今月の書評-44

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大晦日です。
一昨日~昨日は自宅をテッテ的に大掃除いたしまして、身も心もスッキリと新年を迎えられそうです。

汚れちまった悲しみも、燃えないゴミとして処分しました。

さて、青森の三内丸山遺跡に代表される盛大を誇った縄文文化ですが、「今月の書評-33」でもご紹介したように、その後は急激にシュリンクしてしまいます。
そんな中にあって、縄文最後のきらめきとでも言うべきものが、同じく青森の亀ヶ岡文化です。例の、遮光器土偶を生んだ文化です。

亀ヶ岡文化は東北北部から北海道南部にかけて栄えた文化で、遮光器土偶の他、独特の文様とベンガラや漆による色付けが施された土器や漆器類、漆塗りの櫛や籠の出土でも有名な文化です。

以下、いくつかをご紹介。

亀ヶ岡-2.jpg
注口土器 http://inoues.net/ruins/3naikamegaoka.html 様より

亀ヶ岡-3.jpg
朱塗り土器 同

亀ヶ岡-4.jpg
合掌土偶 八戸市の縄文遺跡:是川遺跡(これかわ) https://blogs.yahoo.co.jp/nakagawa5939/37130344.html より

亀ヶ岡文化は、今からおよそ3000 年くらい前から紀元前3~4 世紀あたりまで続いた文化です。ですから、北九州に初めて水田耕作を伴う文化、すなわち弥生文化が現れたのと時を同じくして東北~道南に登場した文化です。
そして、水田稲作が青森に到達した、まさにその瞬間をもって終了した文化です。

時代はすでに歴史時代であり、大陸では殷~周~春秋戦国時代の頃です。
シベリアはツングースなどの北方系モンゴロイドが占める場所となり、亀ヶ岡文化の連中も、これら大陸との交易を行っていたと考えても不思議ではありません。個人的には、土器の文様や彩色、あるいは遮光器土偶の表面の文様などにも、大陸からの影響を感じますが・・・。

亀ヶ岡式の土器類は列島を南下し、関東~中部地方はもちろんのこと、北九州に及ぶに至っては、半島由来の初期の弥生式土器にも影響を及ぼしたほどに、晩期の縄文人を魅了した土器でした。
さらに驚くべきことに、沖縄本島からも、亀ヶ岡式土器の断片が出土しています。

まさに、縄文の有終の美を飾る文化であったと言えるでしょう。


さて、東北北部から道南を中心として栄えた亀ヶ岡文化ですが、この文化はアイヌ人が担ったものなのでしょうか?それとも三内丸山の生き残りの縄文人が作り上げたものなのでしょうか?

北海道南部に亀ヶ岡文化が広がっていたころ、北海道の他の部分にはどのような文化があったのでしょうか?


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このページは、喜源テクノさかき研究室が2018年12月31日 10:19に書いた記事です。

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