中山博士の横顔: 2016年12月アーカイブ

昭和40年代:時代と音楽-33

| | トラックバック(0)
ウッドストックに関しても、ウイキに詳しく載ってます。
入場者数40万人。ネットには色々当時の映像も出回ってるので、どうぞそちらもチェックしながら雰囲気を味わってください。
で、多くの有名ロックバンド、フォーク歌手などが参加しました。クロスビー・スティルス&ナッシュ、後にニール・ヤングが加わってクロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤングとなってから、アルバム「Deja Vu:デジャブ」の中で 「Woodstock」を歌ってます。
が、ビートルズやローリングストーンズを筆頭に、ボブ・ディラン、レッド・ツエッペリン、ドアーズなど、多くの有名ロックバンドや大物フォーク歌手が参加してません。ま、みなさん気まぐれなヒトばかりだから、フラワームーブメントと言っても、特にみんなが一体化していたわけではなかったのでしょうね。基本的に「Freedom!」がスローガンなわけですから、参加するもしないも、Free だっ!!!」

で、どんちゃん騒ぎのうちに、フェスも終了。何が残った?ゴミが残った・・・。

翌年、同じようなロックフェスティバルがイギリスのワイト島で開かれることとなりますが、その時はボブ・ディランもドアーズも参加するなど、ある意味ウッドストックよりもメンバーの内容は濃かったように思います。が、内容的には相当にしっちゃかめっちゃかだったようです。


ウッドストックが開かれた1969年には、ビートルズのアルバム「Abbey Road」が発売されます。

つくづく思いますが、確かにビートルズは時代の最先端を走っていました。いや、「ぶっちぎって」いました。ウッドストックやワイト島でしっちゃかめっちゃかが行われているとき、彼らはとうにその「しっちゃかめっちゃ時代」を乗り越え、あの珠玉の名作、「Abbey Road」を世に送り出したわけですから・・・。
ある意味、彼らこそが、「ウッドストックやワイト島のどんちゃんさわぎ」の張本人であるわけです。けれども、他の人たちが夢中になる頃には、火付け役の連中はとうにその場を離れ、より遠くへ、より高見へと移動していた、ということです。


いろいろご意見もおありかと思いますが、個人的に言わせて頂けますれば、「Abbey Road」こそは、ビートルズの数あるアルバムの中の最高傑作だと思います。この当時、薬物でボロボロだったジョン・レノンの状況、ジョンの心の隙間にいつのまにか忍び込んだヨーコ・オノの存在、バンドを仕切ろうとするポールの自我、才能を過小評価されていると感じていたジョージなど、これらが相まって、すでに彼ら四人組の結束は乱れ、バンドは崩壊寸前の状態だったそうです。
よく知られているように、「Abbey Road」はアルバム「Let It Be」の前に発売されましたが、曲の収録は「Let It Be」が先であり、実質的には「Abbey Road」が彼ら最後のアルバムです。
「Abbey Road」の完成度の高さは、収録曲の出来の良さ以上に、ジョージ・マーチンのプロデュース力に負うものです。特にB面はジョージ・マーチンとポールが主体となって作り上げた、と言われてます。ジョンはB面に不満だったらしいですが・・・。

発売的には後となったアルバム「Let It Be」。ウッドストックの丁度1年後の1970年の夏、スタジオでの収録風景やアップルの屋上での突然のライブを収録した同名の映画、「Let It Be」が、有楽町のスバル座で上映されました。高校1年生だったセンセは、これをロードショーで見ました。映画はポールのビートルズからの突然の脱退宣言の後に上映されましたが、そんなことお構いなしに、何度も見ました。何度も何度も、繰り返し見たものです・・・。不思議なことに、その前年、いまだ音楽に目覚めていなかった中学3年生のセンセは、全く同じ映画館で、「空軍大戦略」を見てました。これも何度も何度も、たぶん、「Let It Be」よりも多く見たかと思います。

空軍大戦略」から「Let It Be」に至るあいだに、センセは声変わりを経験しました・・・。



昭和40年代:時代と音楽-32

| | トラックバック(0)
大体こういった雰囲気の中、あのウッドストック・フェスティバルへと突き進むのですが、まだ書いてない重要なバンドがいくつか残ってるので、紹介しておきます。

1966年にイギリスで結成されたバンド、クリーム。ギタリストのエリック・クラプトン、ベースのジャック・ブルース、そしてドラムのジンジャー・べーカーの三人組です。三人とも改めて紹介するまでもないと思いますが、代表作の「White Room」や「Cross Roads」、「Sunshine of Your Love」の他にも、佳曲「I Feel Fine」や「Badge」、「Deserted Cities of the Heart」などがあります。彼らの活動はわずか2年半で終了してしまいますが、その後のロックバンドに及ぼした影響力は大きく、ハードロックやヘビーメタルと呼ばれるタイプの音楽の「祖」と見なされています。
70年あたりともなるとレッドツエッペリンに代表されるハードロック全盛の時代を迎えますが、レッドツエッペリンのギタリストのジミー・ページ、ジェフ・ベック・グループのジェフ・ベック、そしてクリームのエリック・クラプトンは、揃ってイギリスのブルースバンドのヤードバーズ出身ギタリストで、「ロック界の三大ギタリスト」などと呼ばれています。でも、ジミヘンとの共演ではクラプトンはビビって泣きそうになったとか、ジミの演奏を初めて聴いたジェフは「も、ギターを手放して音楽を止めてしまおう・・・」と思ったとか言われてます。三者とも黒人ブルースに影響され、それを目指した音を追求していたわけですが、ジミ・ヘンドリックスの音と比べ、「黒さ」が全く無いです。どうしたって、白人の音です。で、それで良いと思います。黒人の音を目指して腕を磨いてきたこれら三人が、結果、ハードロックという新たなジャンルを切り開き、その後はグラムロックやらヘビメタやらの潮流を生み出すのですから、それはそれで宜しかろうと思います。

ナンか、突き放したものの言い方してますが、実はセンセ、ハードロック系があまり好きじゃない・・・。クリームはまだしも、ツエッペリンとかディープ・パープルとかグランド・ファンク・レイルロードとかバニラ・ファッジとか、ましてやピンク・フロイドとかエマーソン・レイク・アンド・パーマーとか、聴けば当時を思い出して「ああ、懐かしいな・・・」と感じますが、レコードを買って聴こうという気にならない・・・。なぜか分かりません。


ハードロック系とは全く一線を画すアメリカのロックバンド、それがクリーデンス・クリアーウオーター・リバイバル、略してCCR です。CCRは、いくつかの代表曲から南部出身だとてっきり思ってましたが、実はカリフォルニア出身だそうです。リードヴォーカル兼リードギターのジョン・フォガティーの個人的才能に全てが掛かったバンド、と言っては身も蓋もないかもしれませんが、タイトなリズム、誰でも演奏できるような簡単な音作り、そしてジョンの魂のこもったリードヴォーカルとギターの調べなどなど、センセが大好きなバンドの一つです。

彼らの最初のアルバム「Suzie Q」の筆頭曲、「I Put a Spell On You」。これは南部黒人ブルース歌手のスクリーミン・ジェイ・ホーキンス(咆吼するジェイ・ホーキンス)のカバーです。ま、はっきり言って、センセのようにギトギトの黒人音楽が好きなオトコでも、彼の歌は「聴けたモンじゃない」・・・。上に貼っときましたから、人生の思い出に、是非立ち寄ってみてください。
それにしてもCCR、よくぞこの歌に目を付け、「聴くに堪えるもの」に仕立て上げたと、感心しきりであります・・・。

彼らは「Suzie Q」のヒット後、2枚目のアルバムからのシングル「Proud Mary」を大ヒットさせ、一躍世界的なスターバンドにのし上がります。その後は「Green River」、「Born On the Bayou」、「Bad Moon Rising」、「Down On the Corner」、「Cotton Fields」、「Fortunate Son」、「Travelin' Band」、「Run Through the Jungle」、「Up Around the Bend」、「Who'll Stop the Rain」、「I Heard It Through the Grape Vine」、「Have You Ever Seen the Rain:雨を見たかい」、「Sweet Hitch-Hiker」と、非常に多くのヒット曲を量産しました。ヒットの数に比べ、彼らの現在の評価は必ずしも高いとは言えませんが、同時代の「手の込んだ小難しい」ロックに対して、シンプルかつタイト、加えてジョン・フォガティーの魂のこもった歌っぷりが、センセを含めた多くのファンを生みました。
個人的には、初期の、よりブラッキーな曲が好きです。「I Put a Spell On You」を筆頭に、「Green River」、「Tombstone Shadow」、「Side O' the Road」などです。

「Proud Mary」、アイク&ティナターナのカバーがめちゃくちゃ有名なので、これを貼っときます。見てね!聴いてね!!踊ってね!!!


