今月の書評-129

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さて、「今月の書評-111」で、2009 年に国立歴史民俗博物館(歴博)の方々が、箸墓(はしはか)古墳の周濠から集めた土器片など、当時の遺物を試料として炭素同位体による年代測定をしたところ、卑弥呼が死んだ頃の年代にぴったりと該当した、という研究結果を発表した話をしました。

上記論文はネットから読めます。相当に専門的ですけど、興味のある方はどうぞお目を通してください。センセも読みましたが、少なくともセンセのような素人が指摘できるような瑕疵(かし)は見当たりません。但し、専門の方々がお読みになれば、当然、別の見方も生じるのでしょうけど・・・。

で、日本書紀では箸墓古墳は倭迹迹日百襲姫命の墓として描かれてますし、宮内庁も「ととびちゃんの墓」と認定しておりますので、ここは相当に「ととびちゃん=卑弥呼さん」である可能性が高まってまいりました!



日本書紀の崇神紀においては、その他にも魏志倭人伝を裏書きする個所があります。以下。

「是歳(ことし)、異俗(あたしくにのひと)多く帰(もうき)て、国内(くにのうち)安寧(やすらか)なり。」

意味。今年は海外からも多くの人々がやってくるほどに、平穏な世の中となった。

この海外からのヒト=海外(わたのほか)の荒ぶる俗(ひとども)、ではありませぬ!異俗(あたしくにのひと)とは、まさに帯方郡からの使者のことです!

で、ととびちゃんも古墳に収められてしまった後、彼女の跡を担ったお方が崇神天皇の娘である豊鍬入姫命(とよすきいり ひめのみこと)、いわゆる「トヨちゃん」です。魏志倭人伝では壹与(いよ)と記載されてますが、邪馬台国の段と同じく、臺与(とよ)の間違いであるのは明らかです。トヨちゃんは天照大神にお仕えする任に付いたこともお話しました。

こうなりますと、日本書紀、個人的には、相当程度に信頼できる書物であると思います。魏志倭人伝での第三者的な記載が当事者においてはどのように記されているのか、そこのところの読み方のコツをつかめば、日本書紀を掘り下げることにより、弥生時代からヤマト政権樹立に至るまでの道のりが自(おの)ずと分かってくるのでは?と感じます。そのうち江上波夫氏の「騎馬民族日本征服論」を彷彿とさせるような、壮大なお話を展開したいと考えてます。

一つ気になるのは、「今月の書評-103」で言及したように、魏志倭人伝の方が日本書紀よりも圧倒的に古く、日本書紀を編纂した時には編纂者、あるいは編纂委員会の方々は、当然ながら魏志倭人伝を含む海の彼方の膨大な文献を読んでいたのは間違いのないところであるにも関わらず、何ゆえに、普通に日本書紀を読んでも直ぐにはととびちゃんが卑弥呼さんであるとは分からないのか?わざとそうしたのか、あるいは編纂者も分からなかったのか?

いくつかの可能性があると思いますが、実は、日本書紀の編纂者は、卑弥呼さんを「仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)のお后(きさき)の神功皇后(じんぐうこうごう)に比定」している説が有力です。そのためにわざわざ魏志倭人伝から導かれる年代に細工を凝らし、神功皇后の時代に引きずり込んでいる、とのことです。

恐らくは、魏志倭人伝の記述中の「女王」という言葉に惑わされ、これに合致する方を探したところ、神功皇后に行き当たった、というのが正解でしょうか?神功皇后は皇后ですのでいわゆる女帝=女の天皇ではありませんが、対外的にも対内的にも旦那さんを圧倒する活躍をされたお方です。で、編纂者委員会の方々も、分かっていたのか分からなかったのかは分かりませんが、ともかくも、「女王」にふさわしいお方として、倭迹迹日百襲姫命ではなく神功皇后を選んだのでしょう。センセなんかも、指摘されて初めてととびちゃんの存在に気が付いたくらいですから・・・。

以上から、「卑弥呼さん=ととびちゃん」であると認定いたします!
問題解決!




で、日本書紀やら古事記やら風土記やら考古学的証拠などから鑑みて、この崇神天皇の時代に倭国は統一に向けて大きく動き出した、と考えてます。
今月の書評-125」で、崇神天皇が神浅茅原(かむあさぢはら)に日本各地から多くの豪族を集めて大々的な祀りごとを行ったことが非常に重要な意味を有していた可能性があると指摘しましたが、この時に、これまで各地で行われていた宗教的風習を取りやめて新たな方針を採用すること、そしてそれはヤマトを中心として統一的になされるべきことの合意を取り付けたのではないのでしょうか?

どゆことかというと、あの有名な銅鐸
まず間違いなく当時の神事にかかわる重要な祭器と考えられる物品ですが、この時代を境として全く作られなくなります。
作られなくなったのに加え、破壊されたり埋められてしまった銅鐸も数多くあったようです。

この時代の人々の宗教心を考えると、崇神天皇の時代に生じた疫病(パンデミック)、それに続く各地の反乱の原因はまさにこれまで執り行ってきた銅鐸の祀りにある、従って今後はこれを行わず、別の形に象徴されるものをもってこれに替える、そしてその新たな象徴の元に、諍い(いさかい)を鎮め、倭国全体の統一を皆で図っていこうではないか!との合意に至ったのではないのでしょうか?

それではその新たな象徴とは何か?

答え:前方後円墳です。




銅鐸.jpg
東京国立博物館展示物 ウイキより
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8A%85%E9%90%B8


箸墓古墳-2.jpg
空から見た箸墓古墳。日本初の大型前方後円墳です。

朝日新聞HPより
https://www.asahi.com/topics/word/%E7%AE%B8%E5%A2%93%E5%8F%A4%E5%A2%B3.html


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このページは、喜源テクノさかき研究室が2021年8月 9日 10:56に書いた記事です。

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