日々のお話 の最近の記事

今月の書評-6

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みなさまこんにちは!いかがお過ごしですか?

ここ長野では相変わらず厳寒の日々が続いてますが、お隣の平昌(ひらまさ、じゃなくってさとちゃん、でもなくってぴょんちゃんです。)ではもっと寒い中を選手の皆さんが頑張ってます。
ここまでの日本選手、ナカナカの活躍ぶりで、銀も銅もほぼ期待通りの数。
でも、いまだ金(きん)が無いっ!と、フラストレーションが溜まりつつあったところに結弦クンがやってくれました!しかも宇野クンが銀!日本勢、期待通りに金銀独占!!!ヤッホー!!!

本日、午前中は女子カーリングをずっと見てました。日本女子チーム、ここまで三連勝で絶好調です!

センセはもちろんカーリングやったことありませんが、実は冬のオリンピックの中で一番好きな競技種目です。特に日本女子チームが好き!!!
アニメからそのまんま抜け出てきたような女の子たちが
「うん!」、「いいよー!」、「そだね~!」
なんて叫びながら一丸となって戦っているさまが、とてもかわゆいです!
本日は中国戦。中国選手は四人とも眼鏡かけて女子校の先生と学級委員長の混合チームみたいなカンジでしたが、戦績を見るとナカナカ強いチームで、ううむ、五分五分くらいかな?という期待で見てました。
残念ながら惜敗してしまいましたが、今晩のロシア戦(OAR)を期待しませう!

で、少々がっかりしたところで研究所に行ってサンプリングして動物室の加湿器に給水してから車で買い物に行って戻ってくると、TVでは just で羽生クンの出番。

こういうのってみんなそうだと思いますが、あまりメダルを期待されていない選手の場合は普通に見てられますが、金で当たり前、悪くても銀、なんて場合にはかえってドキドキして画面を見るだけでストレスがかかり、「負けたらどうしよう、ガッカリするのはやだな。四回転で転ぶシーンを見るのは嫌だから、歓声だけ聞いて成功か失敗か判断して、その後で画面を見よう。」なんて考えたりして昼食の準備をしながら振り返り振り返りTVを見てましたが、最初から出来が良くってそんな心配も忘れてしまい、結局最後までしっかりと画面を見てしまいました。

で、ほとんど金確定!というカンジでしたので、次の心配は宇野クンが銀になるのか銅になるのか、それこそ銅になったらどうしよう、となりますので、今度はスペインのフェルナンデス選手に対して足を引っ張るような願望が出てくるわけです。

センセはフィギュアスケートの選手は知ってる選手しか知らないタイプですので、「フェルナンデスって、誰なんデス?」というカンジでしたが、人間ってえのは正直なもんで、フェルナンデス選手が上手に飛ぶと、「あ~✖!」なんて思ってしまいましたが、でもショートほどの出来ではなかったので、こんなこと書いてはいけませんが、ホットしました。このブログを見てくださっているスペインの皆さま、「Lo sient!」。

で、最後の滑走が宇野選手。
最初の四回転でコケましたが、ナントか無難にまとめましたので、さて、銀か銅か、ヤキモキする時間帯でしたが、ダレナンデス?選手を抑えて銀!ヤッホー!
日本勢、金銀独占だ~~~っ!

で、本日は皆さま同様に気分が良いのでブログを更新しちゃってるわけですが、この気分でいまさら縄文人は無いよね?
この先、小平奈緒ちゃんや高木美保ちゃんが出てくるわけですし、さらには日本女子カーリングの試合もまだまだ続くわけですし、当分縄文人はおあずけ!
ぴょんちゃんが終わりましたら再開したいと思います。

では最後に、

「日本選手、がんばれ~っ!!!縄文人、少し待っちょれ~っ!」

今月の書評-5

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みなさま明けましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いいたします。
お正月はどのように過ごされましたか?
センセは埼玉県越谷市の姉の家で親戚一同うち揃い、お屠蘇を飲んでお年玉をあげておせち料理を食べてお酒を飲んで騒いで百人一首をして、絵に描いたような正統派の日本のお正月を過ごしました。いいものですね!