最後に、メキシコ系ロックバンド、あのサンタナをご紹介します。
あれほど有名なバンドだから紹介もなにもないのですが、ともかく、当時のロックの世界にラテンを持ち込み、しかもその水準が非常に高かったものだから、一躍世界的に有名になりました。
最初のアルバム「Santana」の発売から、彼らはいきなり注目を浴びるようになります。それはやはり、「これまでのロック界に無かった音」だからです。引き続く2枚目のアルバムが、前にも述べた「Abraxas:天の守護神」。ここにフィーチャーされた「Black Magic Woman」と「Oye Como Va」が大ヒット!サンタナのギターの独特の「泣き」が、ここから早くも見られます。「Oye Como Va」、音楽ファンだけでなく、場末の、ほら、ナンというか、女の人が服を脱ぎながら踊ったりする所があるでしょ?そういったところで、とても人気のある曲だったそうです。センセのお友達が、そう言ってました・・・。
「Abraxas」の中で「Samba Pa Ti」というインストルメンタル曲がありますが、以降のサンタナのインストルメンタルギター曲の走りといおうかなんといおうかどうしてやろうか、センセを含めた当時ギターに夢中だった若造連中は、まずはこれに挑戦したものでした。
その後は三枚目の「SantanaⅢ」。「Jungle Strut」を初め、ブラッキーな曲を中心としたアルバムです。そしてあの不朽の名作、「Caravansaray」!サンタナはラテン系ロックバンドですから中近東やアフリカとは本来関係ないのですけど、今で言うところの「エスニック」をロック音楽に持ち込んだ、ということなんだと思います。
ビートルズのサージャントペッパーのところで言及しましたが、「Caravansaray」こそはまさに「コンセプト・アルバム」の代表格です。印象深いアルバムジャケットとタイトルが示唆するように、聴衆は、サハラ砂漠を横断する隊商たちと共に居るような雰囲気に陥ります。そしてほどなく砂丘から吹き抜ける風が、「Song of the Wind」のギターの音色と共に、キャラバン隊を襲います。

Song of the Wind」、何度練習したことか!そんで、まったくモノにならなかったことか!

これを聴くと、センセがなんでツエッペリンとか聴かないのか、よく分かりますね。ジミー・ペイジとサンタナ、二人は同時代のギタリストです。

その後のサンタナの活躍に関しては述べるまでもないので、ここで打ち切りといたします。

ウッドストックですが、CCRとサンタナは参加してます。一方で、レッド・ツエッペリンは参加してません。なぜだかは、知りません。


昭和40年代:時代と音楽-31

| | トラックバック(0)
おとなしいマッシュルームカットから長髪へ、ネクタイ+ステージ衣装からヒゲとネックレスとピースサインへと、時代が大きく変わりつつありました。Love & Peaceをスローガンに、フラワームーヴメントと呼ばれるヒッピー文化が花開きつつあったのです。非暴力主義を旗印にベトナム戦争への反対を表明し、既存の西欧的価値観や文化を否定。インド哲学や仏教、あるいは自然回帰的な思想を目指し、愛と平和を唱える一方で、マリファナやLSDなどのドラッグ、フリーセックスに彩られた野放図な生活を送る彼らは、特にサンフランシスコを中心とするアメリカ西海岸で大きな潮流を作りつつありました。

この当時の音楽シーンを代表する者として、ジミ・ヘンドリックス、ジャニス・ジョプリン、ジム・モリソンの三人について述べていきたいと思います。

ジミ・ヘンドリックスは、知らぬ者無きウルトラ天才ギタープレーヤーです。ウイキによれば、父方の祖母はチェロキーインディアンだったそうです。センセも初めて知りました。で、誠に奇遇ですが、あのジェームス・ブラウンもまた、黒人とアパッチインディアンの混血です!え~~~っ!黒人とインディアンが混ざると音楽の天才が生まれる、という法則があるのですかね?!驚きです!!!
でも、アメリカ西部開拓時代、南北戦争で解放された多くの黒人達がアメリカ西部でカウボーイとして働いていたという事実から、黒人とインディアンの混血ってそんなに珍しいことではなかったのかもしれません。時間的に相当離れてはおりますが・・・。
アメリカ西部開拓時代の写真を見ると、確かに白人やメキシコ系に混ざって黒人カウボーイも見られます。余談ですけど、映画のカウボーイは背も高くてかっこいいのがお決まりですが、実際の写真を見ると背も低く、ちんくりむっくりしてるのが多くって、なんかカッチョワルイのが多いです・・・。この当時、たぶん、今よりも栄養も悪かっただろうから、アメリカ人といえどもそんなに大きくはなかったのかな?と思います。
さて、生い立ち云々はウイキに任せるとして、ジミはその後イギリスに渡り、三人組のジミ・ヘンドリックス&エクスペリエンスを結成します。ジミ・ヘンドリックス&エクスペリエンスとしての最初の曲が、あの「Hey, Joe」。続いて「Purple Haze:紫の煙」、「Foxy Lady」、「Wild Thing(トロッグスのカバー)」、「Voodoo Child」などのヒットを飛ばします。
ジミヘンについて色々書こうと思っていましたが、ウイキにほとんど完璧に書かれているので、是非これにあたってください。

彼らがティーン向けの「ルル・ショウ」に出演して「Voodoo Child」を生演奏し、ルルが思わずちびってしまうところを貼っときます。因みにルル、シドニー・ポワチエ主演の映画「いつも心に太陽を」の主題歌を歌ったヒトです。このブログでもすでに「Johnny be Good」と「Star Spangled Banner at Woodstock」を貼ってますが、「ルル・ショウ」の映像を見ればさらに理解が深まるかと思います。で、蛇足ではありますが、一言。

「ジミヘンが出す音を完璧に出せるギタリストは、古今東西、未だ居ない・・・」

ハイ・・・。

ジャニス・ジョプリン。彼女もこの時代を代表する白人ブルースシンガーです。白人が黒人のように歌うことを、よく「Blue-Eyed Soul」って呼んだりしますが、彼女の場合はそんなジャンルを飛び越えて、彼女独自の世界を作り上げたというべきかと思います。
センセが初めて聴いた曲は「Kozmic Blues」と「Maybe」。一発で虜になったセンセは、アルバムを何度も何度も繰り返し聴きながら同じように歌えるか、試しました。で、もちろんすぐに轟沈しました・・・。

彼女を扱った映画がありました。見たはずなんですが、あまり記憶に残っていない・・・。駄作だったんでしょうね!今、ウイキで調べたら、題名が「The Rose」。ナンか思い出してきた。でも今年の9月に彼女のドキュメンタリー映画、その名も「Janis:Little Girl Blue」が日本で封切りされたらしい・・・。
題名の「Little Girl Blue」ですが、これはアルバム「Kozmic Blues」中にフィーチャーされている佳曲です。

ナンかさらに調べたら、JBの伝記映画も昨年公開されたらしい!!!
やっぱ、田舎に引きこもってると駄目だね、浦島太郎状態だワ。でも、ネットがあるからその気になれば分かるはずなんだけどね!結局、そんなリビドーが残っていない、ということなんだろう。単純にトシ、ということだ。残念だけど・・・。

さて、ジャニス・ジョプリンの代表作ですが、先の「Kozmic Blues」や「Maybe」、Little Girl Blue」や「Ball and Chain」を知ってるヒトはむしろまれで、一般的には「Move Over」、「Me and Bobby Mcgee」、「Mercedes Benz」なんかが有名かと思います。あまり知られていない曲に「Trust Me」がありますが、これはソウルのウイルソン・ピケットのカバーです。個人的には彼の「Trust Me」が大好きなので、貼っときますね!

