今月の書評-45

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紅白歌合戦もダウンタウンもものともせず、縄文に固執するセンセです。

さて、北海道には登別、紋別、芦別などのベツ~ペツの付く地名や、稚内、幌内などのナイが付く地名が多いのが特徴ですが、これらが「川」を意味するアイヌ語であることはご存知の方も多いかと思います。

で、これら、ペツとナイの付く地名が東北北部にも多く存在することも、知ってる人は知ってると思います。以下、分布図です。

ペツ、ナイ.jpg
一見して明らかなように、青森~岩手~秋田に多く分布してますが、宮城~山形となると減少し、福島~新潟には(たぶん少数はあると思いますが)見られません。

で、これらの東北三県にペツ~ナイの付く地名がこれほど多く残存していることから、これらの地域には、過去にアイヌ人が住んでいたことは明らかです。

で、問題は、これらの地名はいつ付いた?ということです。

もしも亀ヶ岡文化を生み出した連中が純粋のアイヌ人であったとするならば、これら東北三県のペツ~ナイは彼らが名付けたものである可能性は、あります。
しかしながら、図からも明らかなように、見事に、ある一線(二線?)で停止しています。沖縄にまで影響を及ぼした栄光の文化にしては、東北三県でピタッとペツ~ナイが停止しているのは不自然です。

恐らく、この一線の南には、南下を阻止するナンカ(ダジャレです)が存在していたと考えられます。

で、種明かし。

これらの地名は、4世紀から6世紀にかけて北海道から南下してきたアイヌの人々の残した遺産なのです。

問題:では、なぜ一線で停止しているのか。
答え:一線の南には、すでに北上を開始していた倭人と、元々そこに住んでいた元縄文人が居たから。

じゃ、亀ヶ岡文化を生み出した連中は何者なのか?
アイヌとはまったく関係ないのか?

ここからは個人的な妄想も加えたお話になります。

三内丸山の時代からすでに、東北北部と道南地方は、丁度朝鮮半島の南沿岸から北九州がそうであったように、一つの文化圏を形成しておりました。
道南地方の背後には、Deep North、樺太経由の人々=アイヌ人による、津軽~道南文化圏とは多少とも色合いの異なる縄文文化がありました。
その結果、津軽~道南文化圏は、アイヌ文化と縄文文化が互いに融合~刺激しあう場となったはずです。
加えてシベリアからのツングース系文化との交流もあり、農産物としてはソバを植え、道南の豊かな海産資源も利用して、列島の縄文文化が疲弊する一方で、ここに栄光の亀ヶ岡文化が花開きました。

けれども主体は縄文系であり、deep なアイヌ系とは異なるものでした。

紀元前3~4世紀になると津軽地方にも水田耕作技術が到達し、ナント、彼らはこれに挑戦!一旦は成功します。その結果、ここに東北の縄文時代は終焉を迎えることとなりました。

けれども程なく気候は再び冷涼化し、稲作は見事に失敗!
津軽サイドの元縄文人は再び南下し、東北は閑散とした状況となります。

一方、道南サイドの連中にとってはさすがに北海道での水田耕作の選択肢はなく、引き続いて縄文時代を送ることを選びました。
ここで一旦、津軽~道南文化圏は分断され、道南はdeep 系アイヌの影響を強く受ける状況となりました。「続(ぞく)縄文時代」の始まりです。

このような状況で数世紀が過ぎたころ、樺太からギリヤーク系の連中が北海道に到着、定住生活を送るようになりました。「今月の書評-24」でご紹介した粛慎(しゅくしん)=オホーツク人(ニブフ人の祖先)です。
アイヌ人とオホーツク人とは基本的には敵対関係にありましたが、それでも男女関係というのは敵対関係にあるほど燃えちゃったりしますので、アイヌのロミオと粛慎のジュリエットとの間には子供ができちやったりしたようでして、アイヌの血には列島の他の地域ではナカナカ見られないタイプの北方由来のDNA タイプが、すでに縄文時代においても明確に検出されます。

で、これらオホーツク人の侵入に押された結果、紀元後の4~6世紀、ところてん式にアイヌ人は津軽海峡を渡り、今や人口希薄となった東北地方に侵入していった結果が、東北地方に今に残るペツ~ナイの地名というわけです。
これらの流れは、基本的に、考古学的にも文献的にも、確かなものだと思われます。

で、再び自問自答したいと思います。

「もしも縄文人=アイヌ人であり、縄文語=アイヌ語であったとするならば、ペツ~ナイの地名は東北三県に限られることなく、ましてやあの一線で停止するようなこともなく、少なくともより南部の関東~中部~北陸までは、比較的良好に残っているはずだ!それがあの一帯だけに限定されるということ、それ自体が、縄文語とアイヌ語は違うということを意味するものだ!」

と結論付けたいと思います。

実際は、関東や中部などにも、僅かではありますが、ペツ~ナイの地名があります。有名なのは「黒部川」ですね!クルペツです。
また、日本語としては意味不明な地名もアイヌ語で解釈すると意味が通じる、などという例もいくつか見られます。
例えば東京~埼玉の古い呼び名である「武蔵(むさし)」ですが、日本語としてはイミフです。けれどもこれをアイヌ語で解釈すると、「草の野原」という意味になるということです。

しかしながら、こういうのは眉唾ものだと思います。

東北三県のペツ~ナイの分布と北海道アイヌの距離的な近さ、さらに考古学や文献に基づく確かさに比べ、イミフな地名を適当に拾い上げ、アイヌ語で解釈して意味が通じるからといっても、それを縄文語=アイヌ語の証拠とするには余りにも苦しすぎます。古代朝鮮語を研究してるヒトが日本各地の地名をバッシバッシと古代朝鮮語で切りまくった本を読んだことがありますが、同じ穴のミーアキャットです。

しかしながら、「ならば、本当の縄文語とはどういうものなんだ?」と聞かれても、「分かりませぬ・・・。」と答えるしかありませぬ・・・。

現代の我々が知っている地名のほとんどには、漢字がふられてます。これが、実は、厄介なのです。
漢字には「音(おん)」があると同時に、意味があります。そのため、「音」に付けた漢字の意味に引きずられ、「音」までもが変化する例がしばしば見られます。北アルプスの「白馬」が良い例です。

白馬って、「ハクバ」じゃないです。白い馬じゃないんです!
あれは「シロウマ」と読まなくてはならないし、「シロウマ」は「白い馬」のことじゃないんです!知ってるヒトは知ってると思うけど、知らないヒトはググってください!

ということで、漢字によって古い時代の読み方がひん曲げられてしまうので、地名から縄文語を読み解く研究は実に難しい作業だと思います。でも、地道に丹念に拾っていけば、事によると、思いもよらない言葉が実は縄文語だった、などという結果も、将来的には得られるかも知れません。

言語学の先生たちには大いに頑張ってもらいたいところです!


では、とりあえず「ゆく年くる年」だけはチェックしたいと思います。
それでは皆さま、よいお年をお迎えください。

カルロス・ゴ~~~ン!



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このページは、喜源テクノさかき研究室が2018年12月31日 20:15に書いた記事です。

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