でも、翌朝は速攻で研究所へ逆戻り。ネズミの部屋の加湿器に水を入れて培養中の細胞の培地を取り換えて帰宅したところ、駅伝往路は東洋大が制しておりました。本日の復路では青学大に逆転されましたが、選手の皆様お疲れ様でした。

箱根駅伝、下手するとTVコマーシャルの合間に駅伝してる、ってカンジの番組ですが、今ではすっかり日本のお正月を彩る風物詩の一つになってます。TVを見てると走っている選手に並走して歩道を走る連中が必ずおりますが、今年は1区で選手に並走してへんちくりんな車が走っておりました・・・。来年から増えそうな気がします・・・。


で、早速正月から縄文人をしたいのですが、ここで一つお詫びをしなくてはなりませぬ。

「今月の書評-3」でも言及したように、どうしてもY染色体の結果をも少し調べてから書きたいと思います。ミトコンドリアだけでは、やはり少し偏向する気がしてきた・・・。また、縄文~弥生~アイヌ~沖縄あたりはみな関連してくるので、センセの手持ちの本を搔き集めてみたけど、ちょいと足りない気がする・・・。古いのも多いし・・・。DNAや人骨の形質だけでなく、言語や石器~土器、さらには気象など、も少し情報が必要だ。「意見の相違」はOKだけど、「いいかげん」はいけませんよね!

だもんで、新年いきなり「今月の書評」しばらく休止のお知らせです。

どうもスミマセぬ・・・。

今月の書評-4

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本日はお正月イブ。除夜の鐘まであと8時間ほどです。
先ほど研究室に行ってネズミクンたちの世話をして帰ってきたばかりですが、今日は朝からBSで「七人の侍」をずう~っと見てました。

今月の書評-1」で「センセはドラマなんぞ見ん!」などとえっらそうなことを言った口の先が乾かぬうちに、3時間もTVに噛り付いてた・・・。しかも「七人の侍」、先月Youtube で見たばかり・・・。中国語だったけど・・・。もっと言うならば、センセは「七人の侍」かれこれ10回以上は優に見ている。微に入り細を穿ち、あのシーンこのシーン、全て知ってる。でもまた見てしまった・・・。なぜなんだ???

センセが初めて黒澤明監督の「七人の侍」を見たのは、小学一年生の時でした。世田谷区城山小学校の校庭で、木造校舎の壁に大きなシーツみたいのを張り付けて上映してました。たぶん、夏休みの「子供映画大会」みたいな催しだったと思います。で、母親に連れられてヤブ蚊に刺されながら見てました。
小学校一年生ですから筋書きなんか分かりません。分かりませんが、あの最後の決戦のシーン、土砂降りの雨が降りしきる中、半裸に鎧を付けた三船敏郎演じる菊千代が泥だらけになって種子島に打たれながらも野伏せり(のぶせり)
の大将(伊藤雄之助?)を仕留めて自分も死んでしまうシーンがおどろおどろしくも凄まじく、子供心にもしっかりと焼き付いて、なかなか離れることがありませんでした。
その後はほとんど見ることもなく、次に見たのがW大学に入ってからのことかな?TVの再放送でした。いたく感動して、大学ノートにキャラクター全員の似顔絵なんぞ描き散らかしておりました。その後は折に触れ、レンタルビデオの時代には時折VHSを借りてみたりしてましたが、世の中便利になりまして、インターネットの時代になるとYoutube なんぞが出て参りまして、ホントはいけないんだろうけど、ロハで見れる時代となりました。でもUP されるたびに削除され、削除されてはUP されることの繰り返しのようで・・・。しかも先月見たのは中国語で吹き替えられてましたが、その前に見たときはスペイン語でした。さっすが黒沢監督映画!海賊版もインターナショナルのようです。



で、縄文人!大晦日になぜだか縄文人のお話です。

日本列島にホモ・サピエンスが移住し始めたのは、およそ3万年くらい前だと考えられています。より古いタイプの人類が住んでいた痕跡はあるようですが、我々のご先祖さまとして確実視される方々がお住まいになられたのは、その頃からだと思われます。で、この時代、現代日本のテリトリー内に進入するには三つのルートがありました。一つは琉球列島に沿って北上する線、二つは朝鮮半島から北九州に渡る線、三つめは樺太から北海道に南下する線です。