・・・もちろんこの場合、鳩ぽっぽは全く関係ありません・・・。


最後にドアーズのジム・モリソン。「Light My Fire:ハートに火をつけて」が最も有名で、後にホセ・フェルシアーノがカバーしてます。彼は詩人であり、ドアーズのリードヴォーカルを勤めました。代表曲には、ブラスが有名な「Touch Me」、ちょっと恐怖感のある「The End」、佳曲「Love Me Two Times」や「Break On Through」などがあります。
はっきり言って、ジミヘンやジャニスに比べれば影響力はより小さかったと思いますが、ドラッグにおぼれた日常やステージ上の荒々しい振る舞いなど、当時の典型的な「破滅型」ミュージシャンの一人ですので、一緒に紹介しました。
個人的にはホセ・フェルシアーノのLight My Fire」の方が好きなので、こっちを貼っておきます。悪しからず・・・。


これら、時代を代表する三人の音楽家ですが、全員ほどなく若くして死んでしまいます。ジミとジャニスは1970年、ジムは1971年に、奇しくも全員等しく27歳で死にました。名前のイニシャルが「J」であるのも共通してますね!
当時、短期間で大物がバタバタ死んでしまったニュースを耳にした時、確かに戦慄が走りましたが、同時に、彼らの死には多かれ少なかれ酒やドラッグが絡んでいる事も明らかでしたので、そうは驚くこともありませんでした。むしろ、「ううむ、ありがちだな・・・」との想いの方が強かったです・・・。

昭和40年代:時代と音楽-30

| | トラックバック(0)
アルバム「Revolver」以降、ビートルズは完全に「独自の音楽世界」に没頭するようになります。この頃から、彼らの音作り、その背後の世界観と哲学、付随するファッションなどが若者文化に大きな影響を与え、世界的な潮流を生み出してゆきます。いわゆる「フラワー・ムーヴメント」とか「ヒッピー文化」とか「Love & Peace」とか呼ばれる時代の始まりです。

「Revolver」の次に発売されたアルバムが、「Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band」。このアルバムから、「一つのアルバムとしての物語性」という新たなコンセプトが生まれました。
これまでは、ポップでもロックでもR&Bでも、各個に作られた曲をアルバムの枠の中にただ単に突っ込むだけでしたが、ビートルズの「Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band」ではアルバムをサーカスの舞台と見立て、テーマに沿って曲を配置していきます。
アルバムのオープニングでは、サーカスの演奏バンドとの位置づけのSgt. Pepper's Lonely Hearts Club Bandの開幕演奏がまず行われます。これに引き続き、あたかもサーカスの演目が行われる如くに様々な曲が演奏され、エンディングでは、「みなさまお楽しみいただけましたでしょうか?」とばかりに、アップテンポにした開幕曲を再演奏して締めくくられます。

アルバム中の曲も、ポール、ジョン、ジョージそれぞれの個性が強く現れた曲がバランス良く配置され、リンゴのために書かれた曲もまた、その中で独特の味を出すべく組み込まれています。
このような「コンセプト・アルバム」とでも言うべきアルバムは、その後はビートルズだけでなく多くの音楽家が真似することとなりますが、それらの嚆矢である「Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band」は、同時代~以降の軽音楽の世界に非常に大きな影響を与えた20世紀史上最高のアルバムの一つである、と断定しても、反対する人は少ないと思います。

このアルバムの中のジョンの曲、あの有名な「Lucy In the Sky With Diamonds」ですが、ま、ドラッグ云々はともかく、その後のジョンの一連の曲の原型とでもいうべき作風です。おそらく、彼の心の奥底には、いつでも逃げ帰れるような、花々に満ちた桃源郷とでも言うべき園が、あこがれの中に存在していたのでしょう。彼のLove & Peaceの哲学も、その園から発信されるものだったのかもしれません。けれどもしかしながら、そのような想いは音楽として表現され、それに対して多数の共感を得ることはできた一方で、必ずしも現実世界に直接的影響を及ぼすこともなく、また、彼の私生活の中では大きな矛盾をも引き起こし、それらが相まって、後年の彼の精神を苦しめる原因の一つともなってしまいます。

アルバム「Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band」に引き続いて「Magical Mystery Tour」、「The Beatles:いわゆるホワイトアルバム」、「Yellow Submarine」と続きます。

Magical Mystery Tourを主題としたTV番組がビートルズ主導で作られましたが、駄作です。センセも見てません。当時は「ビートルズも駄作を作る!」と驚きの声が満ちたほどですので、逆説的に、彼らの天才ぶりがかえって浮き彫りとはなりました。
その後にYellow Submarineを主題としたアニメが作られましたが、これは傑作です。センセも何度も見ました。アメリカのディズニーアニメあたりからは決して生まれてこない、芸術的といって良い作品です。この作品を一度見れば、この当時の「レインボーカラーに充ち満ちたサイケデリックな雰囲気」がすぐに理解できると思います。
この頃の彼らの曲には、例えばポールの「Penny Lane」とかジョンの「Strawberry Fields Forever」とかその他、英国の風土~文化の香りを強く伴う曲が多いですが、アニメYellow Submarineもまた、所々に英国文化を強く覗かせるシーンがあります。その後に「空飛ぶモンティパイソン」を見たとき、同じアーティストが作っているのかと思いましたが、どうやら違うようですね。

いわゆる「ホワイトアルバム」に関しては、玉石混淆、色々なものを無秩序に一緒くたにぶち込んだアルバムです。実験的な曲も数多いですが、実験的であると同時にスゴイ曲もあります。「世間的にはあまり知られていないが個人的には好きだ!」という曲が多く含まれているアルバム、という意見に同意する方も多く居られることと思います。

このように、ビートルズが大実験を行っている頃、世界のロックシーンもまた、グラグラと煮えた大釜の中で爆発寸前の状態となっておりました。


昭和40年代:時代と音楽-29

| | トラックバック(0)
アルバム「Rubber Soul」の後、さらに実験的な曲を多くフィーチャーした「Revolver」が登場します。彼らがインド音楽やインド思想にかぶれ出すのもこの頃からで、ジョージは「Rubber Soul」の「ノルウエーの森」で初めてインド楽器のシタールを演奏します。さらに「Revolver」ではテープを逆奏してみたりなど、スタジオでの人工的な音作りがふんだんに盛り込まれることとなります。その結果、ステージ上では演奏不可能な曲も多くなり、これが原因の一つともなって、1966年以降、彼らはステージでの演奏を停止することとなりました。
ファッション的にも、これまでのマッシュルームカット+ネクタイ+お仕着せの舞台衣装は影を潜め、インドのマハラジャなんかから影響を受けたようなジャケット、メガネやネックレスやヒゲのたぐいが現れ、そして、髪もより長くなりだしたのが、この頃からです。
この時代、彼らはボブ・ディランの影響を受け、ドラッグに手を染め出したとも言われてます。

丁度この頃、つまり65年から66年頃、若者文化も大きな変更点を迎えます。

ビートルズが「Rubber Soul」や「Revolver」を発売する前は、いわゆるリバプールサウンドの全盛期です。一口にリバプールサウンドと言っても多種多様。個性的なバンドが数々ありますが、代表曲だけでも、ホリーズの「Bus Stop」、ハーマンズハーミッツの「ミセスブラウンのお嬢さん」、アニマルズの「朝日の当たる家」、ピーターとゴードンの「愛なき世界」などなど。切り口の異なるバンドとしては、ゾンビーズの「She's Not There」やキンクスの「You Really Got Me」など。ローリングストーンズは別枠。

要するに、この頃までは、若者文化は未だ基本的に「ポップ」を追求するものでした。日本では、男の子のファッションはアイビー。髪もアイビーカットに極め、ボタンダウンのシャツにコッパン=コットンパンツ=綿パンにスリッポン=Slip On=ローファーの靴を履き、平凡パンチとVANの袋を抱えて町を闊歩するのがカッコ良かった時代です。お金のある学生は、ホンダのS6や日産フェアレディ1600、あるいはいすゞの「ベレG」を乗り回していた時代です。このようなアイビーファッションはその後は「トラッド」などとも呼ばれ、長らく男子ファッションの基本となって、現在に至るまで引き継がれていきます。
余談かつ個人的意見ではありますが、この時代にアイビーの洗礼を受けた者は、以降もあまり流行に左右されず、トラッドの基本から外れないファッションを維持してきたように思えます。理由の一つとして、アイビー~トラッドファッションというものが、一種「システム化~体系化」しており、ある意味「完成」したものであるため、という事ができるかと思います。センセも全く外しませんからね!いまだに「KENT」のステンカラーコートを捨てずに(40年!)持ってるくらいです。もはやカラーのところがボロボロで、「刑事コロンボ」を彷彿とさせるくらいなんですけど・・・。

