今月の書評-133

| | トラックバック(0)
毎日毎日雨また雨・・・。
どこにもお出かけできませぬ・・・。
加えてコロナが「もういいっ!」てくらいに猛威を振るい、踏んだり蹴ったりの夏休みでありますが、みなさまは何をされてます???

センセのバイクも丸一年乗ってないので、走るかどうか、心配です。

と言うわけで、ブログの続きです。
今月の書評-131」で列挙した疑問は全て相互に関連しあってるので、個別に答えるのではなく、総合的に考えていこうと思います。


日本書紀、古事記ともに、初めの方は色んな神様が生まれる話のオンパレードですので省略し、何となく現実っぽい?ところから始めます。例の凄まじいオトコ、スサノオノミコトです。カタカナで統一します。

スサノオノミコトの話の中で、多くのヒトがこれまであまり指摘していない興味深いところが一点あります。それは、スサノオが姉の天照大神とケンカして勝った嬉しさに大暴れする場面ですが、生き馬の皮を剥いで姉が織物を織っている小屋に投げ入れる、という有名なシーンがあります。古事記、あるいはその他の併記によって「暴れ馬を田んぼに追い込んだ」とか、「ブチ模様の馬の皮をはいだ」とかいろいろ細かな違いはあるのですが、全ての併記において「馬」が登場します。

で、列島において確実に馬が存在した証拠は4 世紀を待たねばならず、魏志倭人伝の記述でも、2~3 世紀の倭には牛も馬もいないことが明記されてます。

殷墟からは戦車のくびきに括りつけられて殉葬させられた馬の骨がたくさん発掘されてますので、既に紀元前10 世紀くらいまでには中原で多くの馬が使われていたことは明らかです。
で、馬が半島東南部で使われるようになった時代がいつ頃なのか、色々調べても良く分からないのですが、魏志倭人伝の元本である「三国志」には「倭人伝」だけでなく、三韓、沃沮(よくそ)、濊(わい)、高句麗など、当時の朝鮮半島の多くの国々の事情が事細かに描かれてますので、読むと、これら全ての国々は押しなべて牛馬を利用しています。

で、大陸と地続きの半島末端までは比較的速やかに牛馬の文化が伝播したと考えられますが、列島に伝わるのがずいぶんと遅いような気がします。

やはり暴れる馬を船で運ぶのが大変だったからなのでしょうかね?
分かりませぬ・・・。
半島に最も近いところは北九州なのですから、北九州の連中が早くから馬を輸入していれば、これは大きな軍事力となり、その後の歴史も変わった可能性がありますが、馬が登場するのは、先に述べたように、崇神天皇以降のヤマト政権の勢力が伸長し始めるのが明白となってから漸くの事です。
こういう点を見ても、ナンカ、北九州勢力ってそもそもやる気があるのか?
疑問になります。

で、それはともかく、スサノオノミコトが馬の皮を剥ぐような乱暴狼藉をしたのは未だ馬が居なかったととびちゃんの時代よりもよっぽど昔の出来事ですので、やはり高天原は日本列島にはない!少なくとも東京都葛飾区四つ木ではない!ことは明らかです!!!

また、スサノオノミコトが生き馬の皮を剥いだ、という一つの併記がありますが、獣医師でもあるセンセとしては「これはあり得ない!」と断言せざるを得ません。

どれだけ暴れるのか、想像も出来ませぬ・・・。

で、これは生き馬の皮を剥いだのではなく、「皮を利用するためとはいえ、健康な馬を殺してはなりませぬ!」というような「おきて」が当時存在し、これに背く行為であるので悪い!ということを表したのだと思います。それだけ馬や牛は貴重な存在で、大切に扱われていたことを傍証するものだと思います。

センセは一応、獣医師の免許を持ってます。
でも、臨床はトンとご無沙汰なので、今では犬と猫の区別もつきませぬ・・・。
記憶によれば、確か、毛深い方がイヌ、でしたっけ?

違ったか???

毛深いイヌ.jpg
イヌ、だと思います。 docdog さんより
https://www.docdog.jp/2020/11/magazine-dogs-s-a-3513.html





トラックバック(0)

このブログ記事を参照しているブログ一覧: 今月の書評-133

このブログ記事に対するトラックバックURL: http://www.kigen-technosakaki.jp/mt/mt-tb.cgi/326

この記事について

このページは、喜源テクノさかき研究室が2021年8月18日 09:29に書いた記事です。

ひとつ前の記事は「今月の書評-132」です。

次の記事は「今月の書評-134」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。