今月の書評-115

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さて、魏志倭人伝の中でも、研究者の間でほとんど異論の見られないいくつかの記述を以下に列挙してみます。

● 卑弥呼は「姫の命(ひめのみこと)」を意味し、個人名ではない。
● 朝鮮半島の帯方郡から邪馬台国にたどり着くには、まず海を渡り、対馬(つしま)~壱岐(いき)を経て、末盧国(まつらこく:佐賀県松浦市)に到着する。その後、伊都国(いとこく:福岡県糸島市)を経て奴国(なこく:福岡市)に至る。
● これらの国にはそれぞれ王が居るが、いずれも邪馬台国の統治下にある。
● これらの国々の多くは千戸から数千戸の人家を有するが、奴国は二万戸を有する比較的大きな国である。また、ここから船でしばらく行ったところには投馬国(読み方にはいろいろな説があるので、あえて今は記載しません)があり、これは五万戸以上もの人家がある大きな国である。さらにそこから結構な距離を行ったところに邪馬台国があるが、ここには七万戸の人家がある。従って、国の大きさは、邪馬台国>投馬国>奴国>その他、となる。

上記に異論を唱えるヒトはほとんど居ないと思います。たまに居るけど・・・。

次に、いくつかの異論はあるが、大勢(たいせい)妥当と認められている解釈を列挙します。

● 上記の国々の多くには中央(邪馬台国)から派遣された長官と副官が常駐し、長官を卑狗(ひこ)といい、副官を卑奴母離(ひなもり)と言う。卑狗は取り合えず置いといて、卑奴母離は鄙守(ひなもり)であり、地方を守る役職、という意味である。
● 特に伊都国は半島からの使者の玄関口であり、ここには先の卑狗や卑奴母離とは別格の、強力な権限を持った役人が派遣される。彼は定期的に北九州域を検察し、邪馬台国に謀反致さぬように常に目を凝らしているので、北九州諸国はこれを恐れ憚(はばかって)っている。

その他、邪馬台国の人々の特徴や習慣、風土や因習などの記載、魏とのやりとりなどに関しては取り合えず置いといて、地理学~地誌学的な点から大きな論点のあるところを列挙します。

● 奴国から少し行ったところに不弥国(ふみこく)があるが、これが確定されていない。北九州、あるいは北九州に近い山口県のどこか、と主張される。
● 不弥国から船で20日くらい行ったところに投馬国がある。先に述べたように、読み方によって比定される地域が異なる。

人家数が五万戸もある点がヒントになる、と、個人的には思ってます。

そして、この投馬国を確定することで自動的に邪馬台国そのものも決まる、と思います。で、色々なヒトが色々な事を言ってますが、あ、なあ~るほど!という説を紹介し、加えてセンセお得意の妄想力を駆使し、ひどくきわどい説を展開してみようと思います。次回!


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このページは、喜源テクノさかき研究室が2021年4月25日 10:17に書いた記事です。

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