今月の書評-97

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さしもの長雨もようやく明け、待ちに待ったお盆休みを迎えた日本列島ですが、例年とは大きく趣が異なる夏の日々です。

相変わらずのコロナではありますが、これに加え、昨年~一昨年に体験した、あの猛烈な暑さが、少なくとも梅雨明け後の長野では、今年は幾分薄らいでいるようです。
今後に猛暑となるのかもしれませんが、今のところは涼しくて助かります。
けれども、残念ながら、昨年~一昨年に体験したあの強烈な熱波と紫外線で一気にコロナがコロナっと死滅しますように!とのセンセの願いは、雲散霧消の態であります・・・。

さて、前回、すでに紀元前後には「韓人」と「倭人」とは別種であるとの認識がもたれていた、というお話をしました。
また、「今月の書評-86」で示した王充(おうじゅう)の「論衡(ろんこう)」中に、「周の成王の頃(紀元前1055-1021 年)、越の国と倭の国から使節がやってきて、越はキジを、倭は暢草(ちょうそう)を献じた」という記載があることも指摘しました。

論衡が書かれたのは紀元1 世紀内ですので、周の成王の頃に「倭」が「倭」と呼ばれていたのかどうかは実は不明ですが、紀元前後に「倭」と認識されていた人々が紀元前1000 年頃にも同一のアイデンティティーを有して存在していたことは認識されていた、と見なして然るべきだと思います。難しい物言いだけど・・・。分かる?

また、「今月の書評-94」で紹介した鳥越憲三郎氏の著作、「古代朝鮮と倭族」の中には、春秋時代、江蘇省から山東省にかけて東夷による多くの小国が存在していた事実が書かれていることを紹介しました。残念ながら「倭国」の名前はその中にはありませんが、論衡の記載からも明らかなように、「倭」と認識される一群の人々が小国を形成し、より大きな「呉」の勢力圏に収まっていたのは、その他の文献的証拠からも、相当に確実視されると思います。

あの有名な魏志倭人伝(西暦280~300 年)には「倭人の男子は、老若貴賤を問わず、顔~体に入れ墨をしていた」と記されてますが、老荘思想で有名な荘子(そうし)が書いた荘子内篇第一逍遙遊篇(紀元前369 年頃 - 紀元前286 年頃)には、「海岸沿いの住人たちには入れ墨の文化がある」との記載があるそうです。
さらには近年の発掘調査の結果から、往年の「呉」の版図から出土した当時の人骨からは縄文人とは異なる形式の「抜歯」が施された人骨が多く見つかるとのことで、これらの抜歯の形式は弥生人人骨に見られるそれとほぼ完全に一致する、とのことです(日本人の起源:中橋孝博)。
「三国志」や「後漢書」の東夷伝には当時の朝鮮半島南部における各部族の様子が描かれていますが、倭人が半島南部に数多く居住していた事実と共に、彼らの特徴の一つとして、しばしば入れ墨が特筆特記されています。

で、これらの中国の史書によって描かれた紀元前後は馬韓、弁韓、辰韓による三韓時代であり、各々が数多くの小国で成り立ち、さらにこれらの三国では風俗、習慣、言語もまた異なることを記していることから、「韓」という共通項でくくられる「民族的まとまり」が当時の半島南部に存在した、と考えるのは無理があると思います。

おそらく、「韓」というのは、当時の帯方郡やら楽浪郡やらの中国王朝の出先機関の役人が半島郡南の地を指して名づけた「地名」である、と個人的には考えています。で、「韓人」の中には箕子朝鮮以前に住んでいた満州由来の連中も居たであろうし沿海州あたりが由来のツングース色の強い連中も居た、山東半島や徐州あたりから流れてきた東夷の連中も居たであろうし呉や越の滅亡後には長江下流域から半島南西部に向かって流れてきた連中も居た、と考えるのが自然です。

これらの住民が異口同音に「俺たちゃみい~んな韓なのさ!友達なのさ!」などと唱えるほどのココロ優しい連中であったとは、とてもじゃないが思えまへん!

彼らを一緒くたに「韓人」という「民族的名称」でくくってしまうのは誤解を招くものである、と思います。民族的に捉えても、せいぜい、扶余や後の高句麗に代表される北方系の民族、あるいは特筆特記された南方系の倭人、に対峙する概念、と捉える方がよかろうと思います。


それではなぜ「韓」なのか?という疑問ですが、これは分かりませぬ。


戦国の七雄の一つに「韓」がありますが、関係があるようには思われませぬ。
一方、当時の楽浪郡の中国系住民の多くが「王」と「韓」の姓を有していた、という話がウイキに載ってます。

従いまして、ことによると、「韓」姓を持つ人々が郡南の地に移住したために当時の役人がこの地を「韓」と呼ぶようになった、という推測も成り立ちます。
結構ありがちな話かな?とも思いますが・・・。

さて・・・。



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このページは、喜源テクノさかき研究室が2020年8月 9日 16:14に書いた記事です。

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