今月の書評-109

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さて、西日本においては比較的分かりやすい形で水田稲作農法に代表される弥生式文化が広がっていくわけですが、東日本ではナカナカ複雑な形で拡散していくようです。やはりそこには縄文の根強さ、というものが関与しているのは明らかです。

関東平野に水田稲作が広まるには、紀元前3 世紀まで待たなくてはなりません。
なぜだか分かりませぬ・・・。

岐阜~長野を中心とした中部地方ではアワ・キビなどの雑穀農法がいち早く広まった一方で水田稲作農法の伝播が遅れたのはこの地方の地形~気候風土などから十分に納得できますが、なぜ、太平洋沿岸を伝わって関東に稲作が伝わるのが遅れたのか、どうにも得心が得られませぬ。
特に、なぜ東北が先なのか、稲作の農学的特性を考えると、まことにもって奇々怪々であります。


一つの説があります。それは、

「北海道のアイヌと交易するためには米が必要だった。だもんで、わざわざ東北の、しかも北海道の対岸の青森で、稲作を行ったのだ!」

というものです。


ううむ、ヒグマの毛皮やらラッコの毛皮やら鮭の干物やら昆布やらその他、なるほど、これらは確かに西日本では得られない貴重なものだ。加えてアイヌ側としても、一旦お米の味を覚えたならば、これはこれで重要なものとなったことであろう。
何しろお米からは「お酒」も造れるし・・・。
センセの場合、その気持ちは痛いほどよく分かる・・・。

「弥生正宗」の生一本、飲んでみたいものである・・・。

この説、個人的にはナカナカ説得力があると思います。
今後に述べていく予定ですが、「お金としてのお米」という見方、非常に重要です。特に、道南地域においては本土との交流~交易のあとが色濃く見られる恵山文化(えさんぶんか)と呼ばれる続(ぞく)縄文文化が花開くわけですから、北海道特産品購入の対価の一つとして、お米が重要であったのは間違いありません。

東北に向かって正攻法的に「面」でジリジリと押し寄せるのではなく、日本海側を海路で、「点と線」的に、途中には水田稲作を行うにはより良い地域があるにも関わらず、そこは見向きもせず、中抜きで、一気に青森に到達するという水田稲作の出現状況を見ると、事によると、西日本の当時の大商人~有力者がプロジェクトを発案し、技術者を雇って、最終目標としての北海道との交易を有利に運ぶため、交易の対岸地にプラントを立ち上げた、という妄想はいかがでしょ?

現代の世界においても、途上国へのプラント輸出は輸出側に富をもたらすのみならず、途上国側には技術が移転されると同時に経済的な発展を促す契機となるわけで、青森の亀ヶ岡文化末期の縄文人や道南のアイヌ人の心に何らかの火をつけた可能性もあるのでは?

反論:西日本で採れた米を船で直接北海道に持っていき、交易すれば良いだけである。
反論の反論:船と航海術が未熟だったので、現地でプラントを立ち上げる方が効率が良かった。
反論の反論の反論:それでは北海道で得た交易品はどうするのか?現地で消費するのか?船で持ち帰らなくては意味が無いぞ!
反論の反論の反論の反論:米は重い!現地生産が効率が良い!

どうやら水掛け論に陥ったようで・・・。




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このページは、喜源テクノさかき研究室が2021年2月23日 11:31に書いた記事です。

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