ビートルズが徐々に変わりつつある頃、他のミュージシャンたちの音にも変化が現れつつありました。その一つが、サイケデリックサウンドと呼ばれるものです。

サイケデリック(psychedelic)、「幻覚を覚えるような」くらいの意味ですが、まさにこの当時の若者文化を代表するものです。当時、何故か、ロックやフォークを代表するミュージシャンの間でLSDなどの幻覚性薬物が流行し、これらの影響下での音作りが盛んになりました。
サイケデリック現象は、音だけでなく、特徴的な文字やレインボーカラーを駆使したカラフルなデザインなど、ヴィジュアル的にも大きな影響を及ぼしました。

ま、はっきり言って、こんな現象はいろんなところ、いろんな時代で見られます。日本の芸能界でもしょっちゅうニュースになります。戦後の落語や漫才などの世界でもヒロポン中毒が問題となりました。つまり、芸能や芸術、スポーツなど、まったきの個人芸が求められる世界では、薬物の力を借りる誘惑が常に潜んでいるわけです。で、そのような力を借りて作り上げられた代物に対して、いつも「ニュー」とか「アバンギャルド」とか「新世代」とかの言葉が形容されるわけですが、程なくして飽きられ、「定型的」なものに戻り、それがしばらく続いた後にはまた再び復活して、同じく「ニュー」とか「アバンギャルド」とか「新世代」とかの言葉が形容されるわけです。人間の脳みその中に「飽きる」という現象が刻印されている限り、未来永劫に、この循環が続いていくものと思われます。もちろん全ての
「アバンギャルド」的なものに薬物が関与している、と言うわけではありませんが・・・。

で、この当時のサイケデリックサウンドですが、代表的なバンドと曲には、バーズの「Eight Miles High:霧の8マイル」、ジェファーソン・エアプレインの「Somebody to Love」、ドリスコールの「This Wheel's on Fire」、アイアン・バタフライの「In a Gadda Da Vida」などがあります。

バーズの「霧の8マイル」、当時、ドラッグの影響を恐れた当局によって放送禁止となりました。アイアン・バタフライの「In a Gadda Da Vida」、「エデンの園で」というくらいの意味です。当時のサイケデリックサウンド、他にも色々ありますが、どれも幽玄的な雰囲気があって、個人的に好きな曲が多いです。
ビートルズの「Revolver」中の「Tomorrow Never Knows」などもサイケな曲です。

当時のサイケデリックサウンドがビートルズが火付け役だったのかその逆なのか、あるいは同時進行だったのか、それはどうでもよいです。
要するに、音楽が若者文化の中心となり、それがどんどん目の前の「壁」を打ち破りながら進んでいく過程において、「薬物の時代」を迎えるのは、ある意味、「必然」であった、ということです。

あるいは次のようにも言えます。

「怒れる若者の情熱の発露」的なものは、既にビートルズ以前にも、ロカビリーなどでゲップが出るほどに見られておりました。あるいはさらに前の時代にも見られた現象です。第一次大戦後のヘミングウエイらの、いわゆる「失われた世代」もまた、似たような状況を体現したものと見て良いかもしれません。すなわち、これまで疑いなきものとして信じてきた価値観に大きな疑問が生じ、さらにそれに代わる新たな価値観が見いだされないとき、ある者はオカルト的なものに走り、ある者は薬物に依存し、さらにある者は自暴自棄になるという、世界的にも歴史的にも極々普遍的に見られる現象がこの当時にも生じた、とみても大きな間違いは無いと思います。

この当時の社会情勢ですが、米国の黒人公民権運動は一応の落ち着きを見せておりましたが、なんと言っても、いや増すベトナム戦争が、若者等に直接的かつ強烈な影響を与えていた時代です。フランスでは学生らを中心とした五月革命が生じ、いよいよ学生運動が加熱しつつある時代です。
ベトナム戦争がこの時代の若者文化に及ぼした影響に関してはまた新たに考察したいと思いますが、いずれにせよ、「大義」無き戦争(と、感じられた)に対して駆り立てられた(と、感じられた)若者らは、第二次世界大戦、あるいは第一次世界大戦時に同時代の若者らを駆り立てた価値観と同じものを見いだせるはずもなく、ある者は共産主義に、ある者はインド哲学に、ある者は「自らの心の叫び」に耳を傾けるようになっていきました。

20世紀半ばを過ぎたこの頃までは、社会科学や文学の領域でも相応の成熟がありました。例えば、20世紀前半のドイツの作家、ヘルマン・ヘッセといえば、「車輪の下」や「デミアン」、「郷愁」など、中学生が好みそうな甘酸っぱい文学作品を生み出したヒト、などとともすれば思われがちですが、全く違います!
彼こそは、同国人であるニーチェ同様、伝統的な価値観の崩壊にあえて身を曝し、それについて徹底的に考えた結果、人間が本来有している肉体的~本能的なものの存在から逃げることなくこれを真正面から見つめ、ここから新たな価値観を作りだそうという試みを行った人物です。

このようなヘルマン・ヘッセの思想は、当時のロックバンドにも影響を与えました。彼の作品の一つに「荒野のオオカミ」がありますが、英語名は「Steppenwolf」!デニス・ホッパー監督の映画「イージーライダー」の主題曲「Born To be Wild:ワイルドで行こう!」を歌ったバンドの名前です。さらに、メキシコ系ロックバンド、サンタナのデビュー2枚目のアルバム「Abraxas:天の守護神」のAbraxasですが、これはヘッセの「デミアン」に出てくる「半身が天使、半身は悪魔」の神様のことです。要するに、「ヒトは完全なる理性的存在では無い!」ということを声高に主張したのがヘッセであり、これに共感したのが60年代半ばのロック狂の若者たちであった、ということです。


昭和40年代:時代と音楽-28

| | トラックバック(0)
ビートルズがデビューしたのは1962年ですが、世界的な大センセーションとなったのは、1964年にアメリカのヒットチャートを総なめにしてからだと思います。同年には初の映画、「ビートルズがやってくる、ヤア!ヤア!ヤア!」が大ヒット!センセも何度も見ましたが(もちろん64年に、じゃない)、ショットの一つ一つが魅力的で、ティーンの心を鷲づかみ!彼らのちょっとした動作、仕草、語り方などなど、全てが10代の少年少女の心に染みるわけです。センセも今でも語り口のいくつかを覚えてます。
彼らが「I'm Happy Just to Dance with You」を歌い終えたとき、ジョンが、「そのOh~が良かった。」なんてね!

ビートルズがリリースした曲をひたすら時系列的に紹介する、というような野暮は止めます。ウイキにでもあたってください。ここではビートルズ現象とその進化、ならびに彼らの進化に伴って生じた世界の大変化、について語っていきたいと思います。

初期の曲は、文字通りレノン-マッカートニーの合作が多かったようです。けれどもほどなくしてジョン、ポールともに別々に単独で作るようになり、それでも「レノン-マッカートニー」の名前で売り出していました。もちろん実際に落とし込むまでは、他のメンバーやジョージ・マーチンの意見も聞きながら完成させていくわけですが・・・。
ポールのメロディーメーカーとしての才能がビートルズに多大な影響を及ぼしたことは火を見るまでもなく明らかですが、それだけでは単なるポップグループとして短命で終わった可能性があります。ビートルズが1970年に解散するまで、文字通り世界の若者文化の潮流の源となり、これをリードしていった最大の原因は、彼らの音楽とそれに付随するスタイルが単なるポップに留まらず、文化~哲学~芸術の領域にまで進化を遂げていったことにある、と思います。そしてその原動力となったのが、ジョン・レノンです。

ジョンの生い立ちなど誰でも知ってるだろうからいまさら話す必要もないかと思いますが、でも「誰でも知ってるだろう」なんてのが、実は既に勘違いかも・・・。同年代ですら洋楽系にうとい連中のほうが圧倒的に多数派ですし、ましてや他の世代においてをや!というカンジですので、とりあえず解説します。

