中山博士の横顔 その-5 世田谷区豪徳寺時代-2

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本日は平成23年12月23日(金)、祝日です。何の日でしたっけ?クリスマスイブイブ??                  あ、天皇誕生日ですか。センセの世代では天皇誕生日は四月二十九日、と言うのが頭にありまして、今では昭和の日、となっておりますね。ところで「みどりの日」というのがありますけど、以前は四月二十九日がみどりの日ではなかったでしたっけ?なんか良く分かりませぬ。みどりの日があるなら赤の日とか青の日とか黄色の日とか無いとヒジキだ!なんて小学生だったら言いそうですね。

祝日というのはセンセにとってはボーナスな様なもので、丸一日自由時間が生じます。毎週の土日は何かと忙しいのでブログの更新などは出来ませぬ。そこで、祝日を利用して書き足しています。本日は豪徳寺時代の続きで、マンガのお話を致します。

昭和三十年代、少年サンデーとか少年マガジンだとかの少年向け週刊誌が出る前は、もっぱら貸本と月刊誌が主でした。豪徳寺周辺にも数件の貸本屋がありまして、わちさんぺいの「火星チャン」だとか、水木しげるの「カッパの三平」だとかを借りて読んでおりました。水木しげるなど今では漫画界の巨匠の様に言われておりますが、当時のカッパの三平なぞを見ますと、上手いのか下手なのか訳の分からぬ奇っ怪な雰囲気濃厚のマンガでした。有名な往復ビンタの場面もしょっちゅう登場しますが、あれは本人が兵隊の頃に食らったものをそのまま描いているのでしょうね。わちさんぺいは火星チャンの他にも「ナガシマクン」とか「背番号110番」とか描いておりますけど、大戦中の陸軍機「隼」のマンガを知っているヒトは極少数でしょうね。隼の細部に至るまでリアルで、おまけにあの淡々とした画風で描くものですから、プラモデルがそのまま活躍している様で、センセのお気に入りのマンガの一つで御座いました。

月刊誌は分厚くて、毎号どっさりと付録がついており、たくさんの種類がありました。今思い出しても、「少年」、「少年画報」、「冒険王」などと言う名前が出てきます。中でも「少年」が有名で、手塚治虫の「鉄腕アトム」も横山光輝の「鉄人二十八号」もこの雑誌に連載されていたと記憶します(間違っていたら、ごめんなさい)。その他には山根赤鬼だったか青鬼だったかの「よたろうくん」などを覚えています。

月刊誌全盛の最中に、少年サンデーと少年マガジンが創刊されました。毎週の表紙を飾るのはお相撲さんか長島選手か王選手か零戦か戦艦大和か、のいずれかでした。初期の頃は毛むくじゃらの朝潮とかも表紙を飾っておりました。その後は大鵬と柏戸が交互に登場、と言う時代を迎えるわけです。数年後には少年キングも登場しますが、これはその後廃刊の憂き目にあう事となります。

当時は太平洋戦争の影響そのままに、零戦や隼などの戦闘機や戦艦大和などの軍艦の詳細な絵や内部の見取り図などを毎週のように特集しておりました。これらの絵は小松崎茂や長岡修三らが描いておりまして、センセを含む当時の小学生は、これらの勇ましい絵にずいぶんと影響を受けたものでした。

赤塚不二夫の「おそ松くん」のお話をします。

少年サンデーにおそ松くんが登場するまでは、寺田ヒロオの「スポーツマン金太郎」や少年マガジンのちばてつやの「誓いの魔球」などが人気がありまして、センセは本屋でよく立ち読みをしておりました。おそ松くんが初めて登場した時はセンセは小学二年生でした。今でもはっきりと覚えているのですが、いつものように宮の坂の駅前の本屋さんで少年サンデーを立ち読みしておりますと、その名も「おそ松くん」とヒトを小馬鹿にした様な名前のマンガが載っていました。泥棒がおそ松くんの家に盗みに入りまして部屋を物色し始めるのですが、チョロ松カラ松イチ松トド松十四松など、次から次へと同じ顔したおそ松くんの兄弟が出てくるので、とうとう泥棒は頭から湯気を出して発狂して目出度し目出度し、と言うお話でした。

センセはもうおっかしくって店先で鼻水垂らしながらギャハハハ大笑い! 

その後もイヤミだのチビ太だのハタボーだの訳の分からぬキャラクターのオンパレードで、誠に当時を語るに外せない一世を風靡した現象となったのは、皆様もご承知のところです。

ちなみにこの当時のセンセの写真は、ほとんど全て「シェ~~~~~!」のポーズばっかしなのは言うまでもありませぬ、、、。                            

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このページは、喜源テクノさかき研究室が2011年12月23日 15:08に書いた記事です。

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