイキペディアより


前回の姶良カルデラほどではありませんが、現代に生じたら数千万人規模の被災者が生じる可能性のある大噴火であるのは間違いありません。直接の被害のみならず、噴煙による気候~植生への影響も大きかったに違いありません。


縄文早期.jpg
当然これにより、九州~西日本の縄文文化は大打撃を受けたと考えられます。


縄文早期-2.jpg
大変興味深いことに、日本での旧石器時代の遺跡数は3000 から5000 ヶ所にのぼるのに対し、朝鮮半島でのそれはわずか50 ヶ所程度だそうです。すなわち朝鮮半島においては、旧石器時代、極めてヒトが少ない状態だったと考えられます。加えて、今から1 万年前ともなると半島からはヒトの気配が全く消え、再び朝鮮半島にヒトの形跡が現れるのがおよそ7000 年前ほどから、ということです。
そうなりますと、鬼界カルデラの大噴火との関連性が指摘されてもおかしくありません。
7000 年前くらいから再び現れる朝鮮半島の遺跡から出土する人骨は、押しなべて縄文人の特徴を示すということです。ということは、北九州や中国地方の縄文人が火山灰で住めなくなった郷里を捨てて海を渡り半島に移住したというシナリオは、寧ろ合理的です。もちろん東日本を目指しての大移動も生じたと考えられます。この結果、縄文文化は中部~関東~東北を中心として発展していくこととなりました。センセの個人的な仮説ではありますが・・・。

それにしても、旧石器時代から縄文中期にかけて朝鮮半島にはほとんどヒトが住んでいなかった、という事実は衝撃的です。何があったのでしょうか?
以下、センセの仮説(というか、妄想)。


・・・トラが居たから・・・。


tiger.jpg
画像はネットからの頂きものです。https://www.google.co.jp/search?q=トラ&rlz
立派なツラ構えですね!



いや、センセは至って真面目です。

現代の韓国ではトラは既に絶滅していると思いますが、明治時代に朝鮮半島を旅行した英国の女性ジャーナリスト、イザベラ・バードによれば、当時は未だ多くのトラが生息し、朝鮮人はこれを極めて恐れていたとのことです。

であれば、ましてや旧石器~縄文時代においてはその生息頭数はもっと多かったでしょうし、トラの被害も猖獗(しょうけつ)を極め、まさに狩人であったご先祖様たちにとっては恐怖そのものであったと思われます。
一方で、誠に幸いにも、対馬海峡の彼方に存在する島々にトラが住み着くことは、ついぞありませんでした。
で、「海の向こうにはトラが居ない!」との情報に吸い寄せられ、旧石器時代人は半島に留まることはなく、対馬海峡の荒波もなんのその、天国のような日本列島を目指して押し寄せた、というシナリオは、全くの妄想とも思えません。
朝鮮半島は、彼らにとっては、単なる通過点であったのかも知れません。


今月の書評-19

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ミトコンドリア遺伝子分析(mtDNA)の続きです。

前回お話したように、縄文遺跡から発掘された人骨から直接DNA を調べることができる(確率が高い)のが、mtDNA 分析の最大の利点です。
また、母系遺伝をする点にもご注意ください。

縄文早期~前期の長野~富山~青森の遺跡から出土した人骨からの試料はN9b のハプロタイプを持つ例がほとんどで、他にはM7a のハプロタイプを持つものが数例でした。

このN9b M7a の両者が縄文人のmtDNA を代表するハプロタイプで、現在の朝鮮半島や中国大陸などにはほとんど見られないタイプです。すなわち、YDNA において縄文人を特徴づけるD2 に相当するものです。 

縄文中期になりますと、遺跡の数も増えます。特に興味深いのが北海道の礼文島から出土した例で、これにもN9b M7a の両タイプが見られます。中期の出土試料のほとんどは東北を中心とする東日本からのものですが、必ずこの両ハプロタイプが優勢に検出されます。割合としては、N9b が6 割、残りがM7a ということでした。
篠田謙一氏は、著作「DNA で語る 日本人起源論」の中で縄文人mtDNA の多様性を強調されてますが、氏が示されるデータを素直に読むと、N9b M7a の両タイプが圧倒し、寧ろ多様性に乏しい印象を受けます・・・。確かにマイナーなハプロタイプも混在してますが、N9b M7a に埋没しているカンジです。

今後アイヌや沖縄のお話もしていく予定ですが、両者とも、時代が下るにつれてドンドン多様性を増していきます。にもかかわらず、両者ともに縄文人としてのアイデンティティーをズルズル引きずって今日に至っているところが、誠に興味深い点ではあります。

さて、これもまた興味深いことに、縄文時代の沖縄からの出土例はすべてがM7a で、N9b は見られないということです。
また、シベリア沿海州周辺にはN9b を持つ先住民集団が存在することから、N9b は北方由来、M7a は南方由来のハプロタイプであると考えられます。

となりますと、南からはM7a を有した人々が列島に流入し、陸続きの樺太からN9b を有した人々が北海道から東北を経て列島を南下して、両者が列島中央で混じた、というシナリオが描けます。

