今月の書評-37

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「縄文シリーズ」で引用した本の情報はすでにいくつかが古くなっているようですので、これらの新規更新も兼ねて、新たに列島への侵入ルートを考えてみたいと思います。

北方ルート説
10 年くらい前までは、この北方ルート説が花盛りでした。
その最大の理由が、「マリタ遺跡」というバイカル湖畔の有名な遺跡の存在にあります。

マリタ遺跡-1-1.jpg

マリタ遺跡は今からおよそ2 万3~4,000 年前の遺跡で、多くのマンモスの骨や細石刃形式の石器群が数多く出土したことから、いわゆる「マンモスハンター」の人々の住居跡だと考えられています。
そして、今の時代、近傍に典型的な北方モンゴロイド系の狩猟民族であるブリヤート人が住んでおり、彼らと現代日本人との遺伝子上の類似から、列島初期の住人達はマンモスを追って樺太から北海道へと渡った、そして他の一派は朝鮮半島から北九州へと渡った、という説が主流となりました。

マリタ遺跡-2-2.jpg
 ↑ こういうカンジです。

ところがその後にマリタ遺跡から出土した人骨のDNAを調べたところ、彼らはアジア系ではなく、欧州系の人々であったことが明らかとなりました。おまけに日本列島に旧石器時代人が住み着いたのは4~3万5,000 年くらい前のことですから、マリタ遺跡、少し新しすぎます。それもこれもあって、結局、上記経路説はしぼんでしまいました。


中央アジアルート説
日本人男性、特にアイヌ人や沖縄人には縄文人の血が色濃く残っていると考えられるわけですが、根拠の一つがYDNAのハプロタイプ分析結果によるものです。
今月の書評-17」では縄文人に特有のYDNAハプロタイプをD2 と書きましたが、現在ではさらに分析が進んで、より下位のタイプであるD1b に分類されるようになりました。
ホモサピエンスがアフリカを出た当初、Dタイプの人々とEタイプの人々とは未だ渾然一体となって明確に分岐していませんでしたが、時代が下るにつれてまずはDEが分岐。さらにその後、Dはいくつかのサブグループに分かれていき、日本列島に到達後にD1b として落ち着いた、と考えられています。従いまして、D系統において最も古いタイプはDEで、次にD*、縄文人のD1b は最後に分岐したタイプであるとみなされます。 

これまで、チベットとインド洋の島であるアンダマン諸島にDタイプのYDNA を持つ人々がいることが明らかとなっていましたが、なぜ日本列島の縄文人とチベット人、そしてインド洋のアンダマン諸島にDの親戚がいることは謎でした。
ところが数年前、チベット住民からDEのタイプを持つヒトが見つかり、その結果、縄文人中央アジアルート説が浮上することとなりました。

マリタ遺跡-3-2.jpg
 ↑ こういうカンジです。青色は、アイヌ系が樺太経由で北海道に来たと仮定した場合の想定ルートです。

でも、これ、ちょいと可笑しい気がする。なぜか。
縄文のご先祖さまたち、チョンガー集団だったはずがないから。

チベット奥地から日本列島に到達するまで数万年はかかっているはずですから、その間オトコ連中だけで過ごせるはずもなく、当然女性陣を伴っていたはずです。
で、縄文を彩るミトコンドリアDNA(mtDNA)はM7aN9b ですから、当然両者(あるいは両者のプロトタイプ)共にYDNAと軌跡を共にしなければおかしい、となるわけです。

では、というのでmtDNAを調べてみました。以下の図です。

マリタ遺跡-5-2.jpg
こちらはチベットをかすりもしない。見事なまでに南回りです。

ということは、縄文のオトコ連は日本列島直前で連れの女性陣を捨て、南から来たMNのmtDNA を持った女性陣に乗り換えた???そのとき南から来てた男性陣はどうした?

ま、そんなことはありそうもないお話ですね。

ともかく、YDNA の結果とmtDNA の結果を力技で統合してみると、以下のようなカンジになります。

東南アジアルート説

マリタ遺跡-4-2.jpg
とにかくインド亜大陸からD関係が見つかっていないので、Dのオトコはチベットから一旦東南アジアに南下し、さらに一部はアンダマン諸島に渡航し、さらにここで女性陣を乗り換えて新たに北を目指した、というシナリオとなります。これはセンセがエイヤッ、とばかりに考えた。

でも、ホントかな?

と訝しく(いぶかしく)思っておりましたら、つい最近、金沢大学が愛知県の伊川津(いかわづ)遺跡から出土した約2,500 年前の縄文晩期の女性人骨のゲノム配列を解読し、これをアジア各地の古人骨から得られたゲノム情報と比較した、との報道がありました!その結果、縄文人から得られたゲノム配列は、東南アジアから得られた古人骨のゲノム配列と最も良く似ていた、とのことでした!

そうなりますと、以下のようなカンジかな?

マリタ遺跡-6-2.jpg
これはセンセが考えた先の図と大変よく似ています。ただし、こちらは東南アジアまでの経路が不明なので、その点、物足りない気もしますが、少なくとも男女ともに南方由来である可能性が十分に高くなったと思います。

で、肝心のアイヌのご先祖さまが樺太経由なのか、あるいはことによるとひょっとして津軽海峡を渡って北海道に住み着いたのか、新たな疑問が生じます。
南経由で列島に渡り、北進後、津軽海峡を渡った人々がアイヌ人の先祖となったのであれば、まさにアイヌ人こそは縄文人の直系の子孫であり、アイヌ語イコール縄文語である可能性が高まりますが・・・。

さて・・・・・・・。



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このページは、喜源テクノさかき研究室が2018年11月11日 11:17に書いた記事です。

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