彼はリバプールの労働者階級に生まれ、船乗りだった親父は飲んだくれ。そんで、ジョンが生まれてからほどなくして失踪。その後、ビートルズが有名になってから新たなギトギトした女房を伴って姿を現して「俺がジョンの親父さ!」なんてほざいておりましたが、とんでもない野郎ですね!!!両親は離婚し、ジョンは実質的に叔母に育てられました。ミミ叔母さんです。でも母親は、しばしば彼のもとを訪ねたりします。その時ばかりは、彼も大いに甘えることができたことでしょう。
母親はちょいと風変わりなヒトだったそうで、よく「レンズの入ってないメガネ」なんぞをかけてヒトを驚かすような、ユーモアのあるヒトだったようです。そんな母親の一風変わった立ち居振る舞いに、彼は大いに影響を受けました。けれども思春期の彼にとって最も大切だった最愛の母は、彼が16歳のときに交通事故で死んでしまいます・・・。
このような生い立ちが、彼の心の中に多くのヒダヒダを作ることとなったのでしょう。そしてそのヒダヒダから生じる払拭しきれない数々の感情が音楽的に昇華され、幾多の名曲が生まれる原動力となったのは、みなさまもよくご存じのところだと思います。

ジョンやポールがギターを手に取るきっかけとなったのが、エルビス・プレスリーのロカビリー。従いまして、彼らの初期の音楽に多くのロックンロールの楽曲が含まれるのは当然のことですが、このようなロックンロールのビートにメロディアスな曲調、さらにビートにマッチした歌詞を乗せて、初期のヒットの数々が生まれました。
ところがデビューからほどなく、徐々に、若者特有のナイーブな「のんきさ」や明るさが感じられない、イライラ感や悲しさを吐露するような曲が、しばしば現れるようになりました。それらは、アルバム「A Hard Days Night」の後半部分から出現するようになり、次のアルバム「Beatles for Sale」に引き継がれます。

ビートルズ初期の、ビートの効いた、明るくてウキウキするような曲調のピークをどこにとるか、ヒトによって考えが違うと思います。サウンド的には「Help」あたりにみても良いように思いますが、歌詞を含めた全体としては、「A Hard Day's Night」あたりだと個人的には思います。
アルバム「A Hard Day's Night」B面の「You Can't Do That」や「I'll Be Back」、そして次のアルバムの筆頭曲「No Reply」など、全て ジョンの曲ですが、デビュー当時の「明るくてウキウキするような曲」ではありません。妻のシンシアとの夫婦生活における問題や、ジョンを残して去っていった父親に対する気持ちを表現したもの、ともとれる内容です。
アルバム「Help」においても、主題曲「Help」そのものが、曲調は元気がよいですが、歌詞は意味深です。さらに同アルバムの「悲しみはぶっとばせ」、センセの好きな曲ですが、これはアコースティックギターの淡々とした調べにもの寂しい内容の歌詞を乗せた佳曲です。ボブ・ディランに影響を受けて作られた曲とも言われています。

要するに、ビートルズ、中でもジョンの曲は、この頃から徐々に、ポップな音から内省的なものに変化しつつありました。「Help」は映画にもなりましたが、映画の内容そのものは、前回同様、未だティーン向けの娯楽的なものではあります。けれども次のアルバム、「Rubber Soul」でビートルズは大きく脱皮し、ポップやロックンロールミュージックから完全におさらばすることとなりました。

アルバムの題名「Rubber Soul」ですが、直訳すると「ゴムの魂」で、意味不明。本来はSoul はSole(底) のはずで、「靴のゴム底=運動靴」くらいの意味です。諸説ありますが、スタジオで音を収録する際、床にはエレキギターのコードが散乱しているので、感電を防ぐ意味でみなさん運動靴を履いていたわけです。で、これをもじってRubber Soul」とふざけて銘々した、などという説もあります・・・。
タイトルはどうでもよいですが、アルバムRubber Soul」には、これまで「ビートルズを聴くヤツは不良だっ!」とか言っていたガッコのセンセたちがうって変わって「ビートルズは芸術だっ!」とか言い出した切っ掛けとなる曲が多く含まれているのが特徴です。特にポールの「ミッシェル」とジョンの「ガール」は、ビートルズ≠単なるロックバンドの図式を作り上げるのに大きく貢献しました。

ジョンの「ガール」ですが、これももの悲しい曲で、歌い方などをみても、ボブ・ディランの影響が感じられます。ある人に言わせれば、歌い方じゃなくて「ディランから教わったマリファナの吸い方を音にしてるんだ」とのことですが、さて・・・。

昭和40年代:時代と音楽-27

| | トラックバック(0)
ビートルズ登場時のインパクトに関しては、センセは未だ小学生だったので、リアルタイムでは知りません。でも小学6年生くらいになったとき、友人と、「ビートルズとローリングストーンズじゃ、ビートルズの方が人気があるのは当たり前だよな!」なんて会話をしたのを覚えてます。リバプールサウンド華やかなりしこの頃、常にビートルズとローリングストーンズが比較されておりました。

ビートルズというのは、本当に奇跡的なグループだと思います。まず初めにジョン、ポール、ジョージがたまたま出会って結成したアマチュアバンドですが、音楽的才能をひとまず横に置いといて、兄貴分のジョン、甘いマスクのポール、ハンサムなジョージと、既にルックス的にもキャラクター的にも役者がそろっているわけです。これに後から三枚目的なリンゴが加わって、あたかも誰かが意図して作ったかのような、実に絶妙な個性のワンセットができあがったわけです。実際、モンキーズの場合は最初から「ビートルズに対抗できるようなキャラクターの個性」を人為的にかき集めて作った寄せ集めバンドだったわけですが、ビートルズは全く偶然に、そして自然に、あの四人組となったのです。

奇跡的だと思いませんか!?

かたやローリングストーンズ・・・。そろいもそろって、その、、、ええっと、なんちゅうか、町の吹きだまりにでもたむろしているような、「とても個性的な造作のヤングマン!」が集まったな、というカンジですので、あ、こりゃ初めから勝負にはならないわな・・・。
けれどもやはりその、人間の心理というのは不思議なもので、あんまし出来がよいと反発も生じるようで、ファンの間でも、「あのB細工さが良いっ!」ってえのが多かったようですね!でももちろん、ストーンズ独自の音やスタイルが確立されるにつれて、本当にロックが好きなファンの心をガッチリとつかむこととなっていきます。

ビートルズの場合、ルックスその他の要因も確かにあったとは思いますが、本質的にはレノン-マッカートニーの音楽の才能に大成功の要因があったのはもちろんのことです。両者とも本格的な音楽教育なんぞ受けたこともなく、ただひたすら自らの感性と聴衆の反応を指針として、あのおびただしい名曲の数々を生み出していきました。そして、この二人に感化され、その後にはジョージの才能も開花し、「Something」に代表されるようないくつかの佳曲を作り出すこととなりました。
残念ながら、リンゴだけはあまり感化されなかったようですが・・・。

中学時代に「Hey Jude」を聴いて音楽に目覚めたセンセですが、最初に買ったレコードが、アルバム「Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band」。二つ折りのアルバムを開くと、あの軍服を着た四人組の写真があるわけですが、中でもジョンが放つ独特のオーラにセンセは魅了され、ジョン・レノンこそは、その後のセンセの青春時代、まさに長らく「偶像」であり続けました。ジョン・レノンの呪縛が解けるまでには、彼の死後しばらくの時を要することとなったのです。

今現在、世界中でイスラム過激派が厄災を振りまいておりますが、少年少女を問わず、どういうわけか、あのような過激思想に共感して組織に合流しようと試みる年少者~若者が後を絶たないと聞きます。あるいはまた、過去にも赤軍派や紅衛兵運動があり、ヒッピー文化が花開いた時期がありました。
親や周りの大人はこのような若者の行動をなかなか理解できないとは思いますが、これを理解するためには、思想の内容云々以前に、やはり思春期~青年期という、ある種特別に感受性が高まる時期を人間という動物は生得的に保持しているのだ、という生物学的事実を、まずは社会がはっきりと認識する必要があると思います。恐らくは、ヒトが高度な社会性を有していることへの進化論的な対応の結果だと思うのですが、部族社会の中で生きていた時代の同族に対するアイデンティティーの同化の必要性がほとんど失われつつある現代社会、あるいはむしろそのような同化に対して自由放任主義の立場から否定のレッテルを貼りがちなリベラリズム思想の強い現代社会の中では、ナカナカこのような「生得論」的な考え方は受け入れられないのかもしれません。その結果、青少年は不安定となり、「自分の居場所」を見失い、ある種、確かな指針を与える極端な教義に対して脆弱となるのかもしれません。ある意味、ナチス以前のワイマール共和国時代がそうであったように、過度なリベラリズムそのものが、このような行動を育む揺籃となっているのかもしれません。

難しいことを述べました・・・。


昭和40年代:時代と音楽-26

| | トラックバック(0)
ポップソングのことをくさしてきたけれど、別に「嫌い」というわけじゃないし、好きな曲もたくさんあります。ポップソングはそれこそ星の数ほどあると言っても過言ではないけれど、歌詞に強いメッセージ性もなく、特にコメントするようなものでもない。時代に影響を与えたというよりも逆に時代の雰囲気を表す曲が多いので、代表的なものを時系列的に羅列することでその時々の雰囲気を懐かしさと共に思い出してもらえればOKかな?と思います。センセが個人的に好きな曲、あるいは「みんな、忘れちゃってる?」ってえ曲にはリンクを張りますね!