当時の氷河期ですが、最も寒くなるのが大体1万5000年前頃です。この時にはベーリング海峡も閉じてシベリアとアラスカが陸続きになりましたので、現在のアメリカインディアンのご先祖がどどっと北米に流入したわけです。
で、日本列島が大陸と繋がるといっても時代によって程度の差があったと思われます。より時代が古い4~5万年前には九州と朝鮮半島も繋がっていたようですけれども、ご先祖さまがやって来た時代では北海道と大陸とは繋がっていた一方で対馬海峡は繋がっていなかったのでは?と考えられるので、この経路を通る場合は何らかの形で海を渡る必要がありました。また、この時代は未だ農耕は行われておらず、後の縄文時代のように温暖ではなかったので、植物性の食物にも限りがあったと思われます。従いまして、この時代のこの地方は基本的に大型動物を狩って暮らしていた典型的な旧石器時代であり、大陸北方の満州の原野にはマンモスやら毛サイやらヘラジカやらの大型獣が暮らしていた時代ですので、スンダランドからスンダララッタ~とやって来たご先祖さまが何もわざわざ船を駆って危険な海を渡る必要性はなかったように思えます。従いまして、個人的意見としましては、ご先祖のメインストリームはそのまま大陸を北上し、動物を追いながら大陸内陸部~満州地方~そしてシベリア方面へと拡散し、一部はマンモスを追って地続きであった樺太から南下して、北海道までは容易に到達できたと思われます。最も気温が低い時期でも津軽海峡は陸地化しなかった可能性が高いのですが、氷の通り道ができた可能性はありますので、ちょろちょろとさらに南下することもさほど困難ではなかったように思われます。ま、ホントのところは例によって本人たちに聞いてみないとわからないところではありますが・・・www(ホントしつこいね)。

ではとりあえず本年のブログはここまで!
このブログを読んで下さっている善男善女の皆様方には素晴らしい年が訪れますように!

そうでない方々にはそれなりの年となりますように!


今月の書評-3

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本日は大晦日イブ。今年も残りわずかですが、年越しの準備はお済みでしょうか?
今年はお正月を前にして列島は寒波に襲われてます。この数日は坂城も猛烈に寒かったですけど、今日は少し緩みがち。ちょいと一息ついてます・・・。

水曜日は研究所も仕事納め。室員総出での大掃除でしたが、小雪の舞う中でのガラス拭きにはナカナカつらいものがありました。
でも、おかげで床も窓もピッカピカ!心も新たに新年を迎えられそうです。


さて、「クロボク土」のおかげで「日本人の喜源、じゃなくて、起源」への探求心に火が付いたセンセですが、実はW中学の頃は「歴史研究部」に所属しておりました。

W中学の歴史研究部の活動は単に図書館にこもって歴史書を調べたり博物館に行ったりするだけじゃなく、各地の貝塚や遺跡群を訪ねたり発掘調査のお手伝いをするなど、ナカナカ活発なものでした。センセも実際に、縄文だったか弥生だったか定かではないのですけど、世田谷区の発掘現場で発掘調査に参加したことがあります。現在では「砧公園」となっている場所です。夏休みを利用して参加しましたので、穴掘りも汗だくでした。

で、実際にこの手で土器を掘り当てました!スゴイ!

でも、縄文だったか弥生だったか覚えてない・・・。情けないですね!
その年の文化祭の歴史研究部のブースでは、実際に「人骨」も展示しました。
凄いですね!
でも、縄文人だったか弥生人だったか、やっぱし覚えていない・・・。
ダメダメですね!

そういうダメダメな歴史研究部員のセンセでしたが、ここ数日、中井貴一が案内役をしてる古代中国の歴史を扱った番組を朝からBSで見てます。これ、確か以前にも見た記憶があるので再放送だと思いますが、やっぱし中国史って日本とスケールが違って、すんごく面白いですね!日本人の平均値としては「現在の中国に関してはちょと・・・だけど、中国の歴史~文化は大好きだ!」というカンジだと思いますが、センセもそうです。中学時代に吉川英治の「三国志」に夢中になった一人です。ビートルズの「Something」を聴いて条件反射的に「怒髪天を衝く」を思い浮かべるタイプの一人です(他にいないと思うけど)。

で、縄文人です。

でも、縄文人を語りだすと弥生人にも言及しなくてはならなくなるし、その前の人たちについてもお話が必要となるし、となるとどうやって日本に来たかの話となるし、挙句の果てはネアンデルタール人とかジャワ原人とかオーストラロピテクスまで登場したりするのはまだしも下手すると「カンブリア爆発」だの最後には「ビッグバン」まで出てきた日にはどうする?
ま、ここは、「出アフリカ」からお話するのが妥当かと思います。

