今月の書評-95

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続きです。

学術の世界を含め、「倭人論」に関しては世間一般に色々な説が流布しているわけですが、センセの説もその中の一つに過ぎませぬ。
自らのルーツ探しという点ももちろんながら、空想というか妄想というか、限られたピースをもとに如何にして本来の絵を整合的に描き出すことができるかという、ジグソーパズルにも似た面白さがあるためだと思います。

で、発掘結果や科学的検証法の進歩などにより、時代が下るほど新規な事実が生じてこれまでの結果が覆る(くつがえる)のが当たり前の世界ですので、論争なども若い世代の方が有利になるのは必然です。
このような事実を踏まえた上で、センセの説の今後の展開のためにも、一部で流布している説を検証し、ここに整理しておきたいと思います。

1) 倭人は呉国の滅亡によって列島に移住し、稲作もその時に伝わった。

反論:呉国が崩壊したのが紀元前473 年で、列島最古の水田稲作遺跡である菜畑遺跡の推定年代が紀元前930 年頃であるから、呉の滅亡と稲作の伝播とは無関係。一方で、呉の滅亡に由来する半島での擾乱が、日本列島に大きな影響を及ぼした可能性は十分にある。

2) 倭の音はwo で、これは越の中国音と似ている。倭人は越の滅亡により生じた難民によって生まれた国である。

反論:呉の滅亡と同じく、まず、年代が大きく食い違う。次に、「今月の書評-86」で述べた中国の史書、「論衡(ろんこう)」中に、倭人と越人が周に朝貢に来たことが述べられている。倭人=越人であるならば、両者を区別して書くことはない。また、越の日本語読みは「こし」である。倭人が列島に勢力を拡大した後に越人の一部が流れ着き、定住した可能性はあるだろうが、倭人そのものではなかろう。

3) 水田稲作は山東半島から朝鮮半島を南下し、列島に伝わった。

反論:「今月の書評-83」で反論してます。

4) 倭人は長江下流域から直接に列島に移住し、定着した。

反論:これに関して、項を新たに、次回、大々的に反論したいと思います。
   

本日はこれまで!


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このページは、喜源テクノさかき研究室が2020年7月23日 16:37に書いた記事です。

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