ビートルズ出現前は、エルビス・プレスリーに代表されるロカビリーを除き、白人中産階級の間では、それこそポップ全盛の時代と言ってもよいかと思います。
ポール・アンカの「ダイアナ」やニール・セダカの「カレンダー・ガール」、あるいはコニー・フランシスの「バケーション」や「可愛いベイビー」などが代表といってよいでしょう。コニー・フランシスの歌は、日本でも広田三枝子や中尾ミエらが日本語に吹き替えて歌ったカバーが大流行!ギラギラと~かがやく~太陽背に受けて~」って、日本語のテンポも良かったです。
ビートルズ登場の頃にリリースされたルビー&ロマンティックスの「Our Day Will Come」、リトル・アンソニーとインペリアルズの「Goin' Out of My Head」なんか名曲です。両者とも、その後に多くの連中がカバーしてます。
フォー・シーズンズも忘れちゃならない当時のコーラス・ポップグループですね。特に「♪ シェ~リー、シェリベイビー~」は名曲でした。67年にはフランキー・バリがソロで歌った「君の瞳に恋してる」が大ヒット。今でも、結婚式とか、色々なところで歌い継がれています。

ビートルズ登場後はいわゆるリバプールサウンドが世界を席巻するわけですが、そんな中ではペトラ・クラークの「ダウンタウン」、ダスティ・スプリングフィールドの「この胸のときめきを」などがヒットしました。同時期、フランス発のポップとして、フランス・ギャルの「夢見るシャンソン人形」、シルヴィ・バルタンの「アイドルを探せ」が大ヒット!特にシルヴィ・バルタンはレナウンのCMソング「ドライブウエイに春がくりゃ、イエイイエイイエイイエイ・・・」で、いわゆる「イエイエ」時代を当時の日本にもたらしました。ミニスカートのツイギーとともに、懐かしいですね!
また、イタリア、サンレモ音楽祭からのヒット曲も懐かしいです。ジリオラ・チンクエッティーの「夢見る想い」や「雨」、ボビー・ソロの「ほほにかかる涙」など、ううん、グッと来ちゃいますね!

リバプールサウンドが一巡する頃には、ブラジル出身のセルメンことセルジオ・メンデスとブラジル66が登場。「マシュケナダ」、「コンスタント・レイン」、ビートルズのカバー曲「フール・オン・ザ・ヒル」などが有名です。
同時期に登場したコーラスグループ、フィフス・ディメンションは、「Up, Up and Away:邦題、ビートでジャンプ」を67年にヒットチャートに送り込んだ後、69年にはミュージカル「ヘアー」の主題歌「Aquarius/Let the Sunshine In:輝く星座」が大ヒット!その後も「Wedding Bell Blues」や「One Less Bell to Answer」などをヒットさせます。
66年はサイモンとガーファンクルの年。彼らをポップと呼んではいけないと思いますが、ま、流れで加えときます。
このころ、英国マン島出身のグループ、ビージーズが登場。「ニューヨーク炭坑の悲劇」、「Love Somebody」、「マサチューセッツ」、「ホリデイ」と、立て続けにヒットを飛ばします。当時のビージーズの曲風は、後のディスコ時代のビージーズとは全く異なります。当然、この当時の方が良かったですよね!
このようなメロディアスな曲風は後にブレッドに受け継がれ、名曲「If」を生み出すこととなります。

あまり知られていないこの頃の単発の名曲に、マーシーの「Love (Can Make You Happy)」がありますが、知ってる?レコードジャケットの彼女たちの格好!ホント、みんなこんな格好してましたっけね!

アメリカンポップで忘れてはならない連中が、ザ・モンキーズ。ビートルズに対抗して「意図的に作り上げられた」、裏も表もない「ポップ」の定義を完全に満たす典型的なポップバンドですが、誰知らぬものも無い有名な曲をいくつも残しました。「モンキーズのテーマ」、「恋の終列車」、「アイム・ア・ビリーバー」、「デイ・ドリーム・ビリーバー」などなど・・・。
モンキーズのTV番組までありました。今から思えば誠にたわいない内容ですが、当時、誠にたわいない中学生だったセンセは、これを見ながら大いに笑いこけておりました・・・。
上に上げたモンキーズの曲、どれもこれも有名なものですが、やっぱりポップなんですね。聴くと懐かしく感じますが、ちょっと大人になると見向きもしなくなったのはなぜなんでしょうね?

アーチーズ、なんてのもありましたね!「シュガー・シュガー」がヒットしましたけど、これはもともとマンガの主人公です。センセも神田でアーチーズのマンガ本を数冊買ったことがありますが、粗雑な紙にカラー印刷し、ところどころ適当に色と輪郭がずれていて、それがまたアメコミらしいというものでした。アンディ・ウオーホルが逆手にとって芸術とした、ってえヤツです。内容は、アメリカの白人高校生、男子3人女子2人の、のんきな日常生活をコミカルに描いたもので、なんと言うこともありまへん・・・。でも、これで結構英語を勉強したものです。

さて、ウッドストックを過ぎる頃からは、ジャクソン・ファイブとカーペンターズがポップ界を席巻するようになります。ジャクソン・ファイブについてはモータウンのところでお話したので省略します。カーペンターズに関しては、これは知らないヒトがいないくらいに時代を体現したグループですが、最後は、「悲劇的な末路」、とでも言うべき形で終わりました。あえてここでは書きません。
代表曲、数が多いですし書くまでもないと思いますので、これも省略いたします。個人的には「聴けば懐かしいが聴くまでもない」の典型ですので、非難を承知の上で、省略といたします。

最後に、ギルバート・オサリバンとメリー・ホプキンの、アイルランドとイギリス出身のポップ歌手をあげて、ポップの項を終了としたいと思います。ギルバート・オサリバン、「アローン・アゲイン」と「クレア」が代表です。メリー・ホプキン、ポールに見いだされたヒトですけど、センセは結構お気に入りです。センセ好みで可愛いし・・・。日本人好みと言うか外人的じゃ無いって言うか、はっきり言って、タイプです・・・。
あ、当然、若いころの彼女ね!
代表曲には、「悲しき天使」、「グッド・バイ」、「Temma Harbour:邦題、夢見る港」などがあります。

済みませぬ、、、。ひいきして、三曲ともリンクしてしまいました・・・。

「悲しき天使」、ロシア民謡をカバーした曲で、内容は「同窓会の歌」です。なんでこの題名なのか、理解に苦しみますが、ナンにでもとりあえず「悲しき・・・」を付けとけばOK! っていう雰囲気が、この当時はありました。ナンか、「ピンク映画」の題名みたいですねっ!


昭和40年代:時代と音楽-25

| | トラックバック(0)
またコケました!通算5回目!勲章の数もドンドン増えていきます!やったね!

