昭和40年代:時代と音楽-33

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ウッドストックに関しても、ウイキに詳しく載ってます。
入場者数40万人。ネットには色々当時の映像も出回ってるので、どうぞそちらもチェックしながら雰囲気を味わってください。
で、多くの有名ロックバンド、フォーク歌手などが参加しました。クロスビー・スティルス&ナッシュ、後にニール・ヤングが加わってクロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤングとなってから、アルバム「Deja Vu:デジャブ」の中で 「Woodstock」を歌ってます。
が、ビートルズやローリングストーンズを筆頭に、ボブ・ディラン、レッド・ツエッペリン、ドアーズなど、多くの有名ロックバンドや大物フォーク歌手が参加してません。ま、みなさん気まぐれなヒトばかりだから、フラワームーブメントと言っても、特にみんなが一体化していたわけではなかったのでしょうね。基本的に「Freedom!」がスローガンなわけですから、参加するもしないも、Free だっ!!!」

で、どんちゃん騒ぎのうちに、フェスも終了。何が残った?ゴミが残った・・・。

翌年、同じようなロックフェスティバルがイギリスのワイト島で開かれることとなりますが、その時はボブ・ディランもドアーズも参加するなど、ある意味ウッドストックよりもメンバーの内容は濃かったように思います。が、内容的には相当にしっちゃかめっちゃかだったようです。


ウッドストックが開かれた1969年には、ビートルズのアルバム「Abbey Road」が発売されます。

つくづく思いますが、確かにビートルズは時代の最先端を走っていました。いや、「ぶっちぎって」いました。ウッドストックやワイト島でしっちゃかめっちゃかが行われているとき、彼らはとうにその「しっちゃかめっちゃ時代」を乗り越え、あの珠玉の名作、「Abbey Road」を世に送り出したわけですから・・・。
ある意味、彼らこそが、「ウッドストックやワイト島のどんちゃんさわぎ」の張本人であるわけです。けれども、他の人たちが夢中になる頃には、火付け役の連中はとうにその場を離れ、より遠くへ、より高見へと移動していた、ということです。


いろいろご意見もおありかと思いますが、個人的に言わせて頂けますれば、「Abbey Road」こそは、ビートルズの数あるアルバムの中の最高傑作だと思います。この当時、薬物でボロボロだったジョン・レノンの状況、ジョンの心の隙間にいつのまにか忍び込んだヨーコ・オノの存在、バンドを仕切ろうとするポールの自我、才能を過小評価されていると感じていたジョージなど、これらが相まって、すでに彼ら四人組の結束は乱れ、バンドは崩壊寸前の状態だったそうです。
よく知られているように、「Abbey Road」はアルバム「Let It Be」の前に発売されましたが、曲の収録は「Let It Be」が先であり、実質的には「Abbey Road」が彼ら最後のアルバムです。
「Abbey Road」の完成度の高さは、収録曲の出来の良さ以上に、ジョージ・マーチンのプロデュース力に負うものです。特にB面はジョージ・マーチンとポールが主体となって作り上げた、と言われてます。ジョンはB面に不満だったらしいですが・・・。

発売的には後となったアルバム「Let It Be」。ウッドストックの丁度1年後の1970年の夏、スタジオでの収録風景やアップルの屋上での突然のライブを収録した同名の映画、「Let It Be」が、有楽町のスバル座で上映されました。高校1年生だったセンセは、これをロードショーで見ました。映画はポールのビートルズからの突然の脱退宣言の後に上映されましたが、そんなことお構いなしに、何度も見ました。何度も何度も、繰り返し見たものです・・・。不思議なことに、その前年、いまだ音楽に目覚めていなかった中学3年生のセンセは、全く同じ映画館で、「空軍大戦略」を見てました。これも何度も何度も、たぶん、「Let It Be」よりも多く見たかと思います。

空軍大戦略」から「Let It Be」に至るあいだに、センセは声変わりを経験しました・・・。



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このページは、喜源テクノさかき研究室が2016年12月30日 16:58に書いた記事です。

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