昭和40年代:足立区の移り変わり-2

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当時は既に新日光街道、即ち国道4号線は開通しておりました。その後に幾度となく拡幅工事が行われ、現在のような道となりました。新日光街道に対して旧日光街道が竹の塚駅と新日光街道の間を走っており、これは現在では旧道と呼ばれて道幅も狭いものですが、当時はこれの両脇を農水路が走っておりましたので、道幅はさらに狭いものでした。歩道すら無く、加えて電信柱が両脇に立っていて、農水路と道路を分け隔てる様なフェンスも無かったので、道を歩くにも危険が多く、漸く到来しつつある車社会には全く対応出来無いものでした。

下の絵は、当時の旧日光街道を思い出しながら正月休みを利用してフォトショップでセンセが描いたものです。

旧日光街道-2.jpg
もちろん当時は取りあえず舗装はされていましたし、電信柱もあった訳ですが、感じたままの雰囲気をそのまま伝えたく、ちょいと大袈裟に描いてみました。でも、竹の塚から伊興町に抜けて毛長川に至る道や、或いは水神橋から草加に抜ける旧道などは、将にこの絵の様なものでした。

両脇の家々の多くは農家や在来の商家で、中には小規模ながら牛を飼い、地元に牛乳を供給する家もありました。当然牛の臭いがしますが、当時は誰も気に止めません。牛舎から流れ出る排水もまた水路に流れ込みますが、その様な場所にはドジョウやフナも多くたむろし、小学生達は玉網や四つ手網をもって、どじょっこふなっこ獲りに夢中になっておりました。
団地が多く建ちましたので、農水路だけでは下水も成り行かず、都市で普通に見られる様な下水路も完備される様になりましたが、その様な下水路と在来の農水路とは連結されていますので、農水路からたくさんのフナ、ドジョウ、ザリガニの類も流れ込みます。山の手の世田谷から来た小学生にとってはこれらの水生動物は大変に珍しいものでしたので、初めの頃はしょっちゅうどぶさらいをして、どじょっこふなっこ獲りに夢中になっておりました。興味の対象が、武蔵野のカブトムシやクワガタムシからどじょっこふなっこに変わった、と言う事ですね。

時が経つに連れて新日光街道、即ち国道4号線の西側は段々と開発が進んで行きましたが、4号線の東側は開発速度も遅く、長らく田んぼと池とがはるばると続く場所でした。センセは足立区に引っ越してきて始めて釣りを覚え、竹細工の安い釣り竿と赤い玉浮き一個と赤虫を持って、これら田んぼの間に点在する池に足を運びました。これらの池は水深は極めて浅く、深いところでも30cm程度のもので、あぜ道にはハンノキが茂り、フナ、ドジョウ、マッカチンと呼ばれるアメリカザリガニなどの他に、クチボソがたくさんおりました。たぶん、休耕田としての田んぼにそのまま水を張ったものかと思われます。
クチボソは関東の言葉で、正式には「モツゴ」と呼ばれる魚です。その名の通り口が細くて小さいので、赤虫、ユスリカの幼虫ですが、でないと釣れない魚でした。姿形がちょいとワカサギに似てますので、たくさん釣ったクチボソを天ぷらに揚げ、「美味しいワカサギだよ!」と嘘を言って友達に食べさせたのは、さらに後になっての事であります・・・。

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このページは、喜源テクノさかき研究室が2015年1月 3日 15:19に書いた記事です。

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