本日は、裏の林道でブレーキターンとアクセルターンを練習しました。でもゼンゼンへたっぴー。180度どころかせいぜい30度くらい。で、何度目かのブレーキターンで左にコケた。バカだから、登り坂に向かって左に切ってリアを踏んだらきれいにコケた。でも、もう慣れてるので、コケるのに無駄な抵抗はしない。ひたすら倒れる。そんで、バイクの持ち上げも簡単にできるようになった。やっぱ、伊達にコケてるわけじゃない。8月から乗り始めて4ヶ月の間に5回コケたからたいしたもんだ。来年、1周年を迎える頃には二桁の大台にのるのは間違いない。
それよりも、センセはまだブレーキターンやらアクセルターンやらにトライする段階じゃない、っていう事が分かりました。ダートの林道(結構ガレてるし、上り下りの急坂S字カーブもある)を立位で騎乗して数回走っただけで、のどはカラカラふとももパンパン・・・。ここらへんを心楽しく走れるようになってから、アクロバチックな技術に挑戦すれば良いのでは?と思うようになりました。

ま、勲章の数が増えるのは良いのですけど、くれぐれも「二階級特進」だけは避けたいと思ってます・・・。

さて、昭和40年代の音楽シーンを世情にからめて語っておりますが、未だ語っていないのがポップ系の音楽。音楽ジャンルでもジャズとかブルースとかクラシックとか、基本的にははっきりとジャンル分けできますが、ポップソングって、境目が結構曖昧です。特にロック系の歌手やバンドでもポップな楽曲を歌ったり演奏したりするのは普通ですので、この場合分類がややこしくなります。

じゃ、ポップってなに?というお話です。

「耳あたりがよくって明るい歌」ってえのはどうでしょう?でも失恋の歌とかもありますから、「明るい」は必要ないかも・・・。「耳あたりのよい楽曲」だけで十分ですかね?でも、ナンか、違うような気がする・・・。
「耳あたりがよく、商業ベースに基づいて作られた楽曲」ってえのはどうです?

メロディアスで美しいけれどもポップに分類するのがはばかれる曲ってありますよね!普通、そのような曲に対しては、「芸術的」という形容が冠せられたりします。ならば、「ポップ性」と「芸術性」は対立的な概念といってよいですよね。

で、結論。

ポップはそもそも「売るために作られた曲」、でOK牧場。
つまり、「初めに市場ありき」であって、作り手の気持ちやメッセージ性は無視!
仮にメッセージ性がある場合でも世情に対して迎合するものであって、作り手の主義主張は無視!
要するに、「流行歌」、ということです。

じゃ、初期のビートルズはポップ?

ビートルズのすごさがここにあります。ビートルズがなんで世界を席巻したのか。それは、彼ら自身が「作りたい!」と望んだ曲=ティーンエイジャーが心から欲しかった曲、という数式が成り立ったからです。

ポップ屋さんはそうではありません。
ポップ屋さんは商売ですから、頭で考えます。「ティーンエイジャーにヒットするような曲ってなんだろう?」と頭で考えて曲を作ります。マーケティングなんかをしちゃったりもします。ハイ、AKBなんちゃらあたりが典型的ですね!
日本のポップ屋さん、有名な方々が大勢おられますが、センセのように60~70年代の洋楽系のヒット曲にどっぷりと身を曝してきた人間が聴くと、「あ、これは誰それのあの曲をベースに、とってつけたような歌詞をつけたものだな!」なんてのはすぐに分かってしまいます・・・。

ポップ屋さん、誰とは言わないけれど、ほら、あいつとか、、、あとあいつね!

昭和40年代:時代と音楽-24

| | トラックバック(0)
「古き良きアメリカ」時代のアメリカ映画を代表する俳優が、ジョン・ウエイン。センセらの世代では、「アラモの砦」や「史上最大の作戦」などを思い出します。
スペクタクル映画としては、1959年の「ベン・ハー」、1960年の「スパルタカス」、そして1962年の「アラビアのロレンス」あたりでしょうかね。1963年の「北京の55日」も加えてよさそうです。
ロマンスとしては、ちょいと古めで1955年の「旅情」と「慕情」。キャサリン・ヘップバーン主演の「旅情」はイギリス映画ですが、両者とも、音楽が忘れられないですね。センセなんぞもグッと来てしまいます・・・。先に述べたオードリー・ヘップバーンの1961年の映画、「ティファニーで朝食を」も加えられますね。
ウオルト・ディズニーの一連の作品もまた、この時代を代表するものとみて良いかと思われます。いろんな意味で・・・。

というわけで、古き良き時代のアメリカ映画は、確かに安心して見ていられます。価値観~アイデンティティーに揺るぎが無いが故に・・・。

このような状況に最初の一矢を放った映画が、1962年のグレゴリー・ペック主演、「アラバマ物語」です。アラバマ物語、センセは比較的成長した時分に見ましたが、ある種不思議な雰囲気に満ち満ちた映画であった印象を持ってます。詳しい内容に関しては、ウイキにでもあたってください。
丁度この頃から黒人公民権運動が高まりを見せ始めると同時に、ベトナムへの介入、キューバ危機など、米国国内~国外が騒然としてきました。ボブ・ディランやジョーン・バエズの活動が本格化し始め、ビートルズが世界中の音楽シーンに影響を及ぼし始めた時代です。これら一連の状況の変化は、音楽のみならず、映画の分野にも影響を及ぼすこととなりました。いわゆるアメリカン・ニューシネマの登場です。

アメリカのニューシネマの代表作といえば、通常、1967年の「俺たちに明日はない」が真っ先に取り上げられます。ボニー&クライドの男女二人組ギャングの逃避行のお話ですが、最後は追いつめられて車ごとボロボロに銃撃されておしまい、となります。ウオーレン・ビーティーとフェイ・ダナウエイが両者を演じます。あの有名なバンジョーの音色とともに、センセの青春を彩る映画の一つです。
なぜこれが「ニュー」なのか、今ひとつピンとは来ないのですけど、ハッピーエンドじゃ無いこととか暴力~性的な描写が従来には無い程度にあからさまであったこと、などが理由にあげられています。でも、センセに言わせれば、たぶん、本質的には、「強く正しく美しいアメリカ人」という従来のテーマをぶちこわすものだったから、「ニュー」なんだと思います。いわゆる「アンチヒーロー」が主役となる一連の映画の登場です。

ボブ・ディランなんか、典型的なアンチヒーローですからね!
アメリカの、漸くの、「内省の時代」の始まりです。

1969年になると、デニス・ホッパー監督の「イージー・ライダー」、ポール・ニューマン&ロバート・レッドフォード主演の「明日に向かって撃て!」、ダスティン・ホフマンの「真夜中のカウボーイ」と、立て続けにアメリカン・ニューシネマの名作が発表されます。
ステッペン・ウルフが歌う「イージー・ライダー」主題曲の「Born to be Wild」、B・J・トーマスの「雨にぬれても」、そしてジョン・バリーの「真夜中のカウボーイ」のテーマ曲、三者三様ですが、どれもこれも、当時の雰囲気を如実に表す名曲です。







昭和40年代:時代と音楽-23

| | トラックバック(0)
「ファンクは破調の音楽であり、ボサノバはトロピカルなわびさびだ!」と強弁してとして恥じない中山センセですが、本日はバイクで裏の林道を走ってきました。先週も走りに行きましたが、地元のお百姓たちの軽トラ(坂城ではケットラと発音する)が10台ぐらいも集まって道を防いでいたので、早々に帰ってきました。今日は、林道脇の渓流沿いにうっすらと雪が積もっているほど気温が低かったせいか、誰も居らず、気ままに走ることができました。
本日は、立ってバランスをとりながらのスタンディングの練習を延々と行いました。スタンディング、慣れると座位よりもバイクのバランスをとるのが簡単になります。ダート走行では、単に真っ直ぐ走っていても、タイヤは頻繁に滑ります。座っているとなかなかそれが分からないのですが、立っているとそれが瞬間的に分かるようになり、体が自然に反応しますので、コントロールが自在にできるようになります。ダートを出て舗装路に入ると、ナンか、舗装路での走行って、接着剤がくっついているような感覚すら覚えてしまいます・・・。


で、ボブ・ディランですが、最近はやたらとTVでも取り上げられ、昨日はNHKが特番を組んでましたね!
前も言ったとおり、センセはボブ・ディランは好きでも嫌いでもないです。レコードも1枚しか買ったことないです。それもシングル。曲名は「One More Cup of Coffee」。たしか、ジョーン・バエズがバックを歌っていたと思う。で、特に感心もしなかったし、Youtube なんかで彼の曲を聴くことも無い・・・。要するに、ディランとセンセは別の世界に住んでいるヒト、というだけのお話です。
ボブ・ディラン、授賞式欠席に関してお手紙を送ってますが、結構まともなことを書いてます。お友達からいろいろ言われたんだと思いますけどね wwww。