残念なことに、 西日本縄文遺跡からのmtDNA 試料は現時点ではほとんど得られていないため、この点、ミッシングリンクとなっております。

一方で、次のようなシナリオも描くことができると思います。

M7a を有する南方からの集団がその後にN9b を有する集団と大陸において混じ、両者が混在する集団が朝鮮半島~樺太から流入した、というものです。
N9b は北由来、M7a は南由来ですから、朝鮮半島経路と樺太経路で両者の割合は異なっていた(樺太経由N9bM7a 、半島経由N9bM7a )はずです。
旧石器時代の細石刃文化は樺太のみならず北九州を通しても伝わったことを考えますと、可能性としてはこちらが高いように思えます。また、礼文島という日本における極北の果てから得られた試料においてもM7a が検出されている点を考えましても、こちらの説に軍配が上がるのでは?と思います。

また一方で、そもそもYDNA のD2 は南方由来と北方由来の両者ともに共通し、かつ多数派である点を考えると、N9b の人々もM7a の人々も、男性軍は共通してD2 であったと考えられるわけです。であるとすると、N9bM7a の両者が全く由来の異なる人々であったと考えるのはおかしいです。

M7a が南方由来で沖縄縄文人はほぼ100% このタイプであることは理解しやすいのですが、ならば、N9b の人たちってどこから来たのでしょうか?

篠田謙一氏の本では、少なくとも東アジアの現代人の祖先はすべて東南アジア由来であるとのことです。であるとしたら、N9b の人々もまたM7a とは別系統で古い時代に北へ向かった集団だったと思われます。そして、アイヌのご先祖様を始めとして縄文人のmtDNA の多くにN9b が優越的に見られるわけですから、形質的にもN9bM7a 共に多くの共通点を有していたと思われます。

従って、そもそも東南アジアから出発した時点において、N9bM7a 両者混在した集団として北上を開始した可能性もあると思います。
何らかの環境因子、あるいは偶然が作用して、北上に伴ってN9b が優勢になっていった、などという仮説が建てられます。例えば、「N9bM7a よりも寒冷環境に適応する能力が強かった」、などという例です。
すなわち、最も古いM7a を有する人々がまずは沖縄に達し、主流派はさらに大陸の海岸沿いを北上して朝鮮半島から列島に至り、さらに残りは沿海州を伝って陸続きの間宮海峡に至り、そこから樺太を伝って南下した、その途次において、N9b タイプが優勢となった、というシナリオです。
N9b を別グループの人々と仮定すると、かえって何かと説明に不都合な点が出てくるように思われます。

この点を明らかにするには、いずれにしましても、西日本の縄文人骨からの分析、すなわちミッシングリンクの発見が待たれます。



興味深いことに、YDNA では、縄文由来のD2 が現代日本人男性においても未だ多数派(およそ4 割)を占めますが、mtDNAではM7a は7.5%、あれほど多数派であったN9b は、わずか2.1%しか現代人には認められません。
一方で、大陸~朝鮮半島由来のD タイプのmtDNA (弥生由来であると考えられます。YDNA のD2 ではありませんので、ご注意を!)が4 割弱を占めます
これを素直に読み解くと、次のようなシナリオが描けます。

1) 弥生期になって半島から渡来したものの多くは女性であった。
2) 縄文の男はこぞって弥生系の女性を女房にした。
3) 縄文後期~晩期の人口停滞~減少と何らかの関連がある?

1 の可能性は低いと思われますが、2 と3 はあり得るかと個人的には考えてます。

縄文後期から晩期にかけては縄文人人口が停滞~減少した時期です。
気候変動による食物の減少など、何らかの原因が考えられますが、可能性の一つとして、縄文人が遺伝子レベルで均質化し(多様性の喪失)、出産の減少や乳児の死亡率が高まった、という仮説を提出しても良いかと思います。


縄文時代を特徴づける数多くの土偶や男性の生殖器を模した石棒など、これらがより多くの出産~健全な発育を望むための象徴であったのは間違いありません。

土偶.jpg
縄文のビーナス ウイキペディアより

sekibou.jpg
石棒 ネットからの頂きものです。https://www.google.co.jp/search?q=縄文+石棒&sa

また、縄文時代には「イノシシの祭り」が盛大に行われ、そもそもイノシシが住んでいない北海道にわざわざ生きたイノシシを運び、祭った証拠があるくらいです。イノシシ祭りの本体は分かりませんが、現在でもアイヌの間で行われるイヨマンテのようなもの、と考えられています。イヨマンテではヒグマが用いられるわけですが、イノシシ祭りではイノシシを用います。

では何故イノシシ?ということですが、当然、多産の象徴ということでしょう。

これらの遺物や祭祀を見る限り、当時の縄文人においては多産が強く望まれていたと思わざるを得ません。従いまして、異種の血が混ざることによる、いわゆる「雑種強勢」が、「本能的に」、縄文晩期から弥生時代を通して列島で生じた、と考えてもおかしくはないかと思われます。そしてその場合、縄文のオトコが積極的に弥生のオンナを求めたのであって縄文オンナが弥生のオトコを求めたのではない、というのがセンセの仮説であります。ことによると、弥生オンナが縄文オトコをイケメンだと思ってこぞってひっ捕まえたのかもしれません。 

・・・妄想だけど・・・。

因みに、このような「性」にまつわるお話では、「本能」と「制度~道徳」的なもの、加えて「男女平等」的な「思想」がない交ぜとなって、未だに混沌の中での妥協点が日々図られているのが現状です。・・・余談だけど・・・。

また、今後議論していく予定ですが、弥生文化がほとんど抵抗なく縄文人に受け入れられた背景の一つとして、縄文人側が弥生文化をより積極的に求めたから、という仮説は、もっとクローズアップされてしかるべきでは?と思います。


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