今月の書評-43

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さて、今年もいよいよ残りわずかとなってまいりました。明後日には平成最後のお正月を迎えるわけですが、年越しの準備はお済でしょうか?
対外的には何かと不確定要素の多かった一年でしたが、太平洋の彼方の大統領と日本海の向こうの大統領と、この二人の大統領に振り回されっぱなしの年であったように思います。たぶん、来年も同じような展開が続くのかと思いますが、「ヤレヤレ・・・」ってえのが平均的日本人の偽らざる気持ちかと思われます。

さて、「アイヌ人=縄文人?」ということですが、「今月の書評-40」でご説明したように、アイヌ人とは、2万数千年前にシベリアからマンモスを追って細石刃文化とN9b のmtDNA ハプロタイプを持ち込んだ人々の末裔だ!と、センセは考えています。
細石刃文化はその後しばらく北海道に留まりますが、その後に東北に伝わり、さらに南下して、1万2000 年前ころには関東から出雲地方にまで到達します。
一方、北九州には別の形式の細石刃文化が半島から伝わり、南九州まで到達することとなります。
現在においても顕著に識別できる日本列島東西二つの文化圏がすでに旧石器時代において生じていた、という興味深いお話です。
シベリアルートと半島経由のルート、この二つを想定すれば、比較的すんなりと腑に落ちる結果かと思いますが・・・。

で、その後に縄文時代となりますが、縄文人骨のN9b の分布を見ますと北>南の傾向が顕著に見られますので、これはこの時のアイヌのご先祖さまが先に列島に到達していた縄文人のご先祖さまとの間で交わった結果だ、と考えてます。

因みにこの場合、細石刃を売り込むために、アイヌ人そのものがセールスマンのように細石刃をカバンに詰めて列島を南下する必要はありません。東北の縄文人のご先祖さまがアイヌの嫁さんをもらったついでに持参金代わりの細石刃を得ることができれば、その後はほっといても、当時の最先端の文化である細石刃文化とイケテルオンナのN9b は、共に手を携えて南下していきます。細石刃を得たオトコは昔ながらの旧石器を使用している連中よりも多くの獲物を得ることができたでしょうから、N9b の嫁さんはより多くの子供を残すことができたことでしょう。

こう考えますと、ごく単純に考えて、北に行くほどアイヌ系の要素が強くなり、南下するほど半島由来の縄文人のご先祖の要素が強くなる、という図式が自然に描けます。言語も例外ではないでしょう。

TV ラジオはもちろんのこと、いまだ文字も無い時代ですから、言語は親から子へと口伝い。鉄道も車もありませんから、谷一つ隔てて数百年もすれば隣村とは相当に意思疎通が困難となった可能性も十分にあります。
一方でこの時代、列島を縦横に跨いで交易が活発に行われていたわけですから、何らかの共通言語的なものも存在したはずです。でないと、交易はできません。
関東の海産業や北陸のヒスイ工房、長野の黒曜石加工品など、各地方の特色が活発な交易の原動力となったと同時に、山や谷、海などの自然の障壁はヒトの移動を拒む方向に働くわけですから、両者相まって、この時代、列島にはいくつかの文化圏が生じました。当然、各々の文化圏で用いられる言語には違いが生じる一方で、交易の結果、文化の交流も生じたことでしょう。文化交流の結果、言葉の貸し借りも当然に生じたと思われます。

このようにごく単純~素直に考えてみると、deep な北海道では純粋なアイヌ語が話される一方で、南下するにつれてアイヌ語の影響は薄れていくという、ごく自然な結論に達します。
もちろん逆に、縄文人の言葉がアイヌ語に影響を与えた可能性も十分にあるはずです。

それが何であるかは皆目分からないんですけどね!


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このページは、喜源テクノさかき研究室が2018年12月30日 16:20に書いた記事です。

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