ヒトの喜源、じゃなくて、しつこいけど、ホントワンパターンだけど、起源について調べるときの手段としてのDNAに基づいた分析は、最近では既に「当然」を通り越して解析手法としての「王道」となっています。要するに、外観などの形質とDNA分析との間に齟齬(そご)があった場合は、DNAの結果が優先されます。その理由は、この先、適当なところで逐一述べていくと思います。
また、DNA分析の方法論について話し出すと everybody たちまち眠くなると思いますので、省略します。ただ、DNAに基づいた分析手法にもいくつかの方法があり、それぞれの長所と短所があるので、精度を高めるためには、同じサンプルに対してこれらいくつかの手法を組み合わせて行うのが良い、とだけ知っていただければOK牧場です。
このようなDNA分析に基づいて現生人類、いわゆる「ホモ・サピエンス」、さらにいうならば「ホモ・サピエンス・サピエンス」の出自を調べた結果、アフリカ大陸は当然ながら、アフリカを除く大陸全ての現生人類の祖先もまたアフリカに由来することが明らかとなりました。1987年に発表された、いわゆる「ミトコンドリア・イブ」のお話です。

発表以前から、現生人類が北京原人やジャワ原人、あるいはネアンデルタール人から直接進化してきたのか、あるいはホモサピエンスとして生じた人々から派生したものなのかの議論が活発でしたが、ミトコンドリア・イブの発表で決着がついたと思います。最近になってネアンデルタール人やデニソワ人との混交があったことも明らかとなりましたが、その程度は低く、基本的には全ての現生人類はアフリカで生まれた新人類の末裔であるとみなされます。

で、ある晴れた朝、かどうかは知りませぬが、ある一群の人々が、アフリカから北に向かって旅立ちました。その理由は知りませぬ。
「♪ 知~らない町を、歩いて見たい~♪」くらいの気持ちだったのかも知れませんし、あるいは、「ちゃん!」、「あんた!」、と泣いて裾に縋る家族を振り払い、「よし坊!お初!ちゃんは遠くに行っちまうけど、達者に暮らすんだぜいっ!」との捨て台詞(もちろんアフリカ語)を残しての涙の旅立ちがあったのかも知れませぬ。たぶん、もっと serious な動機があったのだと思いますが・・・。
旅立ちの時代に関しては所説あるようですし、また、単発の出動とも思えませんが、一応今から6万年前ころ、というのが定説です。ルートに関しても、ナイル川を下ってイスラエルに抜ける道と、「アフリカの角」と呼ばれる今のソマリアを通ってアラビア半島南岸に沿って進む道、さらにはサハラ砂漠を突っ切ってリビアに至る道まで唱えられてます。

経路の各所各所で定住しながらさらに別動隊が進んでいく、というカンジで拡散していったのだと思いますが、東に向かうグループと西~北に向かうグループとが分かれ、前者はアジア人とオーストラリア原住民へ、後者は欧州人へと分化していきました。以下、初期のホモ・サピエンス拡散の足取りを図にまとめてみました。年代に関しては、「ざざっと!」程度に考えてください。

ホモサピエンスの拡散.jpg
アフリカが大体6万年前、オーストラリアへの移住が5万年前と考えられているので、およそ1万年かけて初期人類は南アジア~東南アジアまで拡散したわけです。当時は氷河期にあたりますので、海面が今よりも低く、マレーシア半島の東海岸からボルネオ~スマトラ~ジャワにかけての海域は陸地となっておりました。これを「スンダランド」と呼びます。植木等は関係ないです。
このスンダララッタ~、じゃなくってスンダランドと、その途中の通り道である現在のインド亜大陸は、東へ進んだ初期人類の人口揺籃の地と考えられています。現在のインドは、大雑把に言えば、北部のアーリア系の人々と南部のタミール系、あるいはドラヴィダ系の人々との混合国家といえますが、そのドラヴィダ系の直系の先祖がこの時期に拡散~増加した人々であると考えられています。その中でもスリランカの「ヴェッダ」と呼ばれている人々は、当時の人々の形質を色濃く残す人々です。