さて、バート・バカラックのお話をします。

ボブ・ディランとバート・バカラックとジェームス・ブラウンとが同じ時代に同じ国で同じ空気を吸っていた、ってえのが信じられないぐらいに三者の曲は異なりますが、ネクタイを締めてスーツを着て大都会のオフィスで仕事をしていたサイレントマジョリティーは、間違いなく、三者の中では最も都会的で洗練されていたバカラックの音を、圧倒的に支持していたと思います。
三者の中で唯一、彼のみがまっとうな音楽教育を受けています。まっとうな音楽教育を受けていれば誰もが立派な音楽家になれるというわけではないのは当たり前のお話で、これに彼の才能と努力と幸運が加わって、ロックやソウルとは大きく異なる、60年代から70年代を彩るもう一つの軽音楽の世界を作り上げました。

バート・バカラックの代表作は数多く、また、必ずしも「代表作」ではない曲にもまた名曲が多く、普段炊事場などでお皿を洗いながら「フンフン ♪♪♪ ・・・」などとハミングしたりするけど曲名は知らない、などといった状況では、そのフンフンの中にバート・バカラックのものが結構まじっていたりすることがある、と思います。

多くのヒトがメロディーを知ってる代表作としては、まず「アルフィー」。1966年の映画の主題歌です。そして同じく映画「明日に向かって撃て!」の主題歌で、B・J・トーマスが歌った「雨にぬれても」、カーペンターズで有名な「遙かなる影:Close to You」などがあります。
誰もが知ってるわけじゃないけど代表的な名曲には、ディオンヌ・ワーウイックで有名な「Walk On By」と「サンホセへの道」、アレサ・フランクリンの「小さな願い」、ジャッキー・デシャノンの「What the World Needs Now Is Love」、映画007 シリーズのショーン・コネリー時代の「カジノ・ロワイアル」などがあります。「カジノ・ロワイアル」は主題歌も有名ですが、挿入歌の「The Look of Love」もまた名曲です。

手がけた映画音楽は多く、1965年の「何かいいことないか子猫ちゃん」の主題歌で、トム・ジョーンズが歌った「What's New, Pussy Cat?」、先に述べた1966年の「アルフィー」、1970年の「Rain Drops Keep Falling On My Head(雨にぬれても)」、カトリーヌ・ドヌーブ主演の同年「幸せはパリで:The April Fools」などなど。ミュージカルでは、1969年の「Promises, Promises」でグラミー賞を受賞しています。

これら以外で個人的に好きな曲には、「This Guy's in Love with You」、「Don't Go Breaking My Heart」、「Pacific Coast Highway」、「Any Day Now」などがあります。他にもたくさんありますが、きりがないのでこれまでとします。どれもこれも有名な曲ばかりですので、あえてリンクを張りませんでした。唯一、あまり知られてはいないと思われる佳曲Pacific Coast Highway」を張っておきます。この曲、題名通り、かっちょいいスポーツカーの助手席にかわいこちゃんを乗せて海岸沿いをドライブするときなどには最適な曲だと思います。



むっ~~~か~~~し、未だセンセが若かりし頃、ポンコツの廃車寸前の初代ジムニーを買った。幌付きオープンのオリーブドラブのヤツ。ある時、オープンにしてさらに前のシールドまで倒して、助手席に当時の彼女を乗せてドライブとしゃれこんだ。で、ダッシュボードにカセットを差し込んで、スイッチを入れた。
音量最大にして中央高速をシールド無しで360cc でガンガン飛ばした。


で、その結果・・・。
お分かりで・・・。

チーン、
ナムナム・・・・・・・。



昭和40年代:時代と音楽-22

| | トラックバック(0)
1962年にイギリスのリバプールで産声を上げたビートルズですが、アメリカに上陸してヒットチャートを独占するのは1964年の年。その後の展開はみなさまご存じのところです。けれども、前回も申し上げたように、アメリカ人の全てが若者ではないし、モータウンやアトランティックの音にビートルズが影響を及ぼした形跡は見られないし、その後のジョンの発言をきっかけにして南部ではビートルズ排斥運動まで生じるし、ホワイトハウスやウオール街のエスタブリッシュメント連中は全く別の世界に生きているし・・・。
ビートルズからウッドストックに至る若者文化だけに注目していると、これら「実務」の世界に生きている人々を見落とすことになって、結局60~70年代を見誤ることになってしまうかも・・・。

アイビーリーグを卒業後、金融関係に就職。早々と大都市郊外に庭付きの一戸建てを購入し、美人と評判の妻は専業主婦。ご本人は車でウオール街へ出勤し、世界を相手にマネーゲームに励む日々。週末は夫婦そろってティファニーでお買い物の後はブロードウエイでミュージカルを楽しむ、といった典型的なアメリカンドリーム(実現しようがしまいが)の中で生きている人々、あるいはそれを夢見ている連中が、ヒッピー文化に身を崩したり、ましてやジェームス・ブラウンを聴くとは思えない・・・。じゃ、それらの人々、大卒で、有名企業に就職し、中上流の所得を得、大なり小なり政治経済の中核を担っていた連中の文化って、当時、どんなだったの?どんな音楽を聴いていた?

中西部の大規模な農場や牧場で働く人々、あるいは南部やアパラチアの仕事もろくにない小さな町で因習の中に生きる人々、シカゴやデトロイトの工場で働く労働者、NYのサウスブロンクスの住人達、北東部で昔ながらのつましい生活を送る人たち、キリスト教原理主義の強い町の住人達、リベラリズムとヒスパニックのカリフォルニアなどなどなどなど、それぞれの人々がそれぞれに特有の文化と音楽を持っているのが、いまさらながらのアメリカのDiversity ということではあります。このへんの事情って、映画「The Blues Brothers」の中でも面白可笑しく描かれていますよね!ジョン・ベルーシが「いやだ!俺は絶対にウエスタンなんか歌わんぞ!」とへそを曲げながらも、ダン・アイクロイドにせかされて、仕方なく唯一知ってるウエスタン「Rawhide」 を歌うシーンでは、センセも腹を抱えて大笑いでした。

結局、伝統的な「古き良きアメリカ」的文化の中核は、その後も色々と多方面から影響を受けつつ形を変えながらも、これら白人中~上流階級のエスタブリッシュメント(ないしはその予備軍)に引き継がれ、今に至っていると思います。クラシックやジャズは別枠としても、ストリングスを多用するイージーリスニング、映画音楽、50年代後期に生まれ60年代に花開いたボサノバ、そしてバート・バカラックの数多くの名曲など、どんなに世界が変わろうともビクともしない、極めて頑健かつ「健全」な音楽ジャンルだといえるでしょう。

ブラジル生まれのボサノバ。よく考えれば半世紀以上も前に誕生した音楽ジャンルですが、今でも全く古くささを感じさせることのない、不思議な音楽です。
ボサノバの歴史に関してここでクドクド述べる愚は避けますが、アントニオ・カルロスジョビン、ルイス・ボンファ、アストラッド・ジルベルト、夫のジョアン・ジルベルト、スタン・ゲッツなど、当時のビートルズの狂騒から10億光年ぐらい離れた彼方で輝きを放つ明星の如きもの、といえるかも知れません。



ボサノバって、嫌いなヒト、居ます?

ボサノバって、無理に仕分けすればイージーリスニングのジャンルにぶち込むことができるかも知れませんが、いや、絶対にイージーリスニングではないですよね!何が違う?
一般的には「ブラジル黒人音楽のサンバとジャズが融合したもの」とかいう説明がなされます。確かにサンバ的リズムの強い曲もありますし、ジャズの要素の強いものもあります。けれども、そんな「フュージョン」的な単純な話でもないと思います。

じゃ、何?

やはりこれは、先に述べた人たちの「天才」がもたらした独特の音楽ジャンルだと思います。

日本には、能楽の謡いや茶の湯、俳句や文人画など、いわゆる「わびさび」といわれる独特の雰囲気を表現する文化があります。この「わびさび」って何?と問われれば、それは答えるのが大変難しいことでありますので、致しません。でも、みなそれを、心の中で、知ってます。

ボサノバって、トロピカルな「わびさび」です!    ・・・以上です・・・。

この過去記事について

このページには、2016年12月以降に書かれた記事のうち中山博士の横顔カテゴリに属しているものが含まれています。

前のアーカイブは004)中山博士の横顔: 2016年11月です。

次のアーカイブは004)中山博士の横顔: 2017年1月です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。