今月の書評-94

| | トラックバック(0)
せっかくの連休も雨また雨・・・。
加えてコロナも第二波到来の勢い・・・。

ま、涼しくて良いし、ここは一つ、大人しく部屋にこもってセンセのブログでも読んでいませう。


さて、お酒遺伝子ALDH2 のケースからも中国江蘇省界隈との関連が裏付けられる倭人ですが、「今月の書評-90」でも指摘したように、福岡県のポピュレーションにおける変異型の割合が期待されるよりも少ない。むしろ現在の韓国に近い。
この謎は、恐らく、倭人渡来以降の歴史、特に、近代における半島からの移住の結果を反映しているのだと思われます。

このことからも、むしろ、地理的な近さに由来する北九州~朝鮮半島の、相互間の人的~文化的影響力表すものだと思います。当たり前ですが・・・。



さて、鳥越憲三郎氏の「古代朝鮮と倭族」を読むと、長江中流から下流域にかけて水田稲作を経済基盤とした文化的にも共通性を有する多くの部族が住んでいたとのことで、鳥越氏はこれらをひとくくりにして「倭族」と名付けております。
基本、これらの部族はこれまで述べてきたO1b2O1b1 に相当する連中ですが、中国の史書に言う「百越(ひゃくえつ)」に相当するものです。

で、長江北岸のO1b2 は江蘇省から山東省にかけて勢力を伸ばし、北方のO2 の連中とハイブリッドを形成して中原の連中からは「東夷」と呼ばれる勢力を形成することとなるわけですが、当然ながら単一の部族ではなく、個々に名称を有する部族の集合体であったと思われます。
鳥越氏の本によれば、周の時代、江蘇省から山東省にかけて、徐(じょ)、淮(わい)、郯(たん)、莒(きょ)、奄(えん)、莱(らい)などの東夷の国々があったとのことです。徐は徐州として、淮は淮河として名を残しておりますが、これらの中に「倭」という名称がないことからも、倭族はむしろ、それこそ「矮小」な部族の一つであったと、個人的には考えてます。

従いまして、百越をひっくるめて「倭族」と呼ぶのはやりすぎだと思いますし、倭はあくまでその中の弱小部族の一つに過ぎなかったのも確実ですが、彼らが文化的な共通点を有していたのも間違いのないところで、昔いうところの「照葉樹林文化圏」がそれにあたると思います。すなわち、高床式住居、「もち」や「ちまき」などのもち米料理、味噌~醤油~納豆~寿司などの発酵食文化などが該当します。
基本的に、水田稲作にほぼ必然的に伴う伝統~習慣~宗教観が、その後のO1b2 の拡散に伴って長江下流から朝鮮半島を経て日本列島まで伝播した、それを追うことで倭人の由来が明らかとなるのではなかろうか?というのが鳥越氏の基本姿勢です。その通りだ、と思います。

で、ところが、そのままでは大いなる矛盾がニョキニョキと生じまして、そうは単純ではなかろう、と、みんなが頭を悩ませているのが現状であります。


寿司の原点 libertymarket.jp より

寿司の原点.jpg



トラックバック(0)

このブログ記事を参照しているブログ一覧: 今月の書評-94

このブログ記事に対するトラックバックURL: http://www.kigen-technosakaki.jp/mt/mt-tb.cgi/283

この記事について

このページは、喜源テクノさかき研究室が2020年7月23日 10:01に書いた記事です。

ひとつ前の記事は「今月の書評-93」です。

次の記事は「今月の書評-95」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。