中山博士の横顔 その-4 世田谷区豪徳寺時代-1

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本日は勤労感謝の日でございます。でもセンセは午前中仕事してました。大体こんなもんです。微生物の培養の仕事などは微生物の都合次第ですから、乳酸菌クンに「今日は祝日だから、ちょっと増えるのやめてクン無い?」とか頼んでもなかなか言うことを聞いてはもらえませぬ。やっぱり単細胞なんですね、連中は!

さて、今日からしばらくの間、世田谷区上馬から同区豪徳寺へ引っ越した後の、センセの幼稚園~小学生時代のお話となります。五十代以上の方々には懐かしさ満載と言うところでしょうか。

引っ越し先は、豪徳寺の山門を正面に見て、左に10mぐらいのお家。お隣は中谷さん、その隣は広田さん、さらに隣は三枝さんのお宅でした。今でもそうかな?皆さんお達者ですか?

豪徳寺は井伊家の菩提寺で、井伊直弼のお墓がある事で有名ですが、今も当時も鬱蒼とした木々に囲まれ、動植物も多く、当時はフクロウなども棲んでおりました。豪徳寺は今では立派になりましたが、当時はオンボロ。山門も破れかぶれの状態で、今昔物語の羅生門もさぞかし、と言う様な具合でした。境内には沼があり、破れ畳みや破れ障子やその他、今で言う粗大ゴミが不法投棄されており、子供心にも「ばちがあたるぞ!」と思うほどでした。その沼にはガマガエルや雷魚がたくさん棲んでおり、車に轢かれてぺしゃんこになった姿も良く目にしました。この沼は、数年後に埋め立てられてしまいました。

周辺の道路も未だ舗装されておらず、豪徳寺幼稚園に通う時は山門から赤門を抜けて赤門前の大ケヤキの木を左に折れて行くのですが、冬になりますと道すがら霜柱が立ちますが、これを踏みしめながら通ったものでした。ですから子供時分は冬になるとシモヤケになるのは当たり前の現象でしたが、今時の子供はシモヤケすら知らない人たちも多いとのことですね。

センセは豪徳寺幼稚園に通っておりました。豪徳寺幼稚園は豪徳寺の境内にありまして、お寺の住職の和尚さんが園長先生でございました。センセは幼稚園からミッション系だったのですね!

幼稚園時代からいたずら者だったセンセですが、幼稚園生の常としまして冬場も半ズボンで過ごしておりました。幼稚園児はいつも走り回っておりますけど、未だ体の平衡感覚を保つまでには成熟しておりませんので、しばしば転ぶ事となります。転ぶととりあえずは泣くのでしょうが、たちまち忘れてまた走り出す訳です。従いまして、常に膝小僧をすりむいておりまして、かさぶたが出来かかるとまた転ぶので、膝小僧は常にすりむけてじゅくじゅくした状態となっておりました。当時は傷薬としては赤チンぐらいしかないので、これを塗っておりました。赤チンを塗ってもまた転びますから、そのうち膝小僧が膿んできまして、膿みでマッキッキになりました。あまりに見事に黄色になりましたので、センセはほれぼれとして傷口に見とれておりました。そのうち二~三日たつと、今度は傷口がどういう訳か緑色になりました。あまりに見事に緑色になりましたので、センセはほれぼれとして緑の傷口に見とれておりました。最初は赤チンで真っ赤っか、次はマッキッキ、最後は緑色で、まるで信号機の様ですね!

今から考えると、黄色ブドウ球菌の増殖によって傷口が黄色くなり、次は菌交代現象によって緑膿菌が増殖したため緑色になったのだと思われます。つまり幼稚園の時代から、センセは細菌学者の片鱗を垣間見せていたのですね!さすがです!

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このページは、喜源テクノさかき研究室が2011年11月23日 15:43に書いた記事です。

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