今月の書評-86

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いわゆる倭人に関してはウイキを始めとして色々な所で書かれていますので、とりあえずはこれらをまとめる作業となるかと思います。もちろん、所々にセンセの妄想を織り込んでいきますけど・・・。

中国後漢時代の思想家である王充(おうじゅう:西暦25 年~1 世紀くらい)が表した大著、論衡(ろんこう)中に書かれた一文が、最も古い倭人の行為に関して書かれた記録となります。そこには、「周の成王時、天下太平にして、越裳雉を献じ、倭人暢草を貢ず」と記載されているそうです。意味は、
「周の成王の頃(紀元前1055-1021 年)、越の国と倭の国から使節がやってきて、越はキジを、倭は暢草(ちょうそう)を献じた」ということです。

暢草が何を意味するのか不明ですが、霊芝(れいし)あるいはウコンという説があります。要するに、「不老長寿の薬草」というニュアンスです。

いずれにせよ重要なのは年代で、紀元前1000 年頃ということですし、加えて「」と並んで記載されていることから、これは倭の使いは北九州からわざわざ大陸まで来たのではなく、長江下流域から、隣人の越人と共に、当時の周の都である豊京(長安)に来たというのは確実です。

王充が書いた論衡という書物は全30巻85篇にのぼる大著で、その内容は自然哲学、天文、人間論、歴史、思想などなど多彩であり、また、ウイキによれば、非合理的な思想は迷信論として徹底的に批判していたそうなので、相当に信頼できる書物なのではなかろうか?と考えます。

仮に論衡の記述が正しいとすれば、紀元前1000 年ころに長江下流域に倭人の国が存在していた可能性が生じると同時に、ことによると、朝鮮半島~北九州に水田稲作技法をもたらしたのは倭人そのものなのではないのか?という説も、大いに信憑性を増すこととなります。




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このページは、喜源テクノさかき研究室が2020年4月12日 16:40に書いた記事です。

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