今月の書評-104

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今日で1月も終了。早いものですね。
今年はコロナのせいで、毎年恒例の親戚一同うち揃ってのお正月もナシ!
お年玉あげずにすんで良かった~、なんてさもしいことは考えませぬが、やはり何らかの区切りの祝いが欲しいところです。

で、海の向こうでは、トランプさん、とうとうおん出されてしまいました www。支持者らによる議事堂への乱入事件に驚いたヒトも多かったと思いますが、バイデン大統領の誕生で、ナントか当面は、常識的なアメリカに戻っていくとは思います。



さて、今回、縄文時代から弥生時代に移行する頃の最も初期の時代を考えてみたいと思います。土器~農作~社会の変化などがキーワードです。

今月の書評-76」で突帯文土器(とったいもんどき)のお話をしましたが、この土器は従来は西日本における縄文時代最晩年の土器、と見なされてきた土器です。
けれども、菜畑遺跡や板付遺跡でこの形式の土器と共に明らかな水田稲作の遺構が発見され、同時に、年代測定法の進歩によってこれらの遺構の年代が紀元前1000 ~900 年前と認められたことから、定義上、弥生時代の始まりは紀元前1000 年前頃、と決められることとなりました。未だ異論はあるようですけど・・・。

とったいもん-2.jpg
夜臼(ゆうす)式の突帯文土器 福岡市埋蔵文化財センター より
https://www.city.fukuoka.lg.jp/maibun/html/tenji_syasin2/210.html



で、今月の書評-76」でもお話したように、この形式の土器は朝鮮半島に由来を持つ土器です。そして、繰り返しになりますが、菜畑遺跡では、この形式の土器と共に明らかな水田稲作耕作跡が発見されました。
ですから、この土器と共に水田稲作文化が半島から伝播し、弥生時代が始まった、と言えます。ここまでは良いです。

が、ここでナンカ、頭が混乱するような問題が発生します。

それは何かというと、水田稲作の開始=弥生時代であると定義したわけですから、水田稲作の遺構に伴って見出された突帯文土器=弥生式土器である、と考えて良いようなものですが、違います。突帯文土器は縄文式土器なのです。

WHAT ???

縄文式土器と弥生式土器の根本的な違いは、焼き方にあります。

縄文式土器は、地面に掘られた窪地に枯草や枯れ枝などの燃料となるものを敷き、この上に土器を並べて火をつけて焼き固めます。オープンな空間で焼くので温度も低く、それだけもろくなるので、土器の肉厚も厚くしなくてはなりません。
一方の弥生式土器では土器を万遍なく燃料で覆って焼くので、温度も高くなり、それだけ丈夫で薄く作る事ができます。

要するに、両者の根本的な違いは焼き方にあるのです。

ここで疑問です。

問い。「でも突帯文土器は朝鮮半島に由来を持つんでしょ?ということは、当時の朝鮮半島の土器も縄文式なのか?」

答え。「違います。朝鮮半島の突帯文土器は弥生式と同じく、高温で焼かれた土器です。」

問い。「どういうこと?」

答え。「縄文時代の突帯文土器は、縄文人が半島の土器の形をまねて、自分たちの方法で作った土器なのです!」

問い。「では、初めの水田も縄文人がまねて作ったのか?そんなこと可能なのか?」

答え。「出土する大多数の突帯文土器は縄文人が作ったものと考えられますが、数%のものは朝鮮式で作られてます。従いまして、この時代、水田稲作技法と改良された土器製作法を伴って列島に移住した人々の数は少なかったが、その文化に多くの縄文人が魅了され、我も我もと真似し始めた、というのがどうやら真相のようです。」

問い。「でも、「今月の書評-76」では夜臼式土器は弥生式土器って書いてあるじゃん。どうゆうこと?」

答え。「言葉の遊びです WWW。土器の作成法に重きを置けば夜臼式土器は縄文式土器となり、弥生時代の定義に重きを置けば弥生式土器となります。ここら辺のところ、弥生時代に関する本とか文献とか読んでるとヒトによって本当に色々書いてることが異なるので、センセを含めた一般人が混乱するところだと思います。」


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このページは、喜源テクノさかき研究室が2021年1月31日 14:21に書いた記事です。

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