今月の書評-10

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みなさまこんにちは!
本日は春分の日ですが、ここ坂城では朝から雪です。
でも、典型的な春の牡丹雪(ぼたんゆき)なので、積もったとしてもすぐに溶けてしまうことでしょう。

さて、前回、日本列島には縄文時代の前に旧石器人が流入し、彼らが後に縄文人となった、というお話をしました。そして、現在の日本で見られるような「東西文化の差」がすでに旧石器時代にも認められることも述べました。
本日は、旧石器時代に生じたある出来事によってそのような東西文化の違いが生じたのでは?という、センセの仮説というか妄想というか、を開陳してみたく思います。

旧石器-1-1.jpg
上の図は、およそ4~3万5千年くらい前に朝鮮半島から九州を経て日本列島全体に旧石器時代人が拡散していったことを示す図です。一応、九州~四国~本州が陸続きだったと仮定して描いてます。いいかげんだけど。

これを見て分かるとおり、だいたい数千年かけて青森あたりまで到達したと思われますが、いまだ北海道にはヒトは居ません。
この時代、旧石器のオジサンたちは、手作りの石器を武器に、ナウマン象やオオツノジカを追って、列島各地を駆け回っておりました。




ちょうどこのような時、南九州でとんでもない事件が発生しました。
現在の鹿児島湾付近に存在した火山の大大大爆発です!!!

姶良カルデラ-3.jpg
この火山が爆発したのが今からおよそ2万9千年前くらい、と見積もられています。そしてそのときに吹き飛んだ跡=噴火口がカルデラとなり、ここに海水が流入してカルデラ湖のような形になったのが、現在の鹿児島湾=錦江湾です。今でも噴煙をあげている桜島はカルデラの外輪山、というわけです。
このカルデラ地形を、地元の名前をとって「姶良(あいら)カルデラ」と呼びます。

この前のブラタモリでも紹介されていましたね!

ちょいと想像しただけで分かると思いますが、鹿児島湾が形成されるほどの噴火でしたので、巻き散らかした火山灰の量たるや半端じゃない!空高く舞い上がった火山灰は地元九州は言うに及ばず、四国~中国~近畿を埋め尽くし、遠く東北や朝鮮半島にまで運ばれていきました。現在の地層は圧縮されていますので、これを考慮に入れて計算すると、当時の鹿児島でおよそ30 m、京都でも4 mくらいは積もったと考えられています。
また、同時に発生した火砕流も凄まじく、鹿児島県の至る所に見られるいわゆるシラス台地はその時の火砕流が堆積したもので、現在でも高さ100 mくらいの場所が見られるそうです。

姶良カルデラ-2.jpg
上の図は桜島観光ポータルサイト 「みんなの桜島」からの頂きものです。http://www.sakurajima.gr.jp/sakurajima/001323.html

上の図で黒く記されているところがシラス台地です。

姶良カルデラ-1-1.jpg
上の図はウイキペディアからです。火山灰の飛散距離と堆積量を示しています。

実際に徳之島からはシラス層の下から旧石器時代の遺物が発見されていますので、容易に想像できますが、当時西南日本に住み着いていた旧石器時代人は、ほぼ絶滅の憂き目にあったと考えられます。
また、この噴火がきっかけとなって地球規模の気候変動が生じ、一気に寒冷化が進んだと考えられていますので、直接火山灰を浴びずとも、列島の動植物の多くに多大な被害をもたらしたのは間違いのないところです。
当然ながら、当時の旧石器時代の人口は極端な東高西低となったと思われます(下の図)。

旧石器時代-2-2.jpg
東高西低というよりもむしろ、西南日本は無人~無生物地帯となったのでは?と思われますので、2~3千年くらいは無人~極端な人口減少の時代が続いた可能性があります。が、植生~動物相が徐々に戻るにつれ、東日本からは生き残りの旧石器時代人が、そして半島からは再び新規参入の旧石器時代人が移入してきました。
そしてその頃、およそ2万年くらい前から、地続きの樺太を通って、大陸から北海道へアイヌの人々のご先祖さまが渡ってきました。以下の図です。

旧石器時代-3.jpg
このような動きが安定化すると、以下のような状況に。

旧石器時代-4.jpg
縄文時代の幕開け目前の旧石器時代晩年は、おおよそこのような状況であったと考えられます。
細石刃(さいせきじん)文化は当時の最先端の文化ですが、マンモスを追って大陸を東に移動してきた欧州系の一派が、東シベリアに到達していたアジア系の人々に伝えた技術だと考えられています。この技術を持った一団が北海道に渡り、さらに列島を南下して、細石刃技術は列島深く浸透していくこととなります。
その後、別経路でシベリアから朝鮮半島に伝わった細石刃の技術は、半島から九州へと移入した旧石器人によって北海道経路とは異なるルートで列島にもたらされることとなります。

従いまして、以上のように考えますと、東西の文化が列島中央で接するのは、ある意味必然であるかと思われます。

因みに、前回も少し話しましたが、最近のDNA分析から、この細石刃技術をもたらした欧州系の人々と、東南アジアから北上してきたアメリカインディアンのご先祖さまたちとが、シベリアにおいて、相当程度に混血した可能性が指摘されています。

アメリカインディアンの鷲鼻って、そのなごりなのかも知れませんね!

次回は細石刃を中心とした石器に関して少しお話をしたあと、旧石器文化から縄文文化への移行をもたらした原因は何か、という問題について考えます。さらに、縄文人の身に再度生じた大悲劇についてもお話していきたいと思います。

本日はこれまで!

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このページは、喜源テクノさかき研究室が2018年3月21日 15:44に書いた記事です。

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