今月の書評-40

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続きです。

北海道への細石刃文化の流入とマンモスハンター
日本列島各地でナイフ形石器文化が花盛りだった頃、北海道に細石刃文化がシベリアから流入しました。

最新の研究では、細石刃文化の流入は今からおよそ2 万3000 年くらい前、と考えられています。
また一方で、マンモスが樺太を通じて大陸から北海道に到達したのは3 万~2 万5000 年前、さらに、マリタ遺跡にマンモスハンターが住んでいたのも同じ時期です。

と、なりますと、次のようなシナリオが描けます。


姶良火山が大噴火した
粉塵が大気を覆い、地球規模で気温が低下した
海面が低下し、大陸と北海道が樺太を通じて繋がった
さすがのマンモスたちもシベリアの寒さに耐えかねて南下した
これを追ってシベリアのマンモスハンター連が細石刃技法を伴って南下してきた


どうでしょうか?すんなりと腑に落ちるようなカンジがしますが・・・。


細石刃文化を伴って大陸から北海道に渡ってきたマンモスハンターこそが、アイヌの祖先だ!
細石刃技術は、マリタ遺跡に住んでいた人々がマンモスを効率的に狩るために編み出した文化です。で、当時のマリタ遺跡に住んでいた人々が欧州系の連中であったのは、すでに何度も述べたところです。
で、あるならば、北海道にマンモスを追って流入してきた人々は、これら欧州系のマリタ人だったのでしょうか?

DNA 分析によって、その可能性は完全に否定されています。

「ヒトが流入しなくても、文化だけが入ってきた可能性もあるジャン!」という問いも提出できます。その場合は次のようなシナリオとなります。


北海道では津軽海峡を渡ってきた旧石器時代人がほそぼそと生活していた。
                ↓
      「近頃やけに寒くなってきたのお~」と感じていたころ、
 見たこともない毛むくじゃらのゾウが北からのっしのっしと押し寄せてきた。
                ↓
  そのうちの一頭は背中にケガをしていた。見ると、槍が刺さっていた。
                ↓
  やさしい旧石器時代人が可哀そうに思い、刺さった槍を抜いたところ、
        槍先には細石刃技法が使われていた。
                ↓
   「おお、これは素晴らしい!」と北海道の旧石器時代人は恐れ入り、
           早速真似するようになった。
                ↓
槍を抜いてもらったマンモスは、お礼に「あなたに温かい毛皮のマントを差し上げましょう。けれども私がマントを作っているところを覗いてはいけませんよ!」
              と言った。
                ↓
       けれども好奇心に駆られた旧石器時代人は、
    ある晩マンモスがマントを作っているところを覗いてしまった。
     マンモスは、自分の皮を剥いでマントを作っていたのだ!
                ↓
   「見ましたね?」と言ったマンモスは、温かい毛皮のマントを残し、
      丹頂鶴となってシベリアに飛び去っていった・・・。


どうでしょうか?可能性としては低い展開ですね。
インターネットやSNS も無い時代ですから、やはり文化の伝達にはある程度の人数が伴っていた、あるいは、すでにこの頃までには北海道と大陸のマンモスハンターとの間には何らかの物流システムが存在していた、と考えるのが妥当だと思います。
そしてマリタ遺跡~細石刃~マンモスという流れを素直に読み取る場合、北海道の少数の旧石器時代人が北上し、細石刃文化を学んだ後、再び北海道に戻った、という展開は極めて考えづらいと思います。

で、この項の結論。
「マンモスを追って大陸から北海道に流入してきた人々がアイヌ人の祖先である、という可能性が強くなった!」

DNA 的にはどう?
「今月の書評-24」でアイヌ人のmtDNA の結果を示しました。最も古い時代のものでも縄文時代ですので、当時のアイヌ人にはすでに北方系モンゴロイドのDNA がある程度流入していることも示しました。

けれども、マリタ遺跡の欧州系の遺伝子はまったく検出されませんでした。

細石器技術が流入したのは2 万3000 年くらい前のことですから、当時のシベリアには北方系モンゴロイドは未だ存在していません。

で、あるのなら、今月の書評-24」で示した縄文時代のアイヌ人のmtDNA パターンから北方系モンゴロイドのパターンを差し引いたものが、細石刃を持ち込んだ旧石器時代のアイヌのご先祖と目される人々のmtDNA のプロトタイプである!と断定してもOK だと思います。さらに言うならば、南から来て住み着いていた南方由来の旧石器時代人のmtDNA を差し引けば、さらに精度が高くなる可能性もあります。すなわち、ここからM7a を引くのです。

