今月のウクライナ-103

バフムトですが、
ロシアが川を渡って中心部まで突破してきたとか、
あるいはゼレンスキーが退却をほのめかしているとか、
色々情報が流れてきます。
反対に YouTube などでは塹壕内のロシア兵に対する
ウクライナ戦車による凄惨な、文字通りの蹂躙シーンなども流され、
相変わらずどちらが優勢なのか、皆目分かりません。

この戦車による蹂躙シーンですが、
ノモンハンでの日本兵もかくやと言わんばかりの凄惨なものですが、
見ていて気が付くことには、
塹壕、あるいはタコツボって、やはりそれ相応に効果的な防御法なのだな、
ということです。
ウクライナ側の戦車、たぶん T72 だと思いますが、
近距離から塹壕に向かって水平~伏角(ふかく)の射撃をするわけですが、
これがナカナカ当たらない。
ほんの 10 数m くらいの近距離ですから目視で照準するのでしょうけど
撃っても撃っても塹壕内に直撃せず、
手前の土饅頭に当たったり、あるいはオーバーしたりで難しそう・・・。
塹壕内には数名のロシア兵が右往左往するわけですが、
一回の射撃が済むたびにぞろぞろ動き出し、
時には反撃のつもりで手榴弾なんぞを投げてくるのですが、
如何せん、戦車には通用しない・・・。

あの状況ならば、ロシア兵にパンツアーファウストの数本、
あるいは日本軍の対戦車アンパンでも良いからこれの数枚でもあれば、
ウクライナ側の戦車を頓挫させられたはず。
ウクライナ側の戦車は当然、榴弾を発射しているのでしょうが、
やはり戦車支援の歩兵部隊を同伴させて擲弾筒でも打たせるとか、
あるいはナンカもっと塹壕用の効果的な方法があるような気がする。
例えば火炎放射器とか、あるいは空気より重い気体を流すとか・・・。

あ、ヤバイ!頭がヤバイ方向に向かってる!
フリッツ博士もこの流れでひらめいたのだろうか???
ヤバイっす!!!
ここで止めるっす!!!


さて、6 世紀になると、
これまで N 系の柔然に首根っこを押さえられていた突厥部族が勃興し、
柔然を滅ぼしてしまいます。
一部西走した柔然残党は、これも西に拡張した突厥にさらに追われて
再起の場を欧州に求めることになりますが、
ここら辺の事情は「今月のウクライナ-81」以降を読んで下され!

トルコ系部族の拡散-4.jpg突厥こそは、トルコの名をアジア全域に幅広く知らしめた連中であった。
今月のウクライナ-85」を参照のこと。

で、仲間割れから東西に分かれたり、一時は衰亡するけどまた復興したりで
色々忙しい突厥帝国ではありましたが、
ともかくも、トルコの名はこの時に世界中に広まった、
同じような言葉を話す連中をひっくるめて「トルコ」と呼ぶようになった、
本来はトルコ部族ではないトルコ系の連中もまた、
これ以降、トルコの威勢にあやかって、
「自分たちはトルコである!」との意識が芽生える切っ掛けとなった、
と、個人的に考えてます。

突厥を打ち立てたのは阿史那(あしな)氏と呼ばれる氏族で、
この時代のトルコ系やモンゴル系の戦闘的遊牧民に特徴的なのですが、
非常に有能かつ強力な個人が生まれて一気に部族を統合し、
勢いに乗って周りの同族を統合し、
さらに異なる民族を征服して大帝国を築き上げると
その氏族が正統派の貴種となり、
その後はその貴種の系統が尊重され、
可汗として引き継がれるが、
程なく内紛により分裂し、
消滅してしまうという・・・
同じパターンが繰り返されます。

ま、戦闘的遊牧民に限らず、どの時代でもどの地域でも
基本的には同じようなパターンで興亡する国家も多いわけですが、
これが大きく変わるためには
近代的民主主義国家の登場まで待つ必要がありました。
その近代的民主主義の原則を大きく逸脱し、
よくも悪しくも、あるいは悪しくも悪しくも、
個人的力量に頼った戦闘的遊牧民的統治法を再現した結果、
現在のロシアがある、
とも言えるかと思います。
アジア大陸ハートランド国家の宿命なのかも知れませぬ・・・。