また、スンダランドで増加した人々の特質も現在のカンボジア人などに色濃く受け継がれているようですし、さらに、より熱帯の環境に対して分化を遂げた「ネグリト」と呼ばれる一群の人々も東南アジア各地に点在しています。
ネグリトとは「黒くて小さな人々」という意味ですが、これらネグリトの人々は、アンダマン諸島やマレー半島、ベトナム山岳地帯、フィリピン山岳地帯に少数ながら残っています。いずれも非常に小柄で皮膚の色が黒く、また頭髪がアフリカ人のように縮れ毛です。これらの特徴から、DNAによる分析が一般化する以前には、これらネグリトの人々はアフリカのピグミーの人々と同じ人種であると考えられていた時期がありました。けれどもこの両者は全く異なる人々です。同じ初期人類から枝分かれしたオーストラリア原住民、いわゆる「アボリジニ」の人々が波打つ髪や高身長を有していることを考えると、これら低身長+縮れ毛+黒色の皮膚は熱帯雨林に対する人類の普遍的な適応と考えられます(こういうところから見ても、DNA分析は形質による分類よりも強力なのです)。けれども低身長+縮れ毛+黒色の皮膚はアマゾンの住民は有していない特質ですので、そう単純なものでもなさそうです。ただ、アマゾンの住民の歴史はネグリトと比べれば圧倒的に短いので、もっと時間が経てばアマゾンの人々もネグリトやピグミーのように変化していくのかも知れません。あるいはそもそも出アフリカを果たした人々が基本的に黒色の肌+ウエーブ~縮れ毛の人々だったので、熱帯雨林への適応がより早かったのかも知れませんが・・・。この点は本人たちに聞いてみないと分からないところです・・・www(HD)。



さて、スンダランドから北へ向かって、初期人類はさらに移動を開始します。

現在の中国、朝鮮、日本を形作る、いわゆる「東アジア人」の起点がどこにあるか、議論のあるところでした。大きく分けて1) 東南アジアからの北上論、2) ヒマラヤ山脈の西を通って中央アジアに至り、そこから草原を東進してモンゴル周辺に至る論、の二つに分かれていました。しかしながら、現在では図に示すように東南アジア~スンダランドの原アジア人が北上して東アジア人になった、との説が優勢です。その理由はいくつかありますが、1) バイカル湖周辺で見つかったおよそ2万数千年前の遺跡から出土した人骨のDNAを分析したところ、驚くべきことに、その由来はアジア系ではなく欧州系であることが判明した事、2) 太平洋岸には砂漠などの乾燥地帯が無い一方で中央アジアには広大な乾燥地が存在する事、すなわち移動の困難さに大きな差がある事、そして決定的には、3) 遺伝的多様性がきれいな南高北低の傾向を示す事、などがあります。3) について説明したいのは山々ですが、それをやり始めるとあれを説明する必要が出てくるし、あれを説明するとこれも説明しなくてはならなくなるしで、やめ!「遺伝的多様性が大きければ古く、小さければ新しい」とだけ覚えてください。

以上、ここまでのお話は、おおよそ「モンゴロイドの地球-3 日本人のなりたち:東京大学出版」と「DNAで語る日本人起源論 篠田謙一:岩波現代全書」に負うています。前者は良い本ですが、如何せんちょいと古いです(1996年)。また後者は2015年で新しく、非常にまとまりの良い読みやすい本ですが、DNA分析がミトコンドリアに偏りすぎているきらいがありまして、著者らの結果が幾分偏向している可能性を完全に否定することができません。著者が指摘しているように、出土した骨から無傷のDNAを得ること自体が非常に困難ですので、細胞あたりの数が圧倒的に多いミトコンドリアを用いることは致し方のないことだと思います。けれども現代人から得られるY染色体由来のDNA分析は既に数多くの仕事がなされておりますので、それらとの比較検討に関してもっと記載して欲しかった、と個人的には思います(今現在、Y染色体から得られたDNAに基づいて行われた仕事に関して詳しく書かれた本を探してます。知ってるヒトがいたら教えて!)。また、最近になって骨標本から得られた核DNAを用いての「日本人起源探し」の結果が出つつあることが報告されました。で、結果は、ミトコンドリアDNA分析を概ね裏付けるものであったようです(まだ本は出てないみたい← 訂正します!2017年10月に出版!→「核DNA解析でたどる日本人の源流」 著:斎藤成也氏)。

ということで、「♪ どう~こか遠くへ行きたい~♪」などと鼻歌混じりで東南アジアから旅立ったご先祖さまですが、ひょいと東を覗いてみれば、ナンカ、ちょいと海を渡れば目と鼻の先に美味しそう~な場所があることに気づきました。今の対馬海峡の縁に到達したのです!
でも、目の前に島があるけど海で隔てられてる・・・。どうしよう・・・と彼らは悩みました。

この先しばらくセンセの妄想が働きます。本日はこれまで!

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