そうなりますと、アイヌ人mtDNA のプロトタイプは、ほぼN9b 一色となるように思われます。

で、沖縄や石垣島から出土した縄文人骨はもっぱらM7a であり、列島各地から得られた縄文人骨のmtDNA 分析からは南から北へのM7a →N9b 勾配が確認されるわけですから、ここから得られる結論は以下のようなカンジとなります。


チベット高原から東南アジアに到達したご先祖さまたちは、
その後、M7aN9b のプロトタイプのハプロタイプ(ややこしくてすいません) 
を持った女房連を伴って、中国大陸を北上した。
 道すがら、沖縄や八重山諸島に住み着いた少数派もいた。
途中で、朝鮮半島を経て日本列島に移住する一派と
そのまま北上する一派に分かれた。
北上した一派を待ち受けていたのは、恐ろしいほどの寒気だった。
ここで、エネルギー産生装置であるミトコンドリアに
強い淘汰圧がかかった。つまり、
N9b のミトコンドリアはM7a よりも寒気に耐えた!
 ↓
時が経つにつれ、彼らのmtDNA は、ほぼN9b 一色となった・・・。


と、いうカンジでいかがでしょうか?


結論
ウイキのY染色体ハプログループD の項目に、興味深い図が載っています。
以下の通りです。

YDNA-D.jpg
これはYDNA のD 全体の分布図です。色が濃ゆいほどD が文字通り色濃く残っている、と考えてください。
チベットと日本列島、特に北海道なんかは真っ黒けですね!

興味深い点は、樺太南部~千島列島~黒竜江(アムール川)に沿ってD の分布が見られる点です。アルタイ山脈の北辺にも薄く残っているので、一見すると、カザフやキルギス辺りでD は二手に分かれ、北回りの一派がバイカル湖から黒竜江を下って樺太~北海道に到達したようにも見えますが、アルタイ山脈はとりあえず置いといて、黒竜江沿いのD は、もっと時代が下った頃のアイヌ民族の大活躍の跡を示すものだと思います。

まず、YDNA の分析結果は現代人から得られるものだということを思い出してください。今現在、この地域に居住している人々は、ロシア人を除き、北方系モンゴロイドの代表格であるツングース系の人々です。で、アイヌのご先祖様が来た当時は彼らはまだいなかったので、その頃の遺伝子の足跡を示すものとは考えられません。
アルタイのD はD* であり、古いタイプではありますが、わずか2%しか検出されず、チベットの分派のなごりみたいなカンジです。

アイヌ民族は、現代ではもちろん圧倒的に少数派となってしまいましたが、歴史時代においては北海道から樺太~千島列島に進出しただけでなく、大陸に渡り、ツングース系の連中や歴代中国王朝の出先機関などと大いに交易をおこなっておりました。
モンゴル帝国のころにはモンゴルの軍隊とも大いに戦い、しばしばこれを打ち破った、という武勇伝もあるほど、実に勇敢な民族だったのです!

アイヌの酋長-2.jpg
これは江戸時代のアイヌの酋長の図です。威風堂々としてますね!
北海道博物館開館記念特別展「夷酋列像(いしゅうれつぞう)」からです。
http://www.hokkaidolikers.com/articles/3115


従いまして、黒竜江沿いのD の足跡は、歴史時代におけるアイヌ民族の交易の跡を示すもの、と考えるのが合理的だと思います。

ただ一点付け加えるとすれば、彼らは黒竜江のルートを「知っていた」からこそ、このような交易が可能となったのかも知れません。
もしも彼らが東南アジアからシベリアに到達後にマリタ遺跡のマンモスハンターと出会い、その後に黒竜江を下って最終的に北海道に到達したとするならば、その記憶や伝承が子孫にも伝えられたのかも知れません。

本当のことはもちろん分かりませんけどね!
で、最終的な結論は下図を参照のこと。

マリタ遺跡-7-3.jpg
みんな、遠路はるばる苦労を重ねて日本に来たんだね!
やっぱり、お盆にはご先祖さまに感謝しなくてはいけません。

ではっ!


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このページは、喜源テクノさかき研究室が2018年12月 2日 10:24に書いた記事です。

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