今月の書評-24

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ここからは前三者に加えて、瀬川拓郎氏の「アイヌ学入門:講談社現代新書」並びに同氏「アイヌと縄文:ちくま新書」、さらに工藤雅樹氏の「蝦夷の古代史:平凡新書」、小泉保氏の「縄文語の発見:青土社」、大木紀通氏の「縄文の言葉」などを参考に書いていきます。

縄文時代の文化も、土器の形式その他の違いで地方色があり、それぞれナニナニ文化とか名前が付けられていますが、ここでは細かな違いには立ち入らず、ひっくるめて「縄文文化」としていきます。必要がある時だけ、「ナニナニ文化」と記載します。

で、つつがなく基本的に平穏な縄文時代をエンジョイしていたアイヌの人々のmtDNA 構成は、次のようなカンジでした(篠田氏の本から改変)。

縄文アイヌ .jpg
やはりN9b が圧倒してます。

M7a は良いとして、G とかD4h とかがありますが、これらはシベリア北東部から樺太にかけて居住していたツングースやギリヤーク(ニヴフ)系の人々の遺伝子だと考えられています。時代はすでに縄文時代ですので、前回ご紹介した典型的モンゴロイドの形質を有する民族が北東アジアで勢力を拡大し、アイヌ民族にも影響を及ぼし始めていたことがうかがえます。


その後、紀元前1000~600 年前頃には北九州から弥生文化が登場し、日本列島を北上していきますが、北海道はしばらくは変わらず縄文文化を継承しておりました。これを「続(ぞく)縄文文化」と呼びますが、名称はどうでもよいです。

で、そんな折、4~5 世紀になりますと、樺太からアイヌとは異なる人々が北海道に移住してきました。いわゆる「オホーツク人」です。

オホーツク人は、現代の樺太に住む少数民族であるニヴフ人の祖先だと考えられ、もっぱら漁猟を専門とした集団でした。
宗谷海峡を南下してきた彼らは、現在の稚内から根室半島にかけての海岸線に勢力を拡大し、文化も異なる先住のアイヌ人との間に、長きにわたって軋轢を引き起こしたようです。

オホーツク人-2.jpg
時を同じくして、アイヌ人の集団が津軽海峡を南下して東北地方に移住してきました。この移住の原因がオホーツク人の移住に押された結果なのか、あるいは気候の冷涼化による東北の人口減少を契機としたものなのか、あるいはまたその両者なのかは分かりませんが、この時期以降、しばらくの間、北海道で培われてきたアイヌ文化が東北地方に大きな痕跡を残すと同時に、逆に東北の住民が北海道に移住して農業を営むなど、アイヌ人と和人(とりあえず弥生系の人々としておきます)の混交が進みます。また、北東アジア由来のオホーツク人の血が混じった結果、彼らのハプロタイプが現代のアイヌ人からも検出されるようになりました。

以下、オホーツク人のmtDNA 。

オホーツク人.jpg
YG が北東アジアの少数民族特有のハプロタイプです。
M7a があることから、アイヌの血が逆に彼らにも流れたことがうかがえます。

で、現代アイヌ人のハプロタイプはというと、

現代アイヌ人.jpg
こんなカンジです。
あの、圧倒的に優位であったN9b は少数派に転落したと同時に、北東アジア由来のGY が優勢となりました。D は朝鮮半島由来のハプロタイプで、和人との混交によって増加したものです。
GY はアイヌ以外の日本人にはほとんど見られないタイプであるのと同時に、南方由来のM7a が比較的多く残存している点が興味深いところです。

さらに興味深い点は、グラフは載せてありませんが、YDNA においては縄文系であるD2 が現代アイヌ人の間でも9 割近く残っている点です。

前回の写真、特に「晴れ着」の写真などを見ても、どちらかといえば男性側に縄文の特徴が色濃く残っているように思われますが、他の現代日本男性(特に東日本)の間でもD2 が4 割も残っていることから、ナカナカ謎は深まります。この謎を推理する作業は、とても面白いですね!


さて、オホーツク海沿岸を占有したオホーツク人ですが、漁労の民であったことを述べました。また、DNA 分析の結果からはアイヌ人との混交もあったようですが、基本的に敵対関係にありました。
で、しばしば船団を組んで南下し、日本海沿岸にまで達した記録(日本書紀)も残っています。で、特に奥尻島周辺の道南アイヌ人との間に諍い(いさかい)が生じ、困ったアイヌ人は当時の新潟地方の大和朝廷の出先機関に相談。長官の阿倍比羅夫(あべのひらふ)はアイヌのために追討の船団を組んで奥尻島まで進軍し、これを打ち破ったとのことです。
大和朝廷とアイヌ、あるいは蝦夷(えみし)と呼ばれていた人々との関係ですが、このような記録から、単純に敵対関係にあったとはいえないようです。

で、このオホーツク人のことを日本書紀では粛慎(あしはせ、と読む。みしはせ、と読む説もある。音読みではしゅくしん)と呼んでいますが、たぶん、粛慎の文字そのものは、中国の文献に由来するものだと思います。で、日本語の「あしはせ」の由来ですが、意味不明です。そこで、待ってましたとばかりに、センセお得意の無責任極まりない「妄想」を働かせてみます。

「あしはせ」は、「足馳せ」、あるいは「悪し馳せ」のこと!

たぶん、連中は、北欧のバイキングの劣化版のようなものだと思います。
で、しばしば日本海沿岸を南下して津々浦々に悪さをした。でも逃げ足が速い=馳せる、ので、あ・し・は・せ・・・。
あるいは悪しきものが馳せ参じるから、あ・し・は・せ・・・。

以下、「あしはせ」の「あしあと」です。

オホーツク人-3.jpg
さらにダメ押しの妄想を一つ。

古事記や日本書紀に載っているヤマタノオロチ伝説。
知らない人はいないと思います。
で、センセの妄想は、このヤマタノオロチとは「あしはせ」バイキングのことなのではないのか?ということです。以下、その理由。

1) ヤマタノオロチは定期的に襲来
2) 襲来先は日本海沿岸
3) オンナと酒を要求
4) 大蛇のことを「オロチ」と呼ぶ例は、「記紀」以外に(個人的に)知らない。
5) 従って、オロチとは、オロチョンを代表とする「北方民族」の総称だ!

実はこの説、むっか~しナンカの本で目にしたものです。本棚を探したのだけど、見つかりませんでした。仕方がないので、センセが発明したことにしときます。
特に、オロチという言葉に引っ掛かります。だって、大蛇(だいじゃ)の別名~古語は「うわばみ」でしょ?オロチという言葉が他に使われているケースって、センセが知ってる限りでは、楳図かずおのマンガだけです(ググってね!)。

オロチョンという名の北方民族がいます。仲間にはオロチやオロッコ、ウルチなどがいるようです。あと、インスタントラーメンにもありましたね!
で、一風変わった名前ですし、たぶん、民間的には、北方由来のオソロチイ連中を「オロチ!」と呼んだのではなかろうか?と妄想してます。
北方由来ですから酒造りも知らず、これも襲来目的の一つとしていたのかも知れません。全く裏付けはないんですけどね!

では、今週はこれまで!




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このページは、喜源テクノさかき研究室が2018年6月24日 09:31に書